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モロの部屋
モロ先生からのメッセージや行事の様子などなど、随時更新して行きます。
お楽しみください。
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道行く人へのメッセージ

講演録
南風に吹かれて


金光教は、すべての人が助かってほしいという天地の神の頼みを受けて教祖・金光大神が幕末の1859年に取次を始めたことから起こりました。
その教えは、人間は天地のはたらき(神の恵み)の中に生かされて生きており、その道理に合った生き方をするところから、幸せな生活と平和な世界を築くことができる、と説いています。
世界の平和とすべての人の幸福、一人ひとりの人生の成就を願って、この教会はすべての人に門戸を開いています。いつでも自由にお入りください。
南風に吹かれて

ベイルート(下)

 地中海を東へ旅すると一番奥のどん詰まりにレバノンはある。海から急に聳え立つ山の頂きは冬には雪をすっぽりとかぶる。眼下にベイルートの美しい街並みと地中海を望む山の中腹にレストランがあった。心地よい穏やかな風が肌を撫でていく。十六年間の内戦にもかかわらず、フランスの影響をうけて洗練された味のレバノン料理を守り続けた人たちがいることに驚嘆した。
 内戦は一九七五年に始まった。最初はパレスチナ住民とキリスト教徒との戦いだった。それが、キリスト教徒とイスラム教徒、遂にはキリスト教徒同士の殺し合いにもなって、レバノンは対立と分断でずたずたになった。宗教対立がそのまま戦争になった典型例である。長期の内戦は文化遺産も経済も教育も生活環境も何もかもぼろぼろにしてしまった。そうした中、NGOが戦時中から地道な活動を続け、貧しい人々をささえた。
 私たちを迎え入れてくれたPMPというNGO(非政府組織)は、内戦のもっとも激しい中でも休まなかった唯一の団体だ。お互いに無線をもち、きょうはどの道が安全か連絡をとりあったり、安全な家に泊まりあったりして連帯を強めた。レバノンの主要な病院はどこも戦闘の前線に位置していたため閉鎖されていたが、PMPはオフィス前に土嚢をつみ、地下室を救急治療室にした。そこへ医者をひっぱってきて、原始的な治療だけれども、激戦のさなかでも手術や治療ができた。
 PMPの代表イッサム氏は、しばしば電気の途絶えるホテルの食堂で、レバノンの現況を語ってくれた。話の途中で声をひそめて次のように言った。
 「レバノンは、シリアの軍事介入以来、大統領の実権は奪われた。レバノンの政治的な決定はかれらによってなされており、この国の将来は明るくない。停戦合意によりシリアは撤退することになっているが、そのあとの方がもっと問題は複雑になる。政権はシリアの傀儡になるからだ。これ以上のことは危険でここでは言えない」といって、周囲を見渡した。レストランのボーイたちが遠巻きにわれわれを見ている。どこにその筋の目や耳があるか分からないのだ。  
 レバノン滞在中、ずっと緊張感がみなぎっていた。翌日、バスは、激戦で蜂の巣のようになったダウンタウンをあとにして南へ向かった。幹線道路は一キロほど毎に土嚢を積んだシリア軍による検問所があり、機関銃が向けられていた。訪れた郊外の村は地雷がいっぱいで一ヶ月前まで立ち入り禁止だったという。キリスト教同士の戦いで、多くの家はダイナマイトによって破壊された。
 ダイナマイトで壊された石の家を修復するのは厄介な仕事だ。最初に資材提供など少しを手伝い、あとは自分でするように仕向ける。農業用の種などを与え、自立へ向けて援助していく。家が住めるようになると、まずは母と娘が帰り、様子を見て老父が恐る恐る戻る。安全が確認されると兵隊に取られる年代の息子が帰ってくるという。人を救うはずの宗教がこのように人間や共同体を殺傷破壊するという現実に心が鉛のように重くなった。
 イッサム氏が、「国際世論の圧力で、ようやくシリアの撤兵が始まる。イスラエルの侵攻も減るだろう。軍を削減することが大切だ」と言ったので、「平和実現のためにね」と私が言うと、うなずきながらも「独立のためにだ」と鋭いまなざしで返してきた。「独立」という思いもかけぬことばに、私はたじろいだ。独立あっての平和なのか、と思った。自由と独立のない平和はまやかしだ、と言わんばかりの眼光であった。