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講演録
南風に吹かれて


金光教は、すべての人が助かってほしいという天地の神の頼みを受けて教祖・金光大神が幕末の1859年に取次を始めたことから起こりました。
その教えは、人間は天地のはたらき(神の恵み)の中に生かされて生きており、その道理に合った生き方をするところから、幸せな生活と平和な世界を築くことができる、と説いています。
世界の平和とすべての人の幸福、一人ひとりの人生の成就を願って、この教会はすべての人に門戸を開いています。いつでも自由にお入りください。

宗教者の平和責任

2010 / 02 /25 (木)

2010.2.13(土)

 田中元雄 

 地球は人間の体に例えれば、核戦争という心臓麻痺の危機と、環境破壊という癌の、二つの死に至る病をもっているように思う。
 人類が生き延びるためには、地球が健康体にならなければならない。心臓麻痺の危機は、東西冷戦構造の頃からあった。世界終末時計がかつて(1953年当時)世界終末の2分前まで行っていたのが、ベルリンの壁が壊され、さらにソ連が崩壊したとき(1991年)、17分前まで戻って、冷戦終結によって心臓麻痺の危機は遠ざかり、21世紀は平和の世紀になるのではないかという期待感を抱かせた。かつては米ソの緊張さえ緩和されていればよかったものの、核拡散が進行して、今では全身の血管が動脈硬化やら動脈瘤やら糖尿病で、心臓だけではなく、脳とか、肺とか、腎臓とか、どこで致命的な病が発するか分からない状況である。
 終末時計は、2007年に北朝鮮の核実験強行により5分前にまで進み、2010年の今年は、オバマ米大統領による核廃絶への動きによって1分戻って、6分前になった。
 南北問題が、環境問題も含めていっそう悪化し、核廃絶への分岐点となる今、終末時計を戻すべく、非核化はまず対処しなければならない緊急の危機である、という意味で、リーパーさんの言われることに大いに共感し、賛同するものである。

 「宗教者の平和責任」ということだが、かつて第2次世界大戦の時、宗教者は平和責任を果たしたか、と問われれば、ノーと言わざるを得ない。少なくと
も教団のレベルでいえば、日本の宗教教団で戦争協力をしなかった教団はほとんどなかった。金光教も例外ではない。

 戦争協力への反省から、金光教では、@戦争に加担しない教義を確立すること。A国家とは一線を画すこと。B平和に向けた運動を展開すること。この3点を推進してきた。

@戦争に加担しない
 二度と戦争に加担しないために、まず、教祖・金光大神の信仰の原点に立ち返って、平和を築き、平和を守る宗教となろう、という決意をした。教祖は神のことばに従って、世界の平和とすべての人間の幸福を祈念するということを内容とした文字、すなわち「天下太平諸国成就祈念 総氏子身上安全」と書かれたものを染め抜いた幟を立てて世界の平和と人類の助かりを日々祈り通した。
 その精神を受けて、今でも金光教のすべての教会では、朝に夕に、「総氏子身の上安全、世界真の平和を成就するための担い手とならせてください」という意味の祈りを唱えている。
 教団形成期に、神道国教化体制のもと、制約の中で教義形成をしたが、戦後、教祖の教えを集大成し直し、それに基づく教義形成、そして平和問題の研究、ライフスタイルの見直しをしてきている。

A国家(政治)とは一線を画すこと
 2番目に、教団は、国家権力と距離を置き、政治とは一線を画す、ということを基本態度とした。まずは教団は公職選挙にはいっさい関わらないことにした。教団は選挙の集票マシーンにはならないことにした。また、政治的な見解については、教団の役職にある者がその肩書きをもって意思表示はしてはならないことにした。そして、信奉者個人は、いかなる政治的な意思表示、示威行動も認めていくこととした。つまり、教団は右向け右式の大衆操作はしないことになっている。

B平和に向けた運動を展開すること
 終戦直後から、広島においては金光教の教会が寄り集って、被爆して亡くなったすべての人のための慰霊祭を毎年行い、今日まで60年余りになる。人類のこの過ちを2度とくり返してはならない、という強い思いを重ねてきた。そうした中で、核実験反対などの非核化運動を広島の教会の連合会が中心となって推進してきた。
また、長崎、東京、山口、広島などでも平和集会を毎年開催し、その中から日常的な平和学習やNGO運動が継続されている。またNPO法人の金光教平和活動センターを設立し、東南アジアの貧しい子供たちに向けて南北問題に取り組んでいる。

宗教の特性と使命
<国家の相対化>
 宗教の特性として、神の目、仏の目で世俗の出来事を捉え、相対化することができる、ということがあると思う。絶対価値をもって、政治、経済などの強大なシステムに巻き込まれないで、その不正とか歪みに対して「これはおかしいんではないか」と異議申し立てをすることができるのが宗教だと思う。
<単純化>
 例えば、人間は皆、神の子、あるいは仏性をもつ者として平等なのだとか、人間は殺してはいけないとか、正しい戦争などはないとか、単純化して捉え、理念に基づく価値観をもって、政治論理、経済論理を相対化できる強みをもっている。
 戦時中、そのことがなし得ず、世の中の空気のようなものに押されて、結果として戦争協力にまで行ってしまったことへの反省をしっかりと踏まえて、同じ轍を踏まないようにしなければならない。

<理想を掲げ続ける>
 オバマ米大統領の「核兵器のない世界」とか、あるいは日本国憲法の第九条の理念は、政治の世界やマスコミに登場する評論家の間では、きれい事だとか、絵空事とか言って退けられる風潮があるが、宗教は、そいういう理想、理念をもってその実現に向けて動くことができる特性があり、使命があると思う。

<教団エゴを排し、宗教対話を>
 絶対価値をもつということは、大切なことだが、宗教が人間集団としての教
団を形成すると、それが独善に陥ったり、排他的になったりしやすい。
 教団はしばしば過ちを犯す。世界宗教といわれる宗教も歴史の中で大きな過
ちを犯してきた。教団はエゴを排し、信仰の目で、教団自体を自己相対化し、
世界と人類に貢献する宗教に生まれ変わり続けることが必要だ。

 宗教は、根本において、人の助かりと世界の共存共栄を願うものだと思う。
その共通の願いの実現のために、それぞれの仕方で信仰を求め、深めている。
その限りにおいて、共通の向きに立つことができるはずであり、諸宗教間の対
話とか、協働が可能なのだと思う。
 文明の衝突とか、宗教戦争とか言われるが、宗教者は、それを食い止め、突き破っていく使命と力があると思う。

(核廃絶へ向けたスティーブ・リーパー氏の特別講演における応答  ー「宗教者九条の和」主催)

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