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モロの部屋
モロ先生からのメッセージや行事の様子などなど、随時更新して行きます。
お楽しみください。
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道行く人へのメッセージ

講演録
南風に吹かれて


金光教は、すべての人が助かってほしいという天地の神の頼みを受けて教祖・金光大神が幕末の1859年に取次を始めたことから起こりました。
その教えは、人間は天地のはたらき(神の恵み)の中に生かされて生きており、その道理に合った生き方をするところから、幸せな生活と平和な世界を築くことができる、と説いています。
世界の平和とすべての人の幸福、一人ひとりの人生の成就を願って、この教会はすべての人に門戸を開いています。いつでも自由にお入りください。
南風に吹かれて

ベイルート(上)

 ベイルート発ーー子どもの頃、ラジオから流れるニュースでしばしば耳にしたなつかしい響きの地名である。今にして思えば、イスラエル建国直後から数次にわたって起きた中東戦争の状況を伝えるニュース発信の拠点だったからに違いない。戦争状態は半世紀以上を経た今日も終わることなく「エルサレム発」で伝えられており、何ともやりきれない思いにさせられる。
 湾岸戦争直後の1991年夏、レバノンの首都・ベイルートの空港に降り立った。ターミナルへ向かうバスの中で女性の空港職員が日本人グループのわれわれを見て、「乗り継ぎの方はバスを降りたら右へ行ってください」とくり返した。乗り継ぎではなく、ここで降りるのだと説明するとビックリして、「本当?本当?本当にベイルートに来てくださったの?ありがとう。ウェルカム!」と喜びをあふれさせた。16年間の内戦でずたずたになったレバノンで戦火が一応おさまったのは半年前のことである。日本人の団体観光客がベイルート入りしたことを知ったら、レバノンにも平和が来たんだということを世界中の人が知って、来てくれるに違いないというのである。
 われわれの訪問目的は現地NGOの視察である。しかし、この時の訪問は余りに無謀で危険すぎるとの声がしきりにあがったらしい。入国前に3人1組チームが組まれ、家族ということにした。行動するときは一時もお互いから目を離さないように、と厳命された。ここでよく西欧のジャーナリストが誘拐されている。ベイルートはレバノンのイスラム教シーア派政治・軍事組織のヒズボラの拠点のあるところだからである。入国審査の際、兵士が銃を構えていた。銃口を突きつけられて尋問をうけるのはあまり気持ちのいいものではない。
 空港にはPMPという現地NGOが、ベイルート中を探してやっと見つけたという遊園地に似合いそうなカラフルでクラシックなバスを用意していた。今回のわれわれの訪問のために、女性ながら歴戦の闘士といった風貌の元PMP責任者が現任地のアメリカからやってきてわれわれに随行し、安全確保の万全を期した。
 バスが空港を出たとたんに眼前に広がる光景に目を奪われた。何たることだ。ビルというビルがハチの巣のように弾痕でボロボロになっている。ここまでの破壊のためにどれほどの砲弾や銃弾が発せられ、どれほどの血が流されたことか。
 年輩者がおしっこがしたい、という。「ガマンできませんか?」「すみません」やむなくバスを道の脇へ寄せ、「地雷があるので道からあまり外れないでください」と注意を受けてかれは下車した。近くにいた兵士がカシャッと銃口を向けた。
 バスはカトリック修道院にわれわれを降ろした。大広間でお茶とお菓子の接遇をうけ、私たちはそこでくつろいだ。その光景をほほえみながら眺めていたスタッフのうち、一人の修道女が、「ねえ、見て。何てすてきなの。なんて平和な光景なの」と首を横にふりながら、この世の宝物を見つけた子どものような笑顔で仲間に語っていた。かれらの反応に、これまでの日常がいかに悲惨であったかがよみとれて胸が痛んだ。
 そして、ダウンタウンに行ったときには、その戦禍の壮絶さに息を呑んだ。ホテルから一歩でも一人で出たら命の保証は出来ないと言われていたが、こっそりとベイルートの絵はがきを買いに走った。中東のスイスとも、中東のパリとも言われたベイルートの絵はがきの美しい光景と余りにも変わり果てた瓦礫の山に、発すべきことばもなかった。