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講演録
南風に吹かれて


金光教は、すべての人が助かってほしいという天地の神の頼みを受けて教祖・金光大神が幕末の1859年に取次を始めたことから起こりました。
その教えは、人間は天地のはたらき(神の恵み)の中に生かされて生きており、その道理に合った生き方をするところから、幸せな生活と平和な世界を築くことができる、と説いています。
世界の平和とすべての人の幸福、一人ひとりの人生の成就を願って、この教会はすべての人に門戸を開いています。いつでも自由にお入りください。
講演録

大天地 小天地

田 中 元 雄 

 以下は、講演録をまとめて1998年に発行したものです。内容は当時のままです。


目 次

はじめに

一、日常が揺さぶられた
 阪神淡路大震災
 被災した信奉者 ー怪我がおかげー
 サリン事件

二、金光教は人間解放の宗教
 あたりまえ
 ほどきの宗教
 困るということのない生き方

三、ジャーナリストの見た金光教
 @長部日出雄氏「庶民的で、具体的」
 A保阪正康氏「神と人とが『あいよかけよ』」
 BビッグA「自然のいのちを重んじ、神人一体の境地を説く宗教」
 C山口文憲氏「非画一主義」

四、世界・人類の難儀と向き合う
 南北問題
 ボートピープル
 飢餓

五、五本の指
 中東の対立矛盾−−共生
 世界が金光教を求めている
 多様性の一致=「違うから良い」

六、マザー・テレサに会う
 マザーテレサ
 死を待つ人の家
 生神金光大神さま

七、われひと共に助かる
 食べることから人類を思う
 人を助けて神になる

おわりに


はじめに

金光大神の開かれた道、それは人間解放の道である。
 人間は、天地の子。天地から肉体と魂とをさずけられてこの世に生をうけ、天地の道理に合う生き方を進めることによって、その全き人生を成就することができる。
 深遠にして広大な大天地と、その同根たる小天地・人間とが響き合う世界、それを生みだすことが金光大神の信仰である。
人間は、心の内側にみずからをしばる縄をもち、外側に人間を抑圧する社会構造という鎖をもっている。そして、内から外からがんじがらめに縛られている。そうした桎梏を断ち切って、自由の天地にはばたくこと、お互いに助け合って平和な世界を築くことを求めているのが金光大神の道である。そうすることによって、人間が人間らしく生き、自然と調和して、すべてのいのちが大切にされる共生の世界を形作ることができるのである。

一、日常が揺さぶられた

阪神淡路大震災

 一九九五年、私たちの日常を根底からゆさぶる大事件が二つあった。一つは阪神淡路地方をおそった大地震であり、もう一つは地下鉄サリン事件などオウム真理教関連の事件である。両方ともおおぜいの人が傷つき、亡くなった。
 地震の後ほどなく、私は二度ほど神戸に赴いたが、家というものがこんな壊れ方をするのか、とびっくりした。木造家屋がマッチ箱のようにひっくり返り、二階屋の一階が圧縮されて一階建てのようになり、大きなビルに鋭い亀裂が走り、ずれていた。
 炊き出しで道行く人に温かい食べものを提供しながら、被災者から、生まなましい話を聞かせてもらった。中には、「何もかも失ってしまったんです。なぜ私だけ?」と止めどもない涙を流しながら訴える人もあった。あちこち崩れているが、たしかに隣近所ではその中でも暮らせる人の方が多いのである。
 ある商店主は、自宅も店も潰してしまった。「たいへんですねぇ」と慰めにもならぬことばをかけると、「いえ、一番大切なものが残りましたから」と笑顔を返してきた。「家族というかけがえのない大切なものが」と。同じような事態でも、うけとめ方は人さまざまである。
 まだ、みなが防塵マスクをして歩いているなか、寝袋をかついでカトリックの被災者救援センターの責任者をしている神父を三宮の教会に訪ねた。かれは日ごろ釜ヶ崎のあたりに二十人ほどの人と一緒に住んでいて、廃品回収をしている。湾岸戦争直後に中東へ同行して以来のつきあいで、釜ヶ崎で泊めてもらったとき、一緒にデモったり、ホームレスの人のために夜の巡回をしたことがある。
 多くの若者が震災ボランティア活動をし、多忙な一日が暮れて、ざこ寝をする時にはもう夜中になっていたが、眠りにつく前に酒を酌みかわしながら、地震直後の話を聞かしてもらった。
 神父は言う、「震災直後の最初の三日間、人間はみな、すばらしい本来の人間にたち返った。会う人ごとに『生きててよかった』と手を握り、肩を抱きあう、そんな感じだったんだよ」と。地震のため鷹取町教会が倒壊したという情報が入ったので、大阪をバイクで飛び出した。ガス欠で途中から歩いた。道中、公園で休んでいると、「これ、どうですか」と隣の人がパンをくれた。ちがう方からは水をよこしてくれた。この神父、キリストのようなヒゲを生やして髪はぼさぼさ、よれよれシャツにGパンといういでたちで、一見ホームレスである。震災直後は、ホームレスも外国人もない、みんな人間として、いのちを共有する仲間として、「生きててよかった!」とただそのことを喜び合える純真無垢な世界にあったというのである。それが、数日のうちに、みな、良くも悪しくも、しだいに元の自分に戻っていった。

被災した信奉者 ー怪我がおかげー

 大震災のとき、夫の転勤で半年前に芦屋に引っ越したK子さんが、腰骨を粉砕骨折して入院した。親子三人は頑強なマンションに住んでいたが、彼女は、ズズーンという下から突き上げる揺れと共に落下した和ダンスで大怪我をしたのだ。一週間は芦屋の市民病院の廊下にいた。芦屋の惨状もひどいものだった。運びこまれるけが人がつぎつぎと亡くなっていき、夫と娘さんは患者をはこぶ手伝いなどしていた。本人は結局一週間なんの治療もしてもらえず、ここにいるよりもと、救急車で大阪の病院へ運ばれた。
 大阪で診てもらって、「これで下半身にマヒがないなんて奇跡だ」と医師は驚嘆した。太いベルトで腰を吊り上げて寝かされ、絶対安静の四十五日間を耐えた。震災後二週間して私が見舞いに行ったとき、驚いたことに、Kさんは「何もかもおかげです」とにこやかに一部始終を語ってくれたのである。そして、「手術しないですむように神様がきっと守ってくださいますわ」と涼やかな、しかし確信にみちた声でいう。そして、まさに下半身不随の危機からの奇跡的復活をなしとげた。その間、彼女の神様への信頼は微動だにしなかった。
 一年以上の入院を言いわたされたのに手術なしで三ヶ月で退院した。一生車椅子の生活もありうるというのに、今ではコルセットをはめ、杖をつきながらも海外に出かけるほどである。娘が医師からこう言われた。「お母さんの体は不思議なんだよね。ふつうならどんどん悪くなっていく状態なのに、どんどん良くなっていく」と。そして、粉微塵になった骨が、バリアーが張られたかのような、隣接する神経の束を、とり巻くようにして一片も触ることなく散在している。そのレントゲン写真を見ながら、医者が「なんて不思議な骨折のしかたなんだろう」と見入っていたという。
 夫も娘もその一部始終を見届け、「神さまっておられるんだねぇ」と感嘆の声を上げた。そして、それまで自分から教会へまいることのなかった夫が、寸断された鉄道を大きく迂回して、ご本部にお礼参拝した。お礼申さずにおれなかったのである。
 Kさんは、病院で、看護婦の卵たちから「お母さん」と呼ばれて慕われるようになっていた。彼女の部屋は他の部屋とどこか空気がちがう、と看護婦とその卵たちが噂し始めたようだ。ある深夜のこと、看護婦見習いの一人が部屋に忍んできた。彼女は、「おかあさんはみんなから、どこかちがうと言われています。リハビリの担当医は、『金光教の信者だからじゃないか』と言ってますが、ほんとうですか」とたずねた。医師が枕もとの教典や金光新聞を見たらしい。Kさんは「そうなのよ」といって、天地の神様の話、金光教の信心の話をした。未来の看護婦は目を輝かせて聴き入ったという。
看護学校へ通う彼女たちのなかには、「もうやめて郷里へ帰りたい」という子も出てくる。すると仲間たちから、「おかあさんのところへ行って話を聞いてもらいなさい」と押し出されるらしい。「話をすませて部屋から出ていくとき、『じゃあ、もう少し頑張ってみるわ』と元気を出してくれたんですよ」とKさんはいかにもうれしそうに語った。
 二度目の見舞いをしたとき、彼女は、「神様は私のこのからだを通して、みんなに神様のお働きをありありと見せてくださいました。また、こんな体なのに病院にいる方がたのお役に立つ御用に少しでもお使いいただいてこんなに有り難いことはありませんわ」とチャーミングな笑顔を見せてくれた。

サリン事件

 平和な日常が突然に殺戮の場になる、なんともおぞましい事件が起きたものだ。大都市における無差別大量殺人、それも宗教の名において行われるなんて。
 そして、一九九七年、酒鬼薔薇聖斗を名のる少年による殺人事件をはじめ、社会不安をあぶり出すような事件が続いた。これからも続くであろうことを予感させる時代の空気である。こうした心の空白を埋めることができないもどかしさを感じる。
 このような時代社会の不安は、南北問題と無関係ではないのではないか。
 一方の南の国に飢餓と貧困があり、他方の日本など北の国に豊かさゆえの病がある。社会全体が病み、一人ひとりの心が蝕まれている。何のために生きているのかがわからず、生きていること自体がつまらなくて、自分がいったい何なのかが少しも見えない。そんななかで、いのちなどどうでもよく、他者と共に生きることなどどうでもよく、なんでもありだ、という自暴自棄のような情況が、豊かさゆえに生まれてきてしまった。

二、金光教は人間解放の宗教

あたりまえ

 われわれの生き方を縛りつけている価値観から解放されることが、心豊かな暮らしへの道である。私たちを強くしばりつけているものに、貨幣価値第一主義がある。すべてのものの値打ちをお金で計る病気である。
「このゴッホの絵、いいだろう」「よくわかんないわ」「バカ、五十億円もするんだぞ」「じゃあ、いい絵ね」なんて言ったりする。人間の値打ちは計り知れないものがあって、どんな人でも、その人でなければならない存在価値があるはずなのに、どれほどその人が金を生み出すかによってランクづけられる。そのために受験戦争や出世競争が過熱する。

 TVコマーシャルに「もっと、もっと」とあおるのがあった。欲望の限りなき追求、これは人を破滅に追いこむ。社会の進歩には追求心が必要だが、人間の生き方としては、「足るを知る」ということ、いま自分がどれほど恵まれているかということを知って満足し、感謝することが大切である。
 震災被災者たちは、水が出たとき、異口同音に「ありがたい」と叫んだ。
 「有り難い」の原義は、有ることが難しい、滅多にないこと、である。水があるのをあたりまえだと思っている。それが、実はあたりまえではなかった。有り難いことだった。
 「もっと、もっと」病から解放される道。それは、受けているおかげを悟り、真に喜ぶことだ。震災被災者たちは、悲惨に見えるが、「もっと、もっと」病からは解放されているように見えた。みんな、「もう余計なものは要らないと思うようになりました」と言った。極限からみると、私たちはもろもろの粉飾に惑わされ、よけいなことで悩み、不必要な物をためこんだりしているのである。

 ある震災被災者は、「電気も水もこない中で、生活は不便でたいへんでしたけれど、ふだん顔を合わせても口をきくことのない人たちと語り合って、助け合って、何か自分自身が生きいきとしてきて、うれしかったんです」と語った。身のまわりにあふれている物がそぎ落とされてみると、何かスッキリとして、なま身の人間同士が「助け合う」ということができて、皆がみな生き生きしてきたのだという。物が潤沢にあるということが「生きいき」を奪っているのだとしたら、皮肉な話である。

 一九九七年、バブル経済崩壊が日本社会全体にさまざまな形をとってあらわれた。大型企業倒産に人びとは驚いた。社員とその家族たちは路頭に迷わされることになった。だが、ある証券マンの妻は言った。「しあわせとは何なのか、ということがよくわかりました。本当の幸せとは、海外旅行をすることでも、高級なレストランで食事をすることでも、何か楽しいところへ出かけることでもないんです。家族がそろって、元気で、笑いながら食卓をいっしょに囲めるということなんです。今まであたりまえと思っていたことこそが、もっとも大切なことだったんです」と。
 金がなければ不幸せ、旅行に行けなければ不幸せというとらわれから解き放たれてみると、日常のさまざまなあたりまえが幸せの源泉だった、幸せそのものだったということに気づくのである。

 「あたりまえ」という詩がある。癌を患って、死と直面することによってつかみ取った人生の真実が描かれている。

あたりまえ
こんなすばらしいことを、みんなはなぜよろこばないのでしょう
あたりまえであることを
お父さんがいる
お母さんがいる
手が二本あって、足が二本ある
行きたいところへ自分で歩いてゆける
手をのばせばなんでもとれる
音がきこえて声がでる
こんなしあわせはあるでしょうか
しかし、だれもそれをよろこばない
あたりまえだ、と笑ってすます
食事がたべられる
夜になるとちゃんと眠れ、そして又朝がくる
空気をむねいっぱいにすえる
笑える、泣ける、叫ぶこともできる
走りまわれる
みんなあたりまえのこと
こんなすばらしいことを、みんなは決してよろこばない
そのありがたさを知っているのは、それを失くした人たちだけ
 なぜでしょう
 あたりまえ
             (井村和清著『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』より)

 シナリオライター・田井洋子さんの作品のなかに、「今日一日が無事だったら、飛び上がって喜べ」というせりふがあった。金光大神の教えがそのまゝ主人公のせりふになったのである。
 日本社会学会会長をしていた宗教社会学の権威者・森岡清美博士は、「私は、『金光教教典』の中の、「神のおかげは受け通し」という言葉が大変好きでして、自分の願ったことを聞いてもらうだけがおかげとは限らんという、このおかげの考え方に、私はいろんなことがあって悩んだりしますときに、それでずいぶんと救われる思いがするんです」とおっしゃっている。
 教典には、「だれでも、不幸災難に遭うて困りきっておる時に助けてもろうたのは、このご恩、このおかげを一生わすれられるものかと言うが、日に日に授かっておるおかげは、案外みんな知らずにおる。神様のおかげは、生きておるから死んだからじゃないぞ。いつも受け通しぞ」(尋求教語録 90)とある。
 金光大神の教えにはそうしたおかげ観が多く、「痛いのが治ったのでありがたいのではない。いつもまめなのがありがたいのぞ」(金光教祖御理解 46)もその一つだ。さらに、思い起こすのは、「お天道様のお照らしなさるのもおかげ、雨の降られるのもおかげ、人間はみな、おかげの中に生かされて生きている。人間は、おかげの中に生まれ、おかげの中で生活をし、おかげの中に死んでいくのである」(利守志野伝)とのみ教えである。人生には、太陽の光を身いっぱいに受けるように順風満帆のときもあれば、嵐の中のように厳しい試練のときもある。山のときも谷のときも、すべておかげであって、丸がかえに生かされているのである。
 信心のおかげは、今が今おかげをうけている、ということに気づくことなのである。

ほどきの宗教

 ある宗教研究者が、「宗教には、しばりの宗教と、ほどきの宗教がある」と言った。いまの新宗教は、しばりの宗教だらけだが、金光教は、徹頭徹尾ほどきの宗教≠ナある。ほどく、すなわち心を解き放すことによって、大天地に生かされていること、大天地=大宇宙と根っこのところでつながっている小天地=小宇宙たる自分であることを発見することができるのである。

 人間は、さまざまな桎梏に呪縛され苦しんでいる。しばりつける要因は、心の内側にもあるし、社会的な制度、しきたりや因習、タブーなど、いわば社会の構造にもある。
 金光大神さまは、私たちを、あらゆる束縛から解放して、真に自由な世界へといざなわれた。問題があると、教会へ参り、お取次を願う。心に何か引っかかっているものがあると、それを解きほぐして、真実の道へと向かわせる。「取次」は、神と人とを結び、人間を解放するのである。
 人間解放といっても、ルネッサンス期における神の奴隷からの解放と同じではない。自由、平等、博愛、正義のもとに、たしかに人間は中世の呪縛から解放されたが、人間が神を否定し、人間が神にとってかわるという人間中心主義が、今日の、恐怖と不信と不安にみちた、無秩序で、自然を抹殺しようとする行き先の見えない世界を作ってしまった。
 金光大神さまの説かれた人間解放は、人間を内外の呪縛から解き放つことによって、万物を生かしてやまぬ大天地のはたらきそのものたるいのちと、わが内なる神とがはたらき合うこと、そして世界が調和することをめざしたのである。

 『金光教教典』を繙くと、「神を杖につけば楽じゃ」というように、「〜すれば楽である」との金光大神の教えに数多く触れる。先入観、固定観念、世間の常識、制度、しがらみ、因習など、われわれは様々なしばりに縛られている。それを、金光大神さまは、広い天地を見よ、悠久の時を考えよ、広く、大きく生きよ、と教えてくださっているのである。
 「たとえ、この身は八つ裂きの仕置きにあい、村々辻々にさらし者となるようなことがあっても、私の屋敷跡に青草が生えるようになっても、少しもいといません。世界の氏子が、生神金光大神、と真心で一心に願えば、どのような願い事でもかなえてくださいませ」(伝承者不詳)とまでの熾烈な取次をしておられながら、「神様を信ずる者は、何をするにしても遊ばせていただくのである。広前の奉仕で遊ばせていただき、商売でも農業でも遊ばせていただいているのである。みな天地の間に、うれしく、ありがたく遊ばせていただいているのである」(近藤藤守伝)と、何とも気宇壮大な世界観、人生観を示してくださっているのである。

 塩飽きよという人が、ある時、「私は長らく信心させてもらっていますが貧乏で困ります」と金光大神さまに申しあげたら、「貧乏といって、食べない時があるか」とおたずねになった。「いや、食べられないことはありません」と申しあげたら、「いくら金や物を積み重ねていても、食べられないことがあってはどうにもなるまい。まめで麦のご飯が食べられれば、それが分限者ではないか」と仰せられた、ということである。
 貧乏で困る、と思っていたが、いくら金を積んでも、食事ができぬ大病であったとしてみよと、ものの見方の転換が促されている。麦飯が食べられれば、財産家だと言ってもよい、とまで言い切って、人間にとって何が大切なのか、ということへと思いを至らせている。このことにより、きよさんは「貧乏で困る」というとらわれから解放されたのであろう、この教えを何十年も後になって人に伝承したのである。
 信心は観点の転換である。外向きについているわが肉眼をもって、外的な世界を見、世俗的な価値観で己を見る自己中心的な閉ざされた見方から、天地の目で、自己を内省させる開かれた見方へと転換させるのである。

困るということのない生き方

 いまではお道も世界へ広がって、外国人が毎年金光教の研修をしに来るようになった。その中に、若いアメリカ人女性のMさんがいた。
 「金光教の信心をすることによって、今までしばられていたものから、広い天地に解放されました」という。それまで、信仰するということは、毎週日曜日の礼拝には参らなければならない、懺悔では必ず自分の犯した罪を三つ告白しなければならない等の定めがあって、それを破ると地獄に堕ちる、と教えこまれたという。
 ひと頃、マインド・コントロールということばがマスコミをにぎわせた。人格を、ある枠で囲いこんでしまい、外部から、操作することをいう。
 金光教の場合は、同じマインドを使っていうなら、コスミック・マインドである。つまり、天地の心である。人間がつくり出すあらゆる囲い、枠をとりはらって、天地の心になること、天地の道理に生きること、それが救われるということだし、信心することだと言ってもいい。Mさんは、そういう自分を解放してくれる金光教に出会えて本当によかった、と心から喜んでいる。

 そのMさんが、のれんをプレゼントしてくれた。簡単な刺繍で、緑色の糸で漢字の「木」という字が茶色の四角い箱で囲まれている図柄だ。これを見たとき、私はすぐ一つのみ教えを思いだした。矢代代次氏の「困るということのない生き方」という次のような話である。
 「困るという字は木が箱で囲われている。箱がじゃまになって伸びられない。この囲いを取ってしまえば木は自由に天に向かって枝を伸ばすことができる。人間が困るというのも、こういうような姿だ。『我』という囲いが人間を小さな所へ押し込めて、難儀な目に遭う。『我』という囲いを破ると、そこから天地へ通じる通路ができる。急いで出かけようとしているときに電話が鳴る。困る。走って駅まで行ったときに電車が出てしまう。これも困る。それは、近視眼的な目で見るから困るのであって、大きな天地の目で見れば、取るに足らない、小さなことだ、と思いわけることができる。どうでもよいことだ、小さなことだ、このように見ることができる目をもつことによって、難儀をしていても難儀でない、困ったことが起きてきても困らない、そういう生き方ができていく。それが、金光教の救いなのだ」
 そういう話である。Mさんは、きっとこの話を聞いて、のれんを作ったに違いない。

 「我」という囲いを外すとそこから天地へ通じる通路ができる。無限に大きい神様と一体になることができる。解放によって、大天地と小天地とが、一つの根に結ばれるのである。

 教会に毎日参拝してくる青年信徒が悩みを訴えた。
 「先生、どうにも鼻がすっきりしなくて頭が重くて仕方がないんです。どうぞおかげ受けさせてください」と毎日参ってきては、同じことを取次願っていた。ところがある日、「会社で上司が、ぼくのことだけ意地悪するんです。会社に行くのがイヤになっちゃいます」と訴えた。来る日も来る日もそのことを願うので、「ところで鼻の方はどうですか?」と聞くと、「いえ、今はそれどころではないんです。会社のこと、つらいのでおかげください」という。ところがある日、「会社で好きな娘ができました。その娘がぼくに気がありそうなそぶりを見せながら、他の男の人とつきあっているんです。毎日が苦しくてたまりません」と訴えた。だんだん食事ものどを通らないほどになっていく。「ところで、会社の上司のことは?」「いえ、今はそれどころでは…」

 ひとつの痛みを忘れるために、もっと大きな痛みを必要とするのではなく、その痛みは、大難を小難に逃れさせてくっださったのかもしれないし、気をつけなさいという神様のお気づけなのかもしれないし、おかげを受けているからこそ痛いことが分かるのだ、と受けとめることもできる。いっさいを、神様との関係の中でそのことを受けとめていくところに助かりへの道がある。

三、ジャーナリストの見た金光教

 ある雑誌の座談会で一緒になった巨大新宗教教団の幹部の方が、一九九二年、前教主の教葬にぜひ会葬させてほしいと、宗教ジャーナリストの梅原正紀氏を通して申し入れてきた。梅原氏と共に会葬されたが、後日、お礼状の中に葬儀の感想を寄せてこられた。「簡素で宗教性が高く、非常に深い感銘をうけました。私どもの教団がこのようになれるにはまだ五十年はかかるだろうと思われました」というものだった。
 その種の感想はたくさんあって、金光教は、教外において、ひじょうに高く評価されているのである。
 ここでは、ジャーナリストが本教のことをどのように見ているか、以下に四つほど紹介してみたい。

@長部日出雄氏「庶民的で、具体的」
(現代の心『金光教』/旺文社 一九八七年四月)

 「津軽じょんから節」などを書いた作家の長部日出雄氏が金光教本部へ参って、その印象記を書いている。タイトルは、「世にもめずらしい宗教」というもの。

 金光教の教義は、唯一神の絶対性があまり強くなく、したがって独善性も希薄で、柔軟性に富み、理性的で、庶民的である。
 世界中の宗教が、神を絶対者とし、超越的な存在とする考え方のうえに成り立っているのに、たがいに相より相かかわるという相対的な「関係」のなかに、神と人の結びつきを認める金光教の教義は、画期的なものといっていいのではないか。そして恐らくこれは、いまの世界思想の最先端とも一致する考え方であるはずだ。

 ここでは、神観の独自性を言っている。神と人、人と人、人と社会とが、あいよかけよではたらき合う関係において、人間が助かり、万人が幸福になり、世界が平和になり、万物が調和を保つという教義は、一般の言葉でいえば「共生」「平和」「調和」ということになろう。
 神を唯一絶対の支配者と考える考え方、あるいは人間こそが宇宙の中心と考える考え方、その両極端の中で人類は思索してきた。かつては神絶対の世界観だった。いまや人間中心の思想が支配的である。神の支配からの脱却をめざして、人間中心主義が生まれた。ヒューマニズムとは、中世ヨーロッパにおいて神の奴隷だった人間を解放するための人間中心主義の思想のことだと聞いたことがある。ところが、科学の発達は、あらゆる対象物を微に入り細にわたって分析したけれども、宇宙や人間を分断し、全体性を見失ってしまった。意味喪失をさせてしまった。「ここはどこ? 私はだれ?」と問わなければならなくなった。アイデンティティ喪失である。長部氏は、「そこで、支配者、絶対者ではない、人間と共にあり、人間と共に助かる神を説く金光大神の出現の意味があったととらえることができる」というわけである。
 金光教の特徴について次のように言っている。

飄逸味を帯びたユーモア、余裕と奥行きを感じさせる懐の深さ、抑制のきいた平常心、芯に秘めた人間としての潔癖性といささか狷介な気質、そしてつけ加えれば、庶民性と具体性。

 そして建物の印象について、

会堂の内部は、清潔感と開放感にあふれていて、宗教につきものの薄暗さと窮屈さ、薄気味の悪さやかびくささは少しも感じられない。
天地金乃神と生神金光大神を正面に奉斎した空間には、緊張感のこもった厳粛な雰囲気があり…

 金光教の救済の形式として独自性をもっている「取次」については、次のように述べている。

 金光教の生命が、教祖が説いた教えそのものにあるのは勿論だけれど、もうひとつ、本部および各地の教会で取次を行なう人の信仰の深さ、人格的な魅力、包容力や想像力など、個人的な条件にもかかっている。それこそは宗教本来の姿なのだが、取次者が力を失えば、教会あるいは教団も力を失うのだから、これはじつにシビアーでスリリングな存在の仕方だ。

 まさに、シビアでスリリングな存在の仕方なのである。教団全体の力弱さは、取次の救済力の弱まりを反映している。いま、本教教団の根本問題は、取次救済力の復活である。

 金光大神によって説かれ、実現された救いの世界は、個別的で、具体的で、対話的で、しかも大きな世界観の中に統合されている。そんなことを、長部氏は感じ取ったようである。

A保阪正康氏「神と人とが『あいよかけよ』」
(朝日新聞社・月刊「論座」一九九五年八月号)

 ジャーナリズムの取り上げる宗教ものは、おおかたスキャンダルか、売らんかな式のヨイショ記事だ。ちょうど『論座』の創刊号に、保阪正康氏がイエスの方舟のルポを書いた直後のこと、保阪氏と話をした。その時の印象で、同氏は、宗教は人間が生きる上で大切なものであり、そのことにまじめに取り組んでいる宗教に光を当てようとしているように感じた。
 通常、宗教は、現世に対する来世、物質世界に対する霊的世界、ハレに対するケというように、二元的な世界観のうち、目に見えない、ふつうは意識されない方の分野、日常に対して非日常的な世界のことだ、と考えられ、「神」といえば超越的絶対他者がイメージされる。しかし、それほど単純な二項対立的なものではなく、日常性に非日常性を見、現世的なものの中に来世的なものを見る金光教の教義に戸惑いを感じたようだ。しかしながら、宗教という特殊なフィルターを外して考えると、非常に納得しやすい、と得心している。たとえば、本教教義の中心部分について、次のように保阪流にまとめている。

 確かにこの世には、天地万物を生む神がいる。ただし、その神とは唯一神のゴッドではなく、人間もまたその神の下僕ではない。神は人間の心の中にも存在しており、神と人とはいわば横の関係をもつものである。つまり、金光教の教えによれば、「生きる」という荷を神と人間は天秤棒で一緒にかついで、「あいよかけよ」と歩んでいくのである。

 自分が主体的に生きることによって神をも生かすという教えは、僕が抱いていた宗教観とは、かなり違うものではある。……神と人間は密接に結びついているが、別個の存在であり、しかし相互に働きかけあうことで、人間は日常的に神と交流できる。それは何となく、こころと脳との絶えざる働きかけをイメージさせて、僕にはよくわかる気がした。

保阪氏は、金光教のルポを「こころと脳」という主題でくくっている。金光教でいう神と人との関係、それは今までのどのような教義をもってしても説明しがたいと考えたのであろう。それをこころと脳という関係に置きかえて理解すればわかりやすい、と考えたようだ。
 本部を訪れての感想を、

 確かに金光教の教えをみるかぎり、御本体のようなものはさして重要ではないのだろう。神につくられている自分、そして自分の中にもある神という関係だからだ。……その教えからいっても、大伽藍や神殿は不必要なのだろう。

 と述べている。人間を神の被造物とみる見方は一神教的な神と人間の関係論からいって当然であり、一般の人たちがそう受けとめるのはやむを得ないのだろう。新宗教は、壮大な神殿を建設することがあたりまえになっている。それが、金光教のように、御本体とか、大伽藍を必ずしも必要としない信仰、というところに保阪氏は惹かれたようである。そして、教団のあり方については、

 信仰を求める一徹さ、教祖の教えから外れたことへの反省を追求する徹底さ。半端でないのだ。
「時代を見通した歴史的な見方、いよいよ人間にとって何が大切かという信仰的なまなざしが、教団に体質化されるのでなければならない」と記すのである。

 こうした態度は、宗教団体が非寛容になったり、純粋さを誇示しようとするあまり、どんどん実社会からかけ離れていくのを避けようという姿勢の表れなのだろう。

 教団が戦争責任を明らかにすべく、『戦争と平和』という冊子を刊行し、教団が、第二次世界大戦中、国家の戦争遂行に協力をしたことを、金光大神の信仰からの逸脱ととらえ、きびしく自己批判していることを高く評価している。戦時中は、日本中のほとんどすべての教団がおなじ轍を踏んでいるが、教団ぐるみ、明確に戦争責任をあきらかにした教団はあまりない。

Bbig A「自然のいのちを重んじ、『神人一体』の境地を説く宗教」
(ビッグ・エー 一九八四年十二月号)

 『ビッグA』という月刊雑誌は、「自然のいのちを重んじ、『神人一体』の境地を説く宗教」と金光教を表現し、冒頭のリード文では、

この大天地は、みな神様の体であるから、人はどこにいても、神様のおかげでなければ、一日も過ごすことはできない。=i金光教教典)ーーー「神人一体」の境地の中で、自由で創造的な生活実践を通して、神と人ともに「助かる」世界の実現をめざす金光教。

 と紹介した。ビッグAの桜井記者が取材するに当たって、本教にはずいぶんと力を入れて、何度も何度も取材に東京布教センターにやってきた。そして、本教の信仰を、

 「日に日に生きるが信心なり」という考え方により、いつでもどこでもどんな事柄でも神に祈願し、神と共に生きる生活の中にこそ「信心」はその真価を発揮する。信仰者の内面における「神との対話」を最も重視し、…

 ととらえた。そして、教団のあり方について、

ひとりひとりの内面の信心を原点に、謙虚な人間変革を説く金光教の生き方には、饒舌と喧噪の渦巻く現代に対する『静かなる批判の刃』が感じとられた。

 と述べている。教祖百年祭の翌年だから、教団一新をスローガンとする改革が結実したときのことである。教団には熱気が渦巻いていた。それをそのように感じ取ったのだろう。

C山口文憲氏「非画一主義」          (芸術新潮 一九九〇年六月号)

人の見方、感じ方、生き方は百人百様である。本部の大祭を取材したフリーの山口記者は、「金光教の儀式への参加の仕方は何と反画一主義的なのか」と驚きをもって記している。最近の新宗教は大方整然と儀式やイベントをおこなう。数万人もの人が一糸乱れず人文字を描いたり、声を発したりする。その点、金光教のは整然としていないことはないのだけど、なんとなくざわついていて、一人一人の思い入れでそこに参加している、という。
 記者の近くのちょびひげを生やしたおじいさんは、祭典中やおら立ち上がって涙を流して「ありがとうございます」と深々とお礼を言っている。誰かがきてとがめるんじゃないかと思ったけど、そんなこともなく、まわりの人も迷惑がっている様子もない。そうした金光教の非画一的なありかた、一人一人が大切にされている金光教というものに、座布団をもう一枚進呈したい気になった、と書いている。これなど、私の好きな、ジャーナリストのコメントの一つだ。

 高い評価をうける金光教だが、「世界・人類の金光教を創出する」との教団の願いをもって世界の現状をみるとき、どのような課題があるだろうか。

四、世界・人類の難儀と向き合う

南北問題

金光大神さまは、一八六八(明治元)年、神からの指示により、「天下太平 諸国成就 奉祈念 総氏子身上安全」という幟を立ててそのことを日に日にご祈念されていた。世界の平和とすべての人の幸福を祈られたのである。
 その祈りを私たち自身の祈りとしたいものと思っていたが、一九九一年に湾岸戦争がおこった。お茶の間へ戦場の模様が生中継でとびこんできた。人類はなんという愚かしいことをするのだろうと思った。
 平和を祈っても、求めても、戦争が起こる。どうしてなんだろう。そんな思いでいるとき、「宗教者はあの現実を見るべきですよ。一緒に中東へ行きましょう」と他宗教のかたに誘われた。その声に促されて、中東へ二回、カンボジアへ何度も出向くことになる。
 南の国へ行ってみて、世界の難儀には、その基本的構造として南北問題があることを知った。情報化社会の到来とともにグローバリゼーション(地球化)がおこり、地球は一つだ、といわれる。しかし、実際には根本的な分裂があり、豊かな「北の国」である先進諸国と、貧しい「南の国」である第三世界との対立、葛藤がある。南の国の貧困と飢餓は、北の国による搾取によってもたらされたのだ。南の国の犠牲の上に北の国の富と豊満がある。日本をはじめ先進諸国は、飽食とエネルギー浪費の代償として精神的な貧困と病、すなわち不安、孤独、生きがい喪失、アイデンティティ・クライシスに見舞われている。つまり、南の問題と北の問題の根は一つ、同じ構造の裏と表なのである。
 海外援助というが、北の国の人間は、お金をたくさん持っているからかわいそうな南の人たちに恵んであげるのではなくて、本来分かち合うべきだった財産を独り占めにしたこと、搾取したことを恥じ、元へ返すとともに、北の人間が、金を持ったがために失った精神的な豊かさや人間らしい心を教えてもらい、とり戻すためにも、南の国の人たちと交わる必要がある。
 北の国である先進諸国の一つ日本は、地下鉄サリン事件や須磨の少年惨殺事件に象徴されるように、不気味な事件におびえ、人間が心を失ってしまったのではないかとの懐疑におびえ、自分の姿を見失って、社会全体が歪み、病み、息苦しくなっている。そうしたわれわれが抱える難儀を乗りこえるためには、南の国の人々の難儀に向き合い、ともに手を取り合って助け合うほかないのである。

ボートピープル

 『人間の大地』(犬養道子著)に次のような恐ろしい話が紹介されていた。

 日本にも時折やってくるボートピープル。舟とも呼べないような木の箱に鈴なりの人々が大海原を漂って、運のよい人たちだけが船に救助されたり、どこかにたどり着く。そうでない、大方の人たちは、この世の地獄を見て死に絶えるのである。かれらは、もともと農民だったり漁民だったりした。天地の恵みを受けて暮らしていた人たちだ。そこに大国が入り込んできて生活が一変する。ベトナムは多くのボートピープルを出した。
 ボートピープルは、平均して七、八回、海賊に襲われるという。食べものは奪われ、金目の物は奪われ、女性は暴行をうける。数回目になると奪う物がないので、金歯を歯茎ごとえぐっていく。それでも取れないときには、顎ごとナイフでえぐり取るという。
 国連難民高等弁務官事務所の現地スタッフは、一九八〇年にジュネーブで開かれた難民児童をめぐる会議で次のような、おそるべき証言をしている。
 タイ、カンボジア国境周辺の漁村にはよくボート・ピープル、つまり海上難民がたどりつく。漁民からの情報により、難民を探していくと、ある島に焚火をしている集団をみかけた。モーターボートで近づくと、先方もこちらに気づいていっせいに森の奥へ逃げ走った。数人の男たちは、いつでも逃げられる構えをしながらも居残っていた。

「浜に上がった私は、そこではじめて、遠目には焚火と見えたものの正体を知り、驚きと恐怖のあまり、一瞬倒れそうになりました。いくつものすでに腐乱した、人間の死体を焼いていたのです。
 腐乱死体の悪臭と、それの焼ける臭いとは、とてもまともに呼吸できないほどでした。さらに驚いたのは、妙に長く、枝にかけられた衣服と思われたものは、からだのあちこちに突き傷やむざんな切り傷をのこす、縛り首の遺体だったのです。」

 やがて、英語のうまい男が、壮絶な逃避行を物語り始めた。

 一行は中国系ベトナム人だった。一九七五年のいわゆる「解放」後、ベトナムは中国系ベトナム人を弾圧、差別し始めた。かつてナチスがユダヤ人を強制収容したと同様に、法による差別が始められた。そこで、多くのボートピープルが生まれた。
「私たちは一ヶ月ばかり前に舟を入手してベトナムを出ました。百六十人が乗りこんだが、余りにも粗末な木造舟なので、ただ海流に従って漂うというありさまでした。ですから、海賊に見つけられたが最後、逃げ切ることは不可能でした。
 私たちは数回襲われ、身ひとつに辛うじてつけてきた、今後のための財貨のすべてを取られました。
 舟には、十四才、十五才の娘たちも乗っていましたが、海賊どもは彼女たちを手始めに、すべての女性を強姦し、輪姦しました。親や兄弟の眼前で、二人の少女は三十数人の荒くれ男にやられました。われわれがとめるのもきかず、たまりかねて、娘や妹をかばうため海賊どもの前に立ちふさがった親や兄は、たちまち頭を割られ、ナイフでめった切りにされ、海にすてられました」
 そんな話を聞いていたまわりのひとたちは、みな、いまさらに、あまりにむごく恐ろしかった逃避行を思いだし、無惨に殺された縁者たちのことを思い、さめざめと泣き続けました。
 海賊たちはまだこの島のうしろの湾にいるはずだということで、順次避難させようとすると、英語の分かる男が、「ひどい目にあった少女たちが深い洞窟の中に入り込んで、誰がなんと言っても出てこない。ほんとに助かったことがわかれば出てくるかもしれない」というので、洞穴にいってみた。中に呼びかけると、奥の方から、弱りきった、かぼそい泣き声が聞こえてきた。これは、自力では出られないほど弱りきっている、と判断して洞穴の奥に入れる道を必死に探した。ふと気がつくと、岩と岩の間にたまっている水が、赤かった。
「私は不吉を感じました。そして、そして……。
みなさん、私はさまざまのものごとを過去に見てきました。しかし、あれほどに悲惨なむごたらしいものを見たことはありません。
 娘たちは、生きながら食べられていたのです。
 南の海に特有の、巨大な蟹の、そこは棲みかだったのです。生きながら食べられていくという言語に絶する痛みと恐ろしさよりも、可愛そうな娘たちにとっては、海賊のほうが、強姦のショックの方が、はるかに恐ろしかった。だから、抱き合って、もはや泣く力もない状態になりながらも、洞穴の奥に隠れていたのです。
 私たちが、ようやっとの思いで、なんとか岩をつたって、娘たちを助け出したときは……娘たちの膝から下は……白骨でした……」

飢餓

 一九八〇年頃の国連のデータだが、世界には飢餓の人口が五億人に達している。
 ユニセフによれば、五人に一人の割で死亡する、極限に達した五才以下の栄養失調児童が、世界に四億人いる。
 五才以下の児童が、いまこの瞬間にも、全世界で、一時間に一五〇〇人ずつ餓死している。(国連食糧機関その他専門機関 一九八〇年末発表)

 世界には、たった今、世界人口が一・五倍にふくれ上がったとしても、ひとりひとりが十二分に食べていけるだけの食糧があるという。食糧生産が増えた年ほど、飢餓が広がったというデータがあるように、飢餓は、人工的なものなのだ。作られている。われわれが他の人の分を奪っている。日本人が世界中の物を買いあさっている。われわれが彼らを餓死させた、といっても過言ではない構造ができあがってしまっている。
 飢餓は、人口増加、天災によって起こる、と思われてきた。人口爆発をどう防ぐか、ということが飢餓を解決する決め手のように言われてきた。しかし、日本も南北問題を生ずる構造に加担している。私も加担しているのだ

五、五本の指

中東の対立矛盾ーー共生

 中東を訪問したとき、イスラエルに住むアラブの人が、「私はイスラエル人だけどユダヤ人ではない。アラブ人だけどイスラム教徒ではない。クリスチャンだけど多数派のコプト教徒ではない。そのように私という存在そのものが矛盾にみちている。中東という地は、様々な矛盾が入り乱れている場である。そんなこの地で、みんながみんな、自己主張をし、他を排斥したら滅亡するしかないだろう。われわれは、他を認め合い、共存共生する以外に生きる道はないのだ」と語った。
 われひと共に生きる、これが人類にとって不可欠なあり方なのであり、そして今こそその生き方が強く求められているのだ、ということを改めて思わされた。

世界が金光教を求めている

 中東からの帰路の飛行機で、マニラから乗り込んできた子連れの美しいフィリピン女性と隣り合わせた。四年前に日本人と結婚したということだった。「日本での暮らしはうまくいっていますか」と尋ねると、ちょっと考えて、「日本人は親切だけど、冷たいですからね。…それでも、日本にもいいところがありますよ。生活が便利ですから」とさびしい笑顔を向けた。かつて友人の中国人が、「日本に住んでいる中国人は皆、日本人は口はチョコレートだけど、心は冷蔵庫だと言っていますよ」というのを聞いて慄然としたことを思い出した。日本に来る外国人の多くは、日本人の友人ができないまま帰るという。お金にしか魅力がないのだとしたら、日本という国は何とつまらない国になり下がってしまったのだろう。
 世界からみれば、やはり日本人は金持ちだ。しかし、われわれのモノの豊かさは、第三世界の人々の貧しさを踏みつけにして成り立っている。持ったお金のゆえに、「人間」そのものが貧しくなってしまったのだろうか。「世界中の人間はみな神のいとし子」、このすばらしい人間観を私たちの身の回りから実現したいものである。人間は関係の中に生きており、自他ともに生きる世界において、つまり助け合って生きるということの中にこそ幸せを感じることができる。人に尽くすということも、上から下へではなく、「分かち合う」という精神から出発したい。人を助けるということをいうが、実はそうしようとする自分の方が実に多くのことを学ばされ、助けられることでもあるのである。
 共に生きる、というあり方は、「人間」を失いかけているわれわれを泥沼から引き出してくれるにちがいない。

 世界には、大きな断絶があり、その違いを認め合いつつ共存する原理、原則を求めている。
 私たち日本人は、経済価値に画一化され、神喪失、人間性の喪失、という深刻な問題を抱えている。そこへ追いうちをかけるような「宗教」への懐疑。
 今こそ本物が求められているのである。金光教は、神の願い、世界・人類の願いに応えることを、われひと共に助かる生き方の実践ということで応答していくべきであろう。

多様性の一致=「違うから良い」

 金光大神さまは、一人一人がかけがえのない大切な神のいとし子であることを語られた。五本の指の教えは、本教の非画一主義を示している。

 ある人が子供の数が多く、それぞれ性格が違うので困っているとお願いした。金光様はその人に、「五本の指が、もし、みな同じ長さでそろっていては、物をつかむことができない。長いのや短いのがあるので、物がつかめる。それぞれ性格が違うので、お役に立てるのである」と教えられた。(古川この伝)

 どんな人も、神の深い思し召しをうけて、この世に生まれてきた。誰が誰の道具になってよいということはない。能力が劣っているから価値がないということもない。年をとって体が動かないから不必要な人間なのではなく、むしろ徳を積んで人から敬われる存在なのだ。心身に障害があることが、神のいとし子という本質を何ら奪うものではなく、むしろ純粋に光り輝く存在なのである。
 あなたの指を見てごらんなさい。五本の指が、長さも太さも向きも違っている。だからこそ重いものをつかんだり、細かく複雑な仕事をしたり、ものを書いたりすることが出来る。そのように、金光大神さまは教えられた。
 人はそれぞれに違う。違うからこそ、社会はいろいろなものを生み出すことが出来、人間はそれぞれの可能性を伸ばし、助け合い、育て合うことができる。

 人間、○△□、いろいろあるわけで。丸いおおらかな人がいるから、世の中明るい。三角の鋭敏な人がいるから、ずば抜けたことが出来て世の中を進歩させる。四角く真面目で誠実な人がいるから、新幹線も時刻通り走ってくれる。世の中、いろいろな人たちの、もちつもたれつ、あいよかけよで成り立っているわけである。
 五本の指のように、違うからいいのだ、というところになかなかなれない。人差し指が役に立つからといって、全部の指が人差し指になったら、手の機能は果たせない。脳が大事だからといって、脳に足の働きは出来はしない。それぞれが、それぞれの個性で生きるから、社会が成り立つのである。
 人間みんなが金太郎飴のようになったら、世の中おもしろくないし、成り立たない。受験戦争も、出世競争も、「お金のため」という一つのものさしに縛られるところから出てくる。
 共生は、お互いの違いを認め合うところから出発するのである。お互い、神のいとし子同士、という一点においてのみ同じなのであり、平等なのである。

六、マザー・テレサに会う

マザーテレサ

 一九九三年の夏、マザーテレサに会った。
 地球の膿みが出るところといわれるカルカッタで、「貧しい人こそすばらしい」と言い切って、貧者に生涯を捧げ通してノーベル平和賞を受賞した現代の聖人である。いったい、何がこの人にそのようなことを言わしめたのかを知りたいと思った。一九九七年九月に八十七才で亡くなった。
 マザー・テレサはたいへん小柄だった。その時八十三才。ローマで肋骨を三本骨折して入院中だったが、帰国して三日目というその日に幸運の時は来た。「お体の方はいかがですか」と尋ねると、「いまでは、だいぶ気分がいいです」と慈愛に満ちた笑顔で答えてくださったが、顔色は悪かった。ブルーの三本線入りの質素な白木綿のサリーで身を包んで、足は裸足だった。栄養失調のためか、外反母趾でそり返った足指が痛々しかった。顔の表情や立ち居ふるまいは、肉体的な疲労を隠せなかった。「遠路はるばる日本からよくぞ訪ねてくださいました」と頭に手を当てて祝福してくださった。三代金光様を思わせるような神々しさだった。握手の手は労働の結晶を思わせる肉厚で力強いものだった。寄付をさし出すと、領収書に署名をし、「神の祝福がありますように」と書き加えた。ボランティアを申し出ると、「シスターに手配して貰いますから」と言われた。そして、風変わりな名刺をくださった。それには次のような、短いことばが印刷されていた。

沈黙の果実は祈りなり The fruit of SILENCE is Prayer
祈りの果実は信仰なり The fruit of PRAYER is Faith
信仰の果実は愛なり The fruit of FAITH is Love
愛の果実は奉仕なり The fruit of LOVE is Service
奉仕の果実は平和なり The fruit of SERVICE is Peace
       マザー テレサ Mother Teresa

死を待つ人の家

 翌日、午前六時前から一時間ほどのミサに参拝した。マザー・テレサはシスターたちの一番うしろで祈りを捧げている。パン一切れと、チャイというインドの紅茶を飲んだ後、ボランティア隊は小一時間ほど歩いて、「プレム・ダン」という看板のかかった施設に着いた。サンスクリット語で「愛の贈り物」という意味である。その下に、「病者と死を待つ人々の家」と書かれていた。
 ズボンをたくし上げ、長いエプロンをして、さっそく病室の掃除から始めた。ベッドを部屋の隅に積みあげ、床に水を流し、汚物をヤシの箒で洗い流し、消毒薬をまき、床をみがき、水で洗い流し、モップでふく。汗だくになった。
 もう一方、動けない患者を抱いて銭湯の浴槽のような大きな水槽のもとへ連れていって、立たせて服を脱がせ、水をかけ、石鹸でからだを洗う。おしりを洗うと、へばりついたものがゴワゴワになっていた。左手でからだをしっかりと支えたまま頭から水をかけて洗うのだから、自分もずぶぬれになる。
 労働は、洗濯、食事の準備、食べる手伝い、あとかたづけと続く。かなり疲れる労働だった。かぶった汚水と汗とで全身ずぶぬれ、靴のなかもぐちゃぐちゃだ。破傷風の予防注射をしてきたけど、はだしになる勇気はなかった。

生神金光大神さま

 何人ものからだを洗い、服を着替えさせるために動きまわっていたら、床に坐りこんだ一人の老人と目が合った。目がしきりに何かを訴えている。かがみ込んで、「何がほしいの?」と尋ねると、手の平を頬にもっていってウーウーという。ひげを剃ってほしいんだということが分かって、カミソリを借りてきた。何十回も使ったと思われる使い捨てのさびたカミソリで、ひどく切れが悪かった。水と石鹸と切れないカミソリ。頬をなでながら丁寧に剃った。老人は目をつむり、あごを突き出し、「気もちいい」という表情になった。
 その時、私は、不思議な感懐にとらわれた。そして、目頭が熱くなってきた。「生神金光大神さま、生神金光大神さま」と口の中でくりかえしお唱えした。金光大神さまのひげを剃らせていただいている、との思いの中にいた。
 「人間は神の氏子」と言われる。人間は、生まれながらにして、心に神を宿している。その神に気づき、現すことを信心といい、あらわれた状態、姿を生神という。生神金光大神、これは神様から教祖におゆるしになったご神号だが、金光大神さまは、「私はおかげの受け始めで、みなもその通りにおかげが受けられる」、つまり、みなも生神になれる、金光大神になれるとおっしゃっている。生神金光大神は、教祖のご神号であり、「私は形が無くなったら、来てくれというところに行ってあげる」というように永遠の救いの働きをしてくださる取次の神を現す名前であるには違いないが、その意味あいを敷衍すると、大天地が小天地に現れた姿、わが心の神の究極の姿でもあるのだ。
 「自分に願って自分におかげを取れ」という教祖の直信・津川治雄氏へのご理解がある。わが心の神に願って、自らおかげを頂きなさい、という教えである。同じく直信・佐藤範雄氏は、「神まつる 心に神はいますなり まつれわが身を 神の宮居と」とうたっておられる。私のからだは神様がいらっしゃるお社なんだから、自分自身を神の社としてまつりなさい、という道歌である。
 わが内に金光大神さまが宿り、どの人にも金光大神さまがおられる。「万国まで残りなく金光大神でき」とのおことばは、「世界中の人間はすべて神の子であり、どの人も本質において神である。そのことに気づいて、神を現し、神を生み出し、生神となること。それが神の最も願いとすることである。世界中の人間が生神として、金光大神として、生まれ変わること、その働きを現すことができるように、そのことを取り次いだのが教祖金光大神である」ということになるのではないかと思う。
 インドで、ひげだらけの頬をさすりながら、肉体化した金光大神さまのひげを剃らせてもらいながら、私は至福の時を過ごしていた。
 そのように、私は、「人間はみな神のいとし子」という言葉の重みをずしりと感じていた。マザー・テレサは、どんな人でも、ただの一度でも人に愛されたという記憶をもって死ぬことができるように、またあなたはこんなに神さまに愛されているんですよ、ということを示したいがために、そしてさらに言えば、死にゆく貧者という姿をとった神を愛するがために、『死を待つ人の家』の実践を何十年も続けてきた、という。私は、このボランティアの体験を通して、マザーテレサという人に本当に出会ったんだ、ということを感じた。私にとってのマザーテレサ体験は、金光大神体験になった。

七、われひと共に助かる

食べることから人類を思う

 犬養道子さんの本に次のようなことが紹介されていた。

 私はパリの小さなレストランに入った。隣のテーブルに、小さな子供づれの、これはいかにもパリジェンヌらしい小粋な身なりの女性が来て坐った。母と子はメニューをよく見て相談してからきめた。
 母がしつこく、子に「これを取ったらちゃんと食べるね」と聞いた。子どもはもちろん、食べると答えた。注文がすみ、やがて運ばれてきたのは、私が注文したものと同じものだった。たいへん良くできていたが、子どもの口には少々、洗練されすぎていると思われた。案の定、子は半分ばかり食べると、もういらないと言い出した。ナイフ・フォークを下に置き、皿を向こうへ押しやった。そのとき、ーー小粋でシックなパリジェンヌの母は、「だからさっき聞いたでしょ」と言うかわりに、カンボジアやラオス難民とヴェトナムのボート・ピープルの話を始めた。タイ国内の難民キャンプの子供たちのこともまじえて。子どもはじっと聞いた。食べのこした自分の皿をちらちらと見た。話に区切りがつくと母は給仕人を呼んだ。「お金を払いますから、台所のアルミフォイルを少し分けてもらって下さい」。フォイルが来ると彼女は、子どもの皿にのこされていた食べものを全部、包んだ。ついでに一口か二口だけちぎられたままのパンも入れた。それから、きっぱりと、「ここに包んだものは、今夜かあした、あなたが食べるのよ、全部、のこさず食べるのよ。食べものをのこすーーそれは一番恥ずかしいことなのです。世界じゅうに何千万人とーーわかる?このパリじゅうの人よりももっともっと沢山ーーパンひときれ食べられない子どもがいるのに、つついただけで食べのこす。あなたはお詫びを言わなければいけない、神様に対して、難民の子たちに対して、それからこの食べものを作ってくれたお百姓さんたちに対して」
「ごめんなさい」とその子は言った。「必ず、残りを今夜とあした、ぼくはたべるから」

 こうしたことは、めずらしいことではない、と犬養さんはいう。世界中のあちこちのレストランや招かれた家庭の食卓で同じような光景を目にしたそうだ。しかし、日本では、このような場面に出くわしたことは、ついぞない、と書いている。

 私たちは、食事のとき、食前訓をとなえる。「食物は、皆、人のいのちのために、天地の神の造り与え給うものぞ…」。今までその意味を「すべての食べものは、私を生かすために神様が与えてくださっているもの」と受けとっていた。それが、最近、「食べものは、全人類のために神様が用意してくださっているもの」ということではないか、と思うようになった。「この食事はあのアフリカの、中東の、南米の、東南アジアの貧しい人たちと分かち合うべきものなのに、それを奪って食べているのかもしれない。ごめんなさい」、そんな気もちが、感謝の心と混ざりあって、手を合わせるようになった。
 食べるということも、あるいは水を使う、柔らかい布団で休むということも、そんな日常生活の場面において、地球上の貧しい人たちのことに思いをいたすよすがとすることによって、われひと共に、というあり方を実践することができ、その祈りが日常化するのである。

人を助けて神になる

 ある週刊誌を読んでいたら、こんな投稿記事を目にした。

 何だか理由はよくわからないけれど、「こんなはずではないのに」と、考え込むことがあります。家族を眺めても、社会を眺めても、政治を眺めても、何か物足りないものを感じて仕方ありません。もちろん、自分の生き方を眺めても同じです。なにか漠然とした憤りを感じながら毎日を生きているのです。これが、正直な自分の気持ちです。よく電車のなかで、お年寄りが立っているのを見かけると、心の中で「譲ってやらなければ」とおもうのですが、そんな小さな勇気もなくって寝たふりをしてしまう情けない自分もいます。人間としてあたりまえのことをしたい、と心のどこかで思っているのです。しかし、そんな気もちとは裏腹に、何もできない自分がいるのです。本当に嫌になってしまいます。

 これを書いた人は、わが心の神にめざめかけているのだと思う。何だか分からないけれど、何かが自分の心の中でうごめいている、働き始めている。何だろう、何だろう、といぶかしがっているのである。
 自分本位に考えたり、人を蹴落としたりすると、後ろめたい気もちが湧き、良心がうずき、自己嫌悪に陥る。すばらしい生き方に触れると感動する。人に親切にすると、自分のいのちがよろこぶ。
 どれもが、天地のいのちに生きる自分が、わが心の神に促されておきてくる心のはたらき、いのちの叫びなのである。
 人間が人間らしく生きる、ということ、それはわが心の神が生まれるということに他ならない。わが心の神にめざめた者が、他者に対してその人の内に眠る神をめざめさせていく。卵から雛が殻を内側から突ついてかえろうとする瞬間、母鶏が外からちょんとくちばしでつついて誕生する。卒啄同時である。その人のなかで生まれよう生まれようとしている神の誕生を手助けする。そのことが、私どもの家庭でも、職場でも、友人関係でも出来ていくようでありたい。
 「人を助けて神になれ」とのみ教えを実践して、天地金乃神という大天地と、わが心の神・生神金光大神という小天地が響き合い、はたらき合って顕現する天地の道を開いていくことが、本教信仰のエッセンス・天地書附を体するということなのである。

おわりに

 宗教は、人間が生きる究極的な意味を明らかにするものである。金光大神さまは、「私は、神様と人間との間柄の話をしているのである」と語られた。人生のいっさいを神と人との関係においてみること、神も助かり人間も助かるという、相互に支え合い、はたらき合うという「あいよかけよ」の相互関係をつけていくことが、神の願いであり、人間のしあわせであることを伝えておられるのである。
 神と人との関係を親子の関係にたとえて、神とは人間にとって親のようなもの、神にとって人間はわが子のようなもの。子あっての親であり、親あっての子である。わが子が助からねば親が助からず、人間が助かることが神も助かることである、とおっしゃっている。
 一方、神前拝詞に、「天地に生命ありて万の物生かされ 天地に真理ありて万の事整う かくも奇しきみ姿大いなるみ働きを 天地金乃神と仰ぎまつりて称えまつらん」とあるように、働きとしての神を説いておられる。そうした働きとしての神を、大天地とも表現されている。人間は大天地に生かされ、大天地の中身をなしている小天地なのである。大天地と小天地の根源は一つ。一つに働き合う中から、調和が生まれ、平和が生まれる。
 この本は、大天地と小天地の響き合いということを、「人間解放」を視点に述べたものである。
 最後に、本教の先哲・和泉乙三氏が、ご伝記『金光大神』に「金光大神の神観」として次のように述べておられるのを紹介する。

 天地金乃神は、天地そのままの神である。天地のほかに、天地金乃神があるのでもなく、天地金乃神のほかに、天地があるのでもない。天地金乃神は、「天地の心」として天地万有を統一し、天地万有は、神の内容として、各自に、その本質として神を内蔵する。
 かくして、金光大神は、天地の統一神たる天地金乃神をみとめると同時に、万有個々に、その本質として神をみとめ、この神の徳をあらわし得たものを「生神」とした。

1998年4月1日発行