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モロの部屋
モロ先生からのメッセージや行事の様子などなど、随時更新して行きます。
お楽しみください。
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道行く人へのメッセージ

講演録
南風に吹かれて


金光教は、すべての人が助かってほしいという天地の神の頼みを受けて教祖・金光大神が幕末の1859年に取次を始めたことから起こりました。
その教えは、人間は天地のはたらき(神の恵み)の中に生かされて生きており、その道理に合った生き方をするところから、幸せな生活と平和な世界を築くことができる、と説いています。
世界の平和とすべての人の幸福、一人ひとりの人生の成就を願って、この教会はすべての人に門戸を開いています。いつでも自由にお入りください。
南風に吹かれて

インド(下)

 インドは亜大陸と呼ばれるように、実に奥深く、雑多な顔を見せてくれる。人々はとても信心深いかと思うと、一片の親切にも金を請求したりする。物乞いがどこにでもいる貧しさを感じさせる反面、歴史と伝統の精神性の高い国である。すべてが手作りの国かと思うと高度な宇宙技術をもっている。
 日本とはまるで逆の事柄がある。日本人は首を縦に振って相手の話にうなずき、「ノー」のとき横に振るが、インド人は、首を横に振って頷く。肩は動かさず、首だけが横にスライドする舞踏風の首の振り方である。だから、かれらと話していると、自分の話していることが否定されているのかと勘違いしてしまう。ホテルのフロントで、「チェックアウト後、夕方まで荷物を預かってほしい」と頼んだ時のことである、顔は笑顔なのに首は横に振っているので、「だめなの?」と聞くと、「いいよ」という。そうか、首を横に振りながら喋る人が多いなと思っていたが、かれらは首を横に振って肯定するのか、と気づいた。
 私の訪ねた一九九三年には人口八億人と言われたが、今は中国に次いで十億を超えたという。人口爆発が起きている。この国にはカーストという身分制度が厳然と存在し、ガンジス川の水を使って石けんで洗濯をするクリーニング屋は先祖代々生まれながらにしてクリーニング屋なのだと聞かされると、江戸時代がここに生きているのか、と思ってしまう。物乞いの子は物乞いとして生きる。それでもかれらにはかれらの生き場所があるように思われた。アメリカのホームレスとは別物であった。
 多くの人びとは、近代化とは無縁なところで生きていた。トイレだって、ブリキ缶一杯ほどの水をもって左手で尻を洗う。かれらがこぞって人工エネルギーをもっと使い、トイレットペーパーを使い始めたら、地球環境は直ちに破滅しかねない。かれらが昔ながらの生活様式を守ってくれているおかげで日本人も現状の生活をさせてもらっているのだと思うと、申し訳ないような、感謝の念が湧いてきた。
 南インドに行くと、不思議の国・インドを一層に感じさせられる。道ですれ違った女性、頭には大きな金のたらいを乗せ、顔の黒さはすごみがあった。どう形容したらいいのか、深い黒というのか、真っ黒なのである。その分、目の青っぽい白さが際だつ。顔の彫りも深く、哲学的雰囲気を醸し出す。太陽は真上からじりっと照りつけ、自分の影は足の下に隠れてしまって、見ることが出来ない。繁茂した樹々は、全部スパイスの木だと聞いてびっくりした。全山すべてスパイスの森があるなど、考えたこともなかった。それら何十種類を混ぜ合わせて、かのカレーが作られるのである。
 南インドで食堂に坐ると、テーブルに大きなバナナの葉が広げられる。その上にごはんやおかずが乗り、それらを右手で食べるのである。カレーももちろん手でこねまわして食し、指をなめて食事が終わる。
 バンガロールの近くで、手から白い聖灰を出す奇跡の人・サイババに会いに行った。世界中から八千人からの人が集まっている中、ほんの二メートルくらいのところで目と目を合わせたが、何の感慨もなかった。だが、南インドには、念力で岩を動かすような行者がごろごろいるという。そうかもしれない、と思わせる風土なのである。
 インドの最南端はカニャークマリというヒンドゥー教の聖地である。東にベンガル湾、西にアラビア海、そして南にインド洋と、三つの海が交わり、太陽が海から出て海に没するインド唯一の場所である。人びとは一年中、ここで日の出を拝む。コバラムビーチのホテルを午前三時に出て、コモリン岬とも呼ばれるこの漁師町で日の出を待った。海岸の岸壁には大勢の人影が海の方を見て静かにその時を待っていた。白々明けとともに、人々の姿や顔の表情がハッキリと見えるようになった。合掌する人、沐浴する人、じっと水平線を見つめる人、それぞれの夜明けである。風が心地よかった。ガンジス河のような重厚さはなかったが、天地の聖性と交わろうとするインドの人たちの敬虔なまなざしの美しさには打たれるものがあった。