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モロの部屋
モロ先生からのメッセージや行事の様子などなど、随時更新して行きます。
お楽しみください。
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道行く人へのメッセージ

講演録
南風に吹かれて


金光教は、すべての人が助かってほしいという天地の神の頼みを受けて教祖・金光大神が幕末の1859年に取次を始めたことから起こりました。
その教えは、人間は天地のはたらき(神の恵み)の中に生かされて生きており、その道理に合った生き方をするところから、幸せな生活と平和な世界を築くことができる、と説いています。
世界の平和とすべての人の幸福、一人ひとりの人生の成就を願って、この教会はすべての人に門戸を開いています。いつでも自由にお入りください。
南風に吹かれて

インド(中)

 私はマザー・テレサに、「奉仕をさせて頂きたいのですが」と申し出ると、「わかりました。シスターに手配をさせます」と言われた。
 翌朝早くホテルを出た。人力車に乗り、「マザーの家に行ってくれ」というと、「マザーの家に行くのかい。おれたちはみーんなマザーが大好きなんだ。喜んで送るよ」とこぼれんばかりの笑みで連れて行ってくれた。
 午前六時前から一時間ほどのミサに加わった。マザー・テレサはシスターたちの一番うしろで祈りを捧げていた。ミサは神父によって仕えられていた。やがて、シスターたちはキリストの肉体の象徴のパンを神父から口に受けていた。マザーテレサもその列の最後に並んで同じようにした。
 ミサの後、一切れのパンとチャイ(紅茶)を頂いて、ボランティア隊はあちこちに別れ、私のグループは小一時間ほど歩いて、「プレム・ダン」という看板のかかった施設に着いた。サンスクリット語で「愛の贈り物」の意である。その下に、「病者と死を待つ人の家」と書かれていた。
 男子寮に入るや、ズボンをたくし上げ、長いエプロンをして、さっそく病室の掃除から始めた。ベッドを部屋の隅に積み上げ、床に水を流し、汚物を椰子の箒で洗い流し、消毒薬を撒き、床を磨き、水で洗い流し、モップで拭くのである。汗だくになった。
 さらに、動けない患者を抱いて銭湯の浴槽のようなやや濁った水をたたえる大きな水槽のもとへ連れて行って、立たせて服を脱がせ、水をかけ、石鹸で身体を洗う。おしりには、へばりついたものがゴワゴワになっていた。左手で身体を支えたまま頭から水をかけ、自分もずぶぬれになる。仕事は、洗濯、食事の準備、食べる手伝い、後かたづけと続く。巨大な米袋の運搬もした。かなりの肉体労働である。かぶった水と汗とで全身はずぶぬれ、靴の中はくちゅくちゅ水音を立てている。だが、裸足になる勇気はなかった。
 何人もの身体を洗い、服を着替えさせるために動き回っていたら、床に坐りこんだ一人の老人と目が合った。目がしきりに何かを訴えている。髭を剃ってほしいことが分かったので、カミソリを借りてきた。錆びて刃のこぼれた使い捨て安全カミソリである。水と石鹸と切れないカミソリ。頬をなでながら丁寧に剃った。老人は目をつむり、あごを突き出し、「気もちいい」という表情になった。
 その時、私は、不思議な感懐にとらわれ、目頭が熱くなった。口の中でくりかえしご神号を唱えた。金光大神さまの髭を剃らせていただいている、と実感された。マザー・テレサは、「あなたはこんなにも神さまに愛されているんですよ、ということを示すために、また死にゆく貧者の姿をしたキリストを愛するために、『死を待つ人の家』の実践を何十年も続けてきた」という。私は、肉体化した金光大神さまの髭を剃らせてもらいながら、至福の時を過ごしていた。このボランティアの体験を通して、マザーテレサという人に本当に出会ったんだ、と感じた。
 その日の奉仕が終わり、「死を待つ人の家」を出て、快い疲労感にふわーっと雲の上を歩くような感覚で、左右にスラムを見ながら、時々うしろをふり返ってタクシーを止めようとしていると、黒塗りの乗用車が止まった。会社の重役風の運転手が「乗れ」という。どういうわけか、ホテルの近くまで送ってくれるという。
 その車がホテル近くの信号に止まったとき、なんということであろうか、夢にまで現れたあの赤子を抱いた物乞いの母親が、すぐそばに立って、昨日と同様、口にものを入れる仕草をして手を差し出しているではないか。私は、「有り難うございます」と窓を開け、今度はすかさず小銭を母親の手に握らせた。彼女は合掌した。私も合掌した。