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道行く人へのメッセージ

講演録
南風に吹かれて


金光教は、すべての人が助かってほしいという天地の神の頼みを受けて教祖・金光大神が幕末の1859年に取次を始めたことから起こりました。
その教えは、人間は天地のはたらき(神の恵み)の中に生かされて生きており、その道理に合った生き方をするところから、幸せな生活と平和な世界を築くことができる、と説いています。
世界の平和とすべての人の幸福、一人ひとりの人生の成就を願って、この教会はすべての人に門戸を開いています。いつでも自由にお入りください。
講演録

外から見た金光教

田 中 元 雄 

 以下の文章は、金光教信奉者のために、筆者が金光教の特色をまとめたものです。これは、学術的なものではなく、信奉者が、自らの信仰の特性を再確認し、自信をもって、人をこの道に誘うためのものです。内容は発行時の1992年の記述のままです。


目 次

はじめに
一、金光教に対する外部の評価
 (1)信仰内容に対する評価
  @天地金乃神の神性は大きく、普遍性がある。神観に独自性と時代をリードする先見性がある。
   (a)大きい神
   (b)多面相の神
   (c)統合された世界観=「神・人あいよかけよ」
  A信仰的個人主義に立つ。自由にして創造的な信仰であり、信仰者の自立をめざしている。
  B日常生活中心主義である。
  C庶民・民衆の宗教である。
  D女性尊重、人間の絶対平等性を説く。
  E広い意味での合理性をもつ。
  F政治や世俗価値を相対化する信仰価値をもっている。
  G他宗教に寛容であり、教義もドグマ主義をとらず柔軟である。
  H人間解放の宗教である。

 (2)教団(教会・信奉者)のあり方に対する評価
  @教学のレベルが高い。教義や教団を自己批判、相対化する力をもっている。
  A組織において信仰の純粋性が保たれている。
   (a)取次の宗教である。ひとりひとりを大切にする「手づくり」宗教である。
   (b)万人平等の思想が具現されている。
   (c)信徒数、財について、達成主義をとらない。
  B各教会が自立しており、教団全体が画一化されていない。
  C理性的な宗教である。
  D信仰原理と信奉者の信仰実情との間のへだたりが少ない。
  E座って待つ、という消極的布教方法をとっている。
  F政治・社会問題に距離をおき、選挙に対してはきびしい不関与を貫いている。

二、本教の現代への展開
 (1)自由にして創造的な信心を進め、自立した信奉者が連帯する。
 (2)新しい教団体制(ネットワーク)を生みだし、世界に開かれた信仰活動を生み出す。
登場人物


はじめに

 知る人ぞ知る。金光教に対する教外からの評価はひじょうに高い。本教における対外活動のセクションに長いあいだ居させてもらっての感想である。いま、本教は、その豊かな信仰内容、すばらしい教団の伝統にもかかわらず、どことなく勢いがない。元気がない。
「二十一世紀へ向けて世界・人類の金光教を創出する」という基本方針をかかげて、教団は新たな歩みだしをしようとしている。その実質を生みだすためには、本教の正しい自己認識を深め、自己変革をしていく必要があろう。そうするについて、外部の評価に耳を傾け、 信仰実践に対する自覚と、 改めるべき課題を共有したいと願った。そこで、東京出張所の業務の蓄積、東京布教センターの活動の成果をふまえ、外から金光教がどうみられているのかをまとめてみた。
内容は、本教が高く評価されていることに焦点をあてている。本教者が、お道を再発見し、もっと自信をもってもらいたい、その良さを大いに発展させたい、と願ってのことである。しかし、ほめことばの裏側には、批判がこめられていることもあるので、ほめられたからこれでいいんだ、と自己満足に陥ってはならないことはいうまでもない。長所と短所は、表と裏なのである。批判的な見方の中から本教展開の方向性をみいだしたいと思う。
 ご登場願った方々の肩書きを巻末に付した。

一、金光教に対する外部の評価
(1)信仰内容に対する評価

@天地金乃神の神性は大きく、普遍性がある。神観に独自性と時代をリードする先見性がある。

(a)大きい神
 近藤藤守師は、神様の大きさを語った金光大神のご理解をいくつか伝えている。
「大阪は広いなあ。しかし、けし粒よりは少し小さかろう」
「天地金乃神の大きさから思えば、人は灰の分子より小さいものである」
「人は十年は長いように思うけれども、神様にとっては、あちらを向いてこちらを向く時間ほどもないからなあ」
 などがそれである。

 福永光司氏は、金光教というのは、荘孟の思想など、道教をもっとも純度の高い宗教として、生活レベルに現代化したような宗教ですね、と評価した。たとえば道教では「極大」ということをいう。数学でいうと無限大である。この極大を分母とすると、分子にどんな数値を置いても限りなくゼロに近くなる。そのように、人間は極大をもつことによって、どんな問題でも、「大したことではない」とのりこえることができる。金光教では、天地金乃神がまさにそれだ。
 函館教会長だった矢代代次師の「どうでもよい主義」という思想は、それを示していると思う。
「信心する者は、これから先どのような大きなことが起きてきても驚くことはならぬぞ」という教祖のみ教えがある。これは、驚いてはいけないという戒めというよりは、この大きな神をつかんだ者は、動ずることがないのだ、という確信を言いあらわされたのであろう。

(b)多面相の神
 平井直房氏は、「金光大神の教えを見るかぎり、金光教は神道の一番よいところ、ほんとうに純粋なものを打ちだしている、と私は以前から思っている。おなじ教派神道とされた天理にはそれをすこしも感じないし、出雲大社は神社神道そのものといえるし、その点、金光教は純度の高い神道であるというのが私の見解だ」(63東セ第一号)という。さらに、同氏は神官でもあるのだが、「もしそうした桎梏がなければ金光教徒になったであろう」とまでいう。
 松野純孝氏は、「金光大神は、無学の方だったが、親鸞上人の説かれたひじょうに高度な内容の思想を平たく、リアルに語っておられる。たとえば、『神様はそこら中いっぱいにいらっしゃる』などの言は、実にすばらしい。教祖様は、きっと、いつでも、どこにでも、いっぱいに神様を実感しておられたにちがいない」と語った。

 脱線するが、そのような金光大神のみずみずしい感性について、歌人・北原白秋は、実父が本教の熱心な信者であったことからと思われるが、次のように記している。
 「ありがたや、やなぎがさんらんと光るわ、そっと根に腰をおろいて、さて、そっと行こかの。
 私のこの短唱もこの心をうたったものにほかならぬ。ちょうどこれと同じようなことを、あの学問も何もなかった金光教の教祖が教えている。『皆の衆や、木の根に腰をおろしてやすましてもらったらの、立ちあがるときは、はあ、ありがとうございましたとお礼申す心でゆかっしゃれ』と。」(「洗心雑話」)

 他宗との比較を続けると、竹村牧男氏は、「金光教というのは、聞けば聞くほど、大乗仏教ですね」と評した。
芹川博通氏は、「金光教の『あいよかけよ』を知って、はじめてキリスト教の神が理解できた」といった。
 いろいろな宗教から、金光教は、もっとも純度の高い神道、民衆へ現代化された仏教、生活レベルで完成された道教、キリスト教を理解させる神観をもつ、などといわれると、「いったい金光教って…?」といいたくなる。

(c)統合された世界観=「神・人あいよかけよ」
 そうした、珍現象を理解するうえで、長部日出男氏の「世にもめずらしい宗教」と題する次の一文は参考になる。

 「金光教の教義は、唯一神の絶対性があまり強くなく、したがって独善性も希薄で、柔軟性に富み、理性的で、庶民的で、具体的である。大方の宗教が、神 を絶対者とし、超越的な存在とする考え方のうえに成り立っているのに、たが いに相より相かかわるという相対的な『関係』のなかに、神と人の結びつきを 認める金光教の教義は、画期的なものといってよく、いまの世界思想の最先端 とも一致する考え方ではないか」(旺文社『現代の心金光教』より)

 つまり、金光大神の説かれた神は大きく、多面的で、一神教的に表現されることもあれば、遍在神的、あるいは多神教的でもある。みる角度によって百面相のようにいろいろな顔をみせる。それでありながら、その世界観は大きく統合されているのである。
 ちなみに、ジョゼフ・北川博士は、「金光大神は、日本で最大の宗教改革者かもしれない」と評したという。これまで、信仰の大衆化をもたらした法然にあたえられてきた評価を金光大神に、という世界的な宗教学者の言である。 

A信仰的個人主義に立つ。自由にして創造的な信仰であり、信仰者の自立をめざしている。

 金光教における救済は、一人一人が自分の神をもち、信仰的に自立していくことによって成就する。「自分に願って、自分におかげを取れ」のご理解はそれを端的に示している。数多くの新宗教の研究をする西山茂氏は、「金光教っておとなの宗教なんですね。いやー、そういうのって、シンパセティを感ずるなあ」と共感を示す。本教でいう「自立」というのは、近代的な自我の確立と寄りそう面とそうでない面とがある。一人の人間が他によっておかされることなく、かけがえのない存在として尊重される、という意味では軌を一にする。だが、本教がめざすのは信仰的自立であって、神とあいよかけよで働きあう人間のありようを示している。
 ひろたまさき氏は、「取次というのは神と人とが対話する場だ。その関係の下で神も人も発見をし、反省をする。そして、人は内省し、自らの行くべき道を自覚する。そこに独自性がある」という。そういう自立のしかたなのである。
 とかく、飛躍的な拡大をする宗教の中には子供だましの信仰がままある。それでも、それにのっていってしまうのは人間の未熟さを示すものであり、人間の弱さ、愚かさを知らしめられることになる。付和雷同型の日本人、バスに乗りおくれまいとする集団主義、ムラ的な発想しかできない島国根性が、国際化社会になった今もなお根強く残っており、画一化された教育によって、型にはめこむ没個性的な、主体性をもちえぬ生きざまになっている。そうしたなかで、「おかげは和賀心にあり」「わが心でわが身を救い助けよ」「生神とはここに神が生まれること」などの生神思想を中核とする信仰によって、信奉者の自立ということをめざしていることはすばらしい、と洗建氏はいう。
 ところが教団の現実は、取次運動によって、教師と信徒とを上下関係のように考え、教師は教える側、救う側、信徒は教えられる側、おかげを頂く側、というように固定化する考え方が長い年月のうちに芽ばえてきてしまった。教師中心主義、教師権威主義は、「取次」の本来もっていたはずの「取り次ぎ取り次がれる関係」というダイナミズムを失わしめ、自立性や信仰エネルギーをはばんでいる。

B日常生活中心主義である。

「日常生活のどの断面を切っても、信心の香りがするようでありたい」というようなことは、金光教の信奉者にとっては驚くにあたらない、ごくふつうの願望である。「生活が信心になる」ようにということも、たいせつな指標である。ところが、信心と生活とが一体的なものである、というのは特筆に値する信仰観なのだ。
 もともと宗教というのは、世俗に対して、聖なるものであり、日常に対して、非日常的な世界のものである、といわれる。ケに対して、ハレの分野のものである。それは、女人禁制だとか、祓い清めてからはじめて聖なる場所へ入ることが許される、とかの例にみられる。
 日常は俗であって、 非信仰領域であると考えられてきたが、 本教では「信心生活」ということをいう。信心即生活であり、生活即信心である。毎日の生活の中で、信心の稽古を積み重ねていき、徳を積んでいく、という考え方である。キリスト教の世界では、信ずるか信じないか、が決定的である。人間は罪深きもの、何をしても罪を重ねざるをえない。そこで懺悔をする。そんな信仰のありようを皮肉って、ラテン世界では、昼はでたらめをして、人を・ルビ・殺・あや・めても、「アーメン」といえば許される、というマンガがあったりする。
 岸本英夫氏は、『宗教学』という名著のなかで、「『信心生活』というのは、金光教が『希求態』にまで信徒の信仰を高めるためにおこした強力な信仰運動のさい、とくに掲げたことばである」と特筆している。そして、「礼拝から足が遠ざかると、信仰がダメになる」という湯川安太郎師のことばを引用して、「これは、裏を返して考えれば、礼拝に参加するたびに、人々は、意識無意識の中に、自分の信仰体制を磨いているということである。『信仰の稽古』をしているのである」として、「信仰の稽古」というのは、金光教の用語である、とわざわざ注釈をつけている。「信仰」と「稽古」ということも、もともと結びつきようのないものであったのであろう。
 いまでこそ、生活禅というようなことがいわれているが、仏教では出家にこそ意味があったわけであり、信仰の日常化、神の日常化というのは、ユニークな信仰観なのである。
 だが、いつでも、ということになると緊張感を欠くきらいをもつのが人間の特性でもある。「心」を重視すると、行為がなおざりになったりする。そこに信心の工夫が必要になってくるのである。

C庶民・民衆の宗教である。

 上原専禄氏は、金光教が庶民の宗教であることを非常に重要に考えていた。庶民の救済を根本におく宗教が、人類の歴史においてどれほど求められてきたことか。金光大神出現の意味を、世界の歴史、人類の願いという観点から明らかにしていく必要があるのではないか、と本教に求めている。
 宗教という、至高の権威(=神)をもつ人間とか集団は、とかく世俗的な権力と癒着しやすい。ところが、金光大神は、「人が助かることさえできれば…」という一点に神の願いをみいだし、その一点からすべてをみていかれた。「金光大神は民衆の立場から、民衆のための神を発見した」(ひろたまさき氏)ともいわれる。
 金光教でいうところの「生神」とは「万人生神」であって、教祖のカリスマ性は強調されない。「生神金光大神」という神号も、教祖の信仰の境地に与えられた尊称であると同時に、すべての人の心に内在し、可能態としてある理想像でもあり、さらに抽象化された取次のはたらきをあらわす神の名でもある。
 金光大神は、生涯にわたって、自分は「凡夫」であり、「土を掘る百姓」であるといい続けられた。小沢浩氏は、
 「金光大神は、『凡夫』としての自らの限界をみつめ、そのような凡夫性に、あらゆる問題の根源を見出そうとしたのである。後年、かれは、こうした俗信俗説の大胆な否定者となったことで知られている。しかし、その思想的な契機 が、必ずしも近代のいわゆる『科学的』な合理思想によってではなく、このよ うな凡夫認識に示されている人間存在への深い問いかけによって与えられてい ることを、私はなによりも重視したい」(『生神の思想史』)
 という。そうした凡夫性に立った庶民性が、国家の神を拒絶し、近代文明の強大な価値を相対化して、民衆ひとりひとりの心に根ざす「生神」をひきだすことを最高の価値とする信仰を生みだしたのである。

D女性尊重、人間の絶対平等性を説く。

「女は神に近い」というのは、極めて革新的な思想である。(ひろたまさき氏)
 村上重良氏は、金光大神の思想の三大特色として、・合理的であり、開明性をもつ、・女性の尊重、・政治の相対化の視点、をあげている。
 いま、世の中では、「男と女」の問題、性差別、ジェンダーの問題がいわれ始めた。ようやく世の中が金光大神のいわれたことに追いついてきたのであろうか。この現状については後にふれる。
 当時の日本では、民族問題は問題になっていないが、人間社会にある差別については、「神さまの目からごらんになれば」とおっしゃって、教祖は、ひとりひとりが神の子としてかけがえのない存在であることをくり返し教えておられる。

E広い意味での合理性をもつ。

 信仰と迷信は紙ひとえという面もないことはない。信心深い人間はとかく迷信深かったりする。少ないとは思うが、金光教の信徒でも、案外俗信にとらわれて、占いや姓名判断にふらついたり、高い壷やハンコに惑わされたりする例があるかもしれない。
 金光大神が、あの時代にあって、日柄方角の俗信を超越し、あらゆるタブーを退けたということは驚嘆の的になっている。「タブーの超克や病気なおしにみられる、人間を基本とする合理主義は瞠目すべきである。それは、農民生活にもとづいた経験的合理主義だ。庶民の生活に密着した中から人間をとらえなおしており、そこには深い人間へのいたわりがある」(ひろたまさき『現代の心・金光教』)・ ・・ 特に死にかかわる習俗、葬式に関するタブーはいまでも広く世間一般で慣行となっているが、そうしたタブー性が、教団において、思想的にも儀礼的にもまったくない、ということは異例のことらしい。宗教によっては、脅しをかけて信仰に導いたり、権力的な集団主義によって人を集めたりしているのがある。
 ところが、金光大神にはそうしたところがまるでなく、いかにも大地に根ざした農民らしく、「世の中にすべて見聞きさせてあるから、よく観察をすることが大切である」「天地の道理に合う信心をせよ」と教えておられる。

F政治や世俗価値を相対化する信仰価値をもっている。

 金光大神には、世直し思想がないといわれているが、政治的革命思想はないものの、信仰的な理想世界を「神の国」「神の世界」「神代」といって描きだし、政治とか世俗価値を相対化する視点を明確にしておられる。歴史学者の鹿野政直氏は、そうした金光大神の思想を「世直し思想」の一つである、といっている。
「伊邪那伎、伊邪那美命も人間、天照大神も人間であり、その続きの天子様も人間であろう」
「神様があってお上ができたのである。それであるのに、お上ができたら、神様がお上の支配を受けることになる」
「世が開けるというけれども、開けるのではなし。めげる(壊れる)のぞ。そこで、金光が世界を助けに出たのぞ。」
 などのご理解に、その一端をうかがうことができる。

 ひろたまさき氏は、金光大神の思想は、「国家相対化の視点、国家権力との異質性の自覚」がある、と評価している。
 また、村上重良氏は、「金光大神の政治観の基本は、政治と信仰とは別次元の問題であり、信仰は絶対のものであるが、政治など世俗の問題は、相対的であり流動変化するものであるとした点にあった。『天皇も人間』といい切って政治権力を絶対化、神聖化することを決して許さなかった」と述べ、「宗教思想の先進性をもつ金光大神を、広く認識し再評価することは、特に有意義な課題というべきであろう」と書き記している。(『金光大神の生涯』)

G他宗教に寛容であり、教義もドグマ主義をとらず柔軟である。

 とかく宗教はたがいに他を排斥して、己が正当性を主張する。ペルシャ湾岸戦争も宗教戦争の一つだといわれる。イスラム教の聖戦、キリスト教の正義の戦いが正面衝突しているのである。
 金光教では、天地金乃神を信奉する。天地金乃神は、天地万有を統一し、あらゆる神、人をその内容として内包する。「包摂」というのは、天地金乃神の神性を示す重要な概念である。つまり、サダム・フセインが崇めているのも、ブッシュ大統領が就任のときに誓ったのも天地金乃神に対してである、ということになる。それも、大声で喧伝するわけでなく、「ああ、そうなんだ」と心のなかでつぶやくのである。他宗の人が聞けば怒りだしかねない、自分本位の寛容さかもしれないが。
 教義についても、「こんなに茫漠としていて、布教がここまで伸びてきたのはどうしてだろうか」(井上順孝氏)とふしぎがられるほど柔軟な教義概念をもち、その運用をおこなっている。いまだ、異端審問がなされたことがない、と聞くと、たいていの学者はびっくりする。どんな宗教でも、信仰上の背信行為で教団を追放された人間はいるものだ。ところが本教では、信仰がまちがっている、という理由で教師を首になったり、信徒たる資格を剥奪された、というためしはない。もともと信徒たる資格という明確な規範もない。教師も、国法を犯して犯罪者になるなど、社会的責任を問われないかぎり、教義にもとるからという理由で教師免職ということはなかった。

H人間解放の宗教である。

 これは、アメリカ人の信奉者の感想によく聞かれる。「金光教にはドグマ(偏狭な教義)がなく、懲罰の思想がなく、地獄の思想がなく、自由で人間を解放する宗教であるのが魅力だ」と。キリスト教世界で慣習化している信仰では、教会の外には信仰なく、教会の掟に背けば、その人は罰をうけ、地獄へおちなければならない。「金光教にふれることによって、そうした根本的な恐怖感から救われ、明るく自由な世界にぬけでられたのはうれしい」とよろこぶ。
 自由である、ということの裏返しには、芯がないのではないか(井上順孝氏)、と問われる面があることも知っておかなければならない。自由であるから何をしても、何をしなくてもいいんだ、ということではない。「これだけは外せない、というもの、これをはずしたら金光教ではなくなる、というものがあるはずだ」(柳川啓一氏)。そうした信仰の論理、実践の根拠を明らかにする必要がある、ということで、「教義化」が、いま教団の重要課題の一つになっている。

(2)教団(教会・信奉者)のあり方に対する評価

@教学のレベルが高い。教義や教団を自己批判、相対化する力をもっている。

 本教の教学は、教外で高い評価をうけている。教団によっては金を使い、大学などを通じて、外部の学者を使って教学を形成させる。金光教の場合、自前である。教学研究所の教学研究紀要は、宗教研究者にとっては、必読書になっており、バックナンバーをほしがる学者が多いという(井門富二夫氏)。もともと、神学というのは、その宗教が他と比較して、いかにすぐれたものであるかをうたい上げるものであって、場合によると、眉つばであったり、噴飯ものであったりすることがある。ところが、本教の教学の基本は、「金光大神の信仰に立脚し、現実の人間生活と切り結び、そこでの信仰のありようを点検するためのものだ」として、目先の効果をねらったり、観念の遊びは排撃する、としている。(『紀要』発刊に当たりて−大淵千仭)
 つまり、御用教学にはならない、と宣言し、その伝統が守られているのである。その内容は、学者の間でも、客観的な批判に耐えうるものであり、新宗教のなかではトップ水準をいくもの、といわれている。
「金光さんの研究はレベルが高いから私のような外部の学者がものをいえる余地はあまりないんですよね」(孝本貢氏)といわれたりもする。
 伝統的には、一方で教学研究所が教学という観点から教団の批判をおこなえば、もう一方で、現代社会、アカデミズムなどのいわば外部からの観点で教団批判をおこなう東京出張所という機関があった。その機能は東京布教センターが継承しているが、この二つの教団自己批判機関をもっているということ、しかもそれがたてまえでなく機能している、ということは大いに評価されてよい、というのである。(上原専禄氏)
 教団の教務においては、「金光大神と現代社会」という視点で、つねに教団改革を志向してきた。戦後の「全教一新」(取次運動・『ご伝記金光大神』刊行・昭和二十九年教規施行)、三代金光様亡きあとの「教団新出発」(教団二課題)、教祖百年祭をめざしての「教団一新」(運動新発足・昭和五十五年教規改正・儀式服制の改正・総合庁舎建設・新教典刊行)、そしてこんにち標榜される「信心の一新」(よい話をしていく運動=自他ともに助かる信心)、「二十一世紀をめざしての 世界・人類の金光教の創出」(世界布教・新しい布教体制)というように、たえざる教団改革をおこなってきた。
 諸宗教の事情に詳しい梅原正紀氏が「金光教のように、教団の自己批判をし、非常に高いレベルの議論ができる教団というのはそうざらにはない。人材も豊富にそろっていて一級といっていいでしょうね」と明言した。「教えもすばらしいし、これで布教が伸びないのはどうしてでしょうね」とも。
 同じ宗教ジャーナリストの丸山照雄氏も、政社研(政治社会問題等に関する研究会)について高い評価を与え、「教団の一部の人がこの種のことを言ったりやったりすることはあるが、教団自体の責任において、教団の責任者も中に入って、教団の自己批判をしたり、社会問題を論じたりできる力量をもった教団はそうあるものではない」と語った。そして、公害をテーマとした政社研の記録の一部は、丸山氏の紹介で、『中央公論』に「シンポジウム・金光教は公害を告発する」(昭和46年7月)というドキっとするようなタイトルで掲載されたのである。

A組織において信仰の純粋性が保たれている。

(a)取次の宗教である。つまり、マスではなくて、徹頭徹尾、ひとりひとりを大切にする「手づくり」宗教である。

 取次は、やはり金光教を金光教たらしめているものだといってよいであろう。ところが、戦後、取次の形骸化という既成化現象がおきてきた。つまり、本来きわめてダイナミズムをもつ救済のシステムである取次が、手順手続きのように思われたり、結界取次の形式だけを権威主義的にかたく考えるようになり、小さなものにしてしまった。それでは、かえって取次の独自性はみえない。
 小沢浩氏は、「取次というと仲介者の役割が重視されるが、金光大神の場合、仲介者にありがちなカリスマ性が希薄で、信者との対話の形に様式化された取次の手続き自体にもマジカルな要素はほとんど含まれていなかった」と評する。制度的カリスマの強調とか、 取次の形式偏重主義は、 逆に取次の生命を枯らせることになる。
 世界的な宗教学者の岸本英夫氏は、「金光教は、たとえてみれば江戸前のにぎり寿司屋みたいな宗教だ。他の宗教は、いわばカレーライス屋みたいなものかな」という意味のことをいわれた。つまり、取次の場は、オーダーメイドのように注文に応じて出す。ところが、組織宗教では、できあがったものをかけるだけ。「こうした取次という救済のシステムを生みだした教祖に、金光教の人は、感謝しなければいけない」と語っていたと聞かされている。
 つまり、まず教えがあって、それを信ずるか否か、守るか否かということではなく、生きている人間の問題があって、それにどう答えるかということで、教えを生みだしていくのが取次の構造である。だから、教えというのは、神から一方的に来たものでもなく、教祖の体験だけから生まれたものでもなく、氏子の難儀とその人の資質、教祖の信仰体験、神の願い、そうしたものがぶつかりあって生みだされたものである。教えは神と取次者と氏子の三者で合作されるものだ。取次は創造性にこそ生命がある。
 ゆえに、取次が生きているかぎり、信仰は腐らない、というのである。

 森岡清美氏は、「戦後に生まれて大きくなった新宗教の教団の幹部の人を、金光教の霊地に連れていって参拝したことがある。その時に、その人が言った金光教についての印象は、『あれでは教勢が伸びないですね』ということだった。それを聞いて、なるほど、そういう感想をもつだろうな、と思った。金光教のあり方は他の宗教ではみられない良さがある。一対一の手づくりの魅力というか、手づくりの小さいところで培っていくものがあって、ひとりひとりの、悩みをかかえる心の奥ひだまでふれていくようなあり方がなされている。これは勢いよく伸びている新宗教ではできないことだ。大きくなることばかりを考えないで、この良さはもち続けてほしい。信者の人たちは良い意味でとてもまじめだ。これも金光教の信仰スタイルからくるものだと思う」と語った。

 取次が救済の決めてになっているということは、そこに介在する宗教的な人格が決定的な要素になっているということである。金光教の人はどの人も誠実で、まじめで、なるほど教祖の説かれた信仰を守る人たちだな、という印象を強くする、ということをよくいわれる。
 平井直房氏は、「だいぶ前にラウンド・テーブルで金光教の方々とお話ししたときに、たいへんぶしつけなことをお尋ねしたことがある。『金光大神は次々とおかげを現された。いわば、霊能者であったが、皆さんは取次者として信者の方々の難儀を救おうとするとき、霊能というのをどのように現すことができるのか。あなた方の中にどれくらい霊能者がいるのか』という失礼な質問をした。その時に、『霊能者ということはいえないが、信者の身になり、共に考え、共に苦しみ、共に祈ることによって、その人がおかげを頂いていく、ということがある。苦しみをもったその人自身が神様と結びついていって、神様のおかげを受けていく。私どももまた、神様のお取次をすることによって教えを受けていき、難儀を受けた人と共に救われていく』という意味のお話を聞かせていただき、これが本当の信仰だ、とたいへん感銘を受けた。教えの生きた姿とはこういうことをいうのだと思った」と述べている。

 余談になるが宗教的人格ということで思い出すことがある。小説家にして評論家の伊藤整が、若き日に親友に連れられて金光教小樽教会に行ったときのことや、伊藤の人生に多大の影響を与えたこの友人のことを書いている。その親友は人を評するとき、良い面を強調していうのが常だったという。人が他人の悪口をいっても、それをひっくり返して長所にしてしまうような、まさに信仰を体現した人柄だったと回顧している。人が、「あいつは短気だ」といえば、「感受性が豊かなんだ」というし、「ずさんだ」といえば、「おおらかだからね」、「ケチ」と酷評しても、「きちょうめんなんだよ」といった具合だ。
 俳優の鈴木瑞穂さんが金光教の人とはじめて接触したのは大学時代の友人だった。甘木の出身で、金光教の信者であるその友人が登場すると、どんなに険悪な雰囲気の場でもなごんで、問題がこじれないのをふしぎに思っていた、と鈴木氏はいう。それが金光大神の映画の話がきたとき、やってみたいと思う背景にあったのだ、と後になって聞かされた。信仰は人柄となって他に及ぼす力をもつのである。

(b)万人平等の思想が具現されている。

 宗教は、万人平等の思想を説く。しかし、その思想が実際に具現されているかというと、必ずしもそうではない。人類は長い間、男性社会を形成してきた。古代においては母系社会もあったが、中世以後、腕力に物言わせる権力支配が男性による支配の社会を生んできたのであろう。そうした社会では、男性優位の人間観が形づくられる。
 仏教において、女性はけがれたもの、救いがたきものとし、女性が救われるためには、男性に変わることによってはじめて救われる、という教義を説いた(変性男子)。お経にまでそうした記述があるわけで、宗教が差別を作ってきた、といわれる所以である。
 カトリックでは、いまでも、女性は聖職者になることはできないという。欧米の人たちに、金光教では教師の半分は女性であり、女性教会長も大勢いることを説明すると、「ほんとうですか」といって驚く。
 それでも教団の実情が男性優位的になっているのは、やはり社会の論理が教団に入りこんできたことを示している、といわざるをえないだろう。
 封建時代の、女性の人格も認められない当時、金光大神は、「女は神に近い」「天が下に住む人間は神の氏子」という、神のもとでの、人間の絶対平等観を示された。封建社会における支配階級の武士、しかも庶民にとっては顔をみることもない藩主が金光大神のもとを訪れたとき、その応対は、農民たちに対するのと少しもちがわなかったという。また、当時、非人として蔑まれた人びとに対しても、「神のいとし子」とみていかれた。そうした原理的な人間観は、教団のあらゆる制度のうえに実現されており、その運用においても実現されていることは、他の宗教との比較において、驚嘆すべきことのようである。
 笠原一男氏が東大教授時代、本部を訪れて、教主と会って話をしたあと、「金光さんはいいですね、宗教というものはこうでなければならない」と感想をのべた。というのは、同氏が、ある仏教本山を訪ねたとき、トップの人に会うのに二時間待たされた。そして、平伏させられたまま、相手は御簾の向こうから、「ご苦労でありました」と一声かけてそのままいなくなってしまった、という。これでは、天皇よりひどいではないか、と怒っていた。「金光教のように、教主が、教団の最前線にいつもおられて、誰がいつどんな問題をもってきても、それを受けいれる、ということはすごいことだ」というのである。

 アメリカの宗教学会の会長をしていたチャールズ・ロング博士が教主金光様に会うために本部広前へ行った。そのとき、お結界では、老婦人がお取次をいただいていた。金光様が諄々と諭されている。当然のこととして、ロング先生は待たされた。そのことがロングさんの胸を深く打ったという。
 アメリカからはるばる著名な学者がやってきた。そんなとき、ほかの教団なら、どんな予約があってもそちらは差しおいて、学者と会うだろう。ところが、金光教では、誰がいま一番神様を必要としているか知っている。世間で偉いと考えられている人も、そうでない人たちも、神様の前では平等に扱われている。それがたんたんと、あたりまえのこととしておこなわれていることが、感動を催した。お結界では、悩みとか、苦しみとか、問題をかかえている人に対して、その難儀の深刻さに応じて、神様が平等に時間をくださる、そういう平等があるというわけである。ロング氏は、次に日本に来るときはほかの宗教はいいから、金光教のことだけをもっと知りたい、と言い残して離日したという。(荒木美智雄氏)
 『ビッグA』という月刊雑誌の教主インタビューをした青山央さんは、「大教団の教主といえば、雲上人でめったにお目にかかれるはずもない、と思うのが通常。だが、金光教においては決してそうではない。本部を訪れさえすれば、なんらの手続きも必要なく、直接お目にかかって悩みを解決してもらうことができる」と驚いている。そして、このインタビューの印象を、「教主の言葉はまさに伝統と経験からの真実のみで展開された。つまり、神を知的に理解するのではなく、人生の『道理』のみが広がり、一つの反論も反発もない独特な世界に私の質問がひきこまれていく」とし、「伝統と現代とが調和された宗教」と論評した。(昭和59年12月号)
 ちなみに、このとき同行した桜井記者は、記事の中で、「ひとりひとりの内面の信心を原点に、謙虚な人間変革をとくこの生き方には、饒舌と喧騒の渦巻く現代に対する『静かなる批判の刃』が感じとられた」と記している。

(c)信徒数、財について、達成主義をとらない。
    (組織原理、経済原理に流されず、信仰原理を貫徹させている。)

 組織というものは、いったん作られると、組織の膨張拡大という自己目的をもつようになり、金を集め、人を集め、肥大化しようとする。
 ところが、金光教は、いまだかつて信徒数や教団財について、達成目標を定め、そこへ向かって檄を飛ばしたということは一度もない。
 教祖百年祭のおり、教監が教団一新の理解をうるために全教区へ出向いたとき、大阪の信徒が、「教祖百年祭では、これこれの事業をしたいので、これだけの金が必要だ、と教監みずから訴えて旗を振ってください。そうすれば、全教が御用しよう、と燃え立ちます」と訴えた。参加者は、安田好三教監がなんと答えるか、固唾をのんで耳をそばだてた。教監は、「それはしない。大切なのは信心だ。皆が燃え立つ信心をもって、このお年柄を迎えさせてもらおう、という信心の盛りあがりができ、その結果、さまざまな計画についてもおかげをこうむってまいりたい」と答え、聴衆は大喝采をして鳴りやまなかった。
 この話をしたとき、島薗進氏は、「そのように、達成主義によらないで信仰を貫徹していこうというのは、すごいことですね」と感嘆した。
 金にきれいだ、というのも定評のあるところで、「金光教のようにまるでガラス張り、というのはめずらしいですね。しかし、こんなに何もかもきっちりしてしまっては動きにくくありませんか」とたずねられたほどだ。(木村光夫氏)
 第三次宗教ブームなどといって、宗教書が飛ぶように売れ、なかには新宗教のスキャンダルを扱ったものもたくさん出た。ところが、金光教のスキャンダルを扱ったものはなかった。ある時、そういう意図のもとに取材されたことがあった。雑誌に出たとき、やゝ悪意をふくんだ書きっぷりだったが、事実誤認がずいぶんあったので、ライターをよんで、記事の事実に反する部分にことごとく反論を加えた。すると、そのライターは、「金光教について認識不足のまま書いて申しわけなかった。実は『なんとかスキャンダラスに書け、さもないと売れない』といわれて書いた。いずれこのシリーズは単行本になるがそのときには金光教についてははずすよう交渉する」といって帰った。やがて、『新興宗教のウラがわかる本』(政界往来社)というタイトルで発行された本には、すさまじく汚いことばで新宗教各教団をののしっている中で、金光教は、最後のほうに、「金にきれいな宗教だ」と以下のように破格の評価がしてあった。

【これで救われるのか、十八万教団の汚れた部分】
本稿、最後の教団になるが、入会費や信者からの供養・寄付など一切強制しないという宗教団体がある。公称信者数五十万人の「金光教」がそうだ。
・金光教の教祖は「生神金光大神」になる赤沢文治なる人物で、江戸末期の文化十一年、岡山県金光町占見に生まれている。
 赤沢が、明治十六年、七十才で他界するまで、ただ、広前という神前に座って、神との取り次ぎをしたという。現在の教主は四代目・金光鑑太郎である。
 金光の教えは極めて質素で、信仰を持たせてから人間の生き方を教えていく、というものだ。
・四代目・金光鑑太郎の日課は、そのために、早朝四時から夕方四時まで、途中食事で中座する以外は、ただ神前「お結界」に座って、信者と神を取り次ぎしている。

 純粋できれいな宗教だ、というのは定評で、井門富二夫氏は、「金光教は日本のピューリタニズムだ」と外国の人に紹介していた。
 だが、他方で、 「水清くして魚住まず」の批判をする人もある。 ピュアー(純粋)なのはいいが、プアー(貧困)になっていないか。信仰的純粋性だけでは、泥にまみれた救済ができないのではないか、信仰エネルギーが出てこないのではないか、との批判である。(西山茂氏)
 また、まじめで実意丁寧な教団である、ということも大方の一致した見方だが、その裏返しには、重箱の隅をつつくようなバカ丁寧さや、必要なことがあっても慎重に過ぎて動こうとしない体質などが批判される。教義的な弾力性にも関わらず、組織の運用については、悪しき官僚主義のようなものがあり、前例主義で、弾力性に欠ける、という批判もある。これは、教団レベルで何か事をなそうとした信徒の批判に多く聞かれる。所轄官庁からも、「金光さんは、教規の解釈などにしても厳格すぎるので、もう少しゆったりと、柔軟に運用した方がいい」といわれたりする。(木村光夫氏)

B各教会が自立しており、教団全体が画一化されていない。

 渡辺雅子氏は本教の女性布教者の調査をしたいということで、数十人の人と面接し調査を重ねているが、「金光教の人たちに会えば会うほど、金光教の全体像がみえにくくなる」という。「たいていの調査では、いくつかのサンプルをひろえば、共通点とか、ある程度の輪郭がみえてくるのだが、金光教では会う人ごとにユニークで、独自であるために、仮説が崩されるというか、人に会えば会うほど金光教のパターンというのは何なのだろう、と首をかしげてしまう」というのである。また、「たいていの宗教は、教団のトップの人が何かいえば末端までがだいたいその線にそったことをいうものだが、金光教ではトップクラスの人とほかの人がガンガン議論しているので、何とおもしろい教団があるのだろう、と思っていた。そして、それが日常茶飯事であることにびっくりした」ともいう。
 こうした特質は、取次という救済の形態が信仰の独立性を何よりも重要視してきたために、教会そのものが独立性を強くもち、それが教団の体質になってきたものであろう。
 画一主義にならないというのはたいへん大きな意義をもつ。個別救済が重要視され、たとえ教団の一部にねじれが起きても、他は健全でありえたりする。だが、教団をあげて社会に貢献しようとしても、なかなかできがたい、という難ももつ。画一化と連帯とはまったく違うのだが、布教上の連携ができにくいのである。

 『芸術新潮』(平成2年6月号)で本教の取材をした山口文憲氏は、本部の大祭に参拝して、なんとリラベルで反画一主義なのか、と驚いている。かなりの盛り上がりも、荘厳な一瞬もないことはないけれど、全体が完全に同質化する瞬間がついになかったと指摘し、「金光教の祭典は、ナチス党大会というよりも社会党大会であり、中国全人代というよりは日本の国会に近いものだった」と書いた。それが、山口氏にはかえって居心地がよかったという。そして、祭典中、近くにいた眼鏡にチョビひげの老人が、自分流で祭典に参加していて、感きわまると立ち上がって「ありがとうございます」と深くこうべを垂れて涙を流す。誰かがとがめるのではないかと心配したが、まわりの信者たちは迷惑がっている様子もない。「それぞれ、自分は自分で祭典に入り込んでいるのである。それを見て、私は、この金光教という宗教に、座布団をもう一枚進呈する気になった」と結んでいる。

C理性的な宗教である。

 宗教は、最近、感性の面が強調されるようになってきた。感動とか、エクスタシーなどをともなった感情に重きがおかれるというのである。ところが、本教にはそうした面は希薄である。『芸術新潮』に書かれたように、ご本部の大祭にしても、一万数千人からの人間が一堂に会しておりながら、爆発するような熱気はない。むしろ儀式が粛々と仕えられる。あるのは静かな感動である。
 北畠清泰氏は、「大規模な新宗教の教団のイベントをみるとずいぶんファナティックなのがあるけれど、ああいうのってうそっぽいなあ。宗教的感動というのは、もっとそくそくとくるものだと思うんです。その点、金光教のは内省的ですね」という。
 島薗進氏も、金光教の特色は内省的宗教であることだという。教えに照らし、自分の生き方や心の動きをじっとみつめ、高めていくのである。「見ること、見ること、自分を見ること」(高橋正雄師)ということばに、それは凝集されていく。
 金光教の紹介ビデオを作成した東宝の映画監督の長沼勝巳氏は、そのビデオのタイトルを「いま、時代の理性をとらえて」とした。それが、長沼氏の金光教に対する印象だったのである。そして、それが同氏の金光教に贈る最大のほめことばでもあったらしい。つまり、金光教は理性的な宗教であり、人間が生きる上で大事な理性、時代の理性とでもいうべきものをきちんととらえ、情報を発信しうる宗教だというのである。しかし、「理性」ということばは、感性重視のいまの時代では、否定的にうけとられる恐れがあるとして、布教用ビデオのタイトルは、「いま 幸せ(おかげ)・ひらけて」と変えられた。
 人間としての生き方、存在の根拠を明らかにすることをもっとも大切にする本教が、他者から理性的ととらえられるのは当然のことであろう。金光大神ご自身が「天地の道理にもとづく」ということを言いつづけられた、そういう道なのである。
 理性的ということばにこめられた評価を生かしつつ、そのことばにこめられた批判をどう受けとめていったらいいのであろうか。儀式にしても、行事にしても、教話にしても、理性的に過ぎるために、信徒が欲求不満になっている面もある。静かな感動を、大いなる感動にまでひきあげていくような、ちょっとした工夫があってもいいのではないか、ということは思う。

D信仰原理と信奉者の信仰実情との間のへだたりが少ない。

 宗教が大衆化し、大教団となると、教団中央では、美しい教義ができあがるが、信仰実体はそれとかけ離れたものになることが多い。カトリックのマリア信仰も、バチカンの完備された教義とは関係なく、とげ抜き地蔵、水かけ地蔵などとも共通するような土俗性をもつ。
 ヘブライ大学のウォブロスキー教授が金光教本部を訪ねた。まだ三代金光様の時代で、教団当局は、「生活の全面にわたり、道の教えをもとにし、お取次を頂いて、信心の稽古をさせていただくこと」をめざした御取次成就信心生活運動の話をした。するとウォブロスキー氏は、「民衆宗教といわれる金光教で、そんな高尚な信仰が大衆にわかるわけがない」と一笑に付したという。そして、たまたま本部広前に参拝した人たちにインタビューした。東北の方から参拝してきた人に、「なんのために参拝したのですか」と問うと、「つね日頃おかげを受けているので、そのお礼を申しあげにお参りしてきました。金光様のお取次を頂き、たいへんすがすがしい思いです。これからもっと自分の信心をみがいて、人の助かるお役に立ちたい」というような返事。あまりに出来すぎた答だ、と同氏は首をかしげていたという。
 こんにちまで、本教が運動という形で展開してきた信仰は、いずれも自己変革の契機をふくんだ実践で、難解といえば難解なものである。信者倍増運動とか、お供え倍増運動というなら誰にでもわかるだろうが、「信心生活」とか、「信心の稽古」とか、「生活の真実を語る」とか、「暮らしに神が生まれる」などは、ひじょうに内面的な信仰なのである。それを教団あげて四十年以上もとりくんでいる。ほかの教団も、わが教団を真似したのかどういうことだったのか、いろいろな運動が一時はやったが、ほとんど廃れてしまった。
 いま、「よい話をしていく運動」を進めているが、・天地書付の実践、・対話的信仰生活、・取次の大衆化、という思想的背景をもつこの運動は、対話という実践の背後に深さと広さをもった信仰を実現していこうとしている。そのように、信仰内容と信奉者の信仰実体が密着することを常にめざしているという意味で、地道な、奥行きのふかい宗教であると評価されているのである。

E座って待つ、という消極的布教方法をとっている。

 教祖は、神命により、自宅の取次の座にすわりきる、という救いの形態をとられた。弟子たちにも「ふり売りするな」と命じられた。本部広前と教会では、その伝統がいまも守られている。
 こうしたあり方は、布教方法としては消極的だが、いつ誰がきても応答できる、というきわめて積極的な宗教活動だということもできる。
 アメリカのキリスト教会では、牧師の役割は、儀式を執行すること、立派な説教をすること、組織活動のリーダーになることなどである。聖職者の社会的な地位は高く、上からものを言うようなスタイルになっている。そういうかれらに、取次者としての金光教教師の役目は座って待ち、参拝者の話を傾聴することだと説明すると、ウームとうなり、考えこんでしまう。
 だが、布教形態としては、はなはだ消極的である、とみるのが一般的である。取次の場があるというのは宗教性ということからみれば、それはすばらしい。しかし、教団として、それ以外の方法にあまり熱心でないのはどういうことか。金光大神は、「ふり売りするな」とは言っているが、「出ていくな」とは言っていないのではないか。金光教は信心していない人に対して、はなはだ不親切なことをしているのではないか。金光教のことを知らない人に知らしめる、金光教の救いにあずかれない人に手をさしのべる手だてを講ずる必要があるのではないか、との批判をしばしばうける。(西山茂氏、井上順孝氏)

F政治・社会問題に距離をおき、選挙に対してはきびしい不関与を貫いている。

 いまどきの宗教は、選挙の集票マシーンになっているのが多い。それには、教団それぞれの立場、判断があってのことであるが、成熟した市民社会では、ある企業の従業員がみな同じ人に投票したり、ある教団の人たちが、教主の指示に従って投票するというのは、いかにも幼稚な現象である。めいめいの見識にもとづいて、国家や自治体にふさわしい人をひとりひとりが主体的に選ぶというのが、成熟した民主主義社会というものであろう。信教の自由、政教分離というのは、近代国家における宗教と国家との関係を考える上で、基本的な人権にかかわる事柄だが、実情はそのようになってはいない。
 ところが、金光教では、この原則をきちんと実行しているのである。とくに選挙に対しては、教団はきびしく不関与を貫いている。
 こうした教団のあり方を、朝日新聞の北畠清泰論説委員が、一面のコラムの中で、金光教を「したたかな宗教」と高く評価して、紹介した。
「教団とは何か、を問いつめて、選挙不関与の立場を打ち出している教団がある。岡山に本部を置く金光教である。この教団は、役職にある者の立候補、推薦、応援などを禁止している。教団の役目は、政治に無関心な信者を動員して票に結びつけていくことではなく、個々の信者の自立を促すこと、という考えからであろう。したたかな知恵ではないか」(「朝日新聞」昭和57年2月21日朝刊)
 これは、「五〇監五〇号」といって、昭和五十年に発せられた教監通牒第五十号で、個人はいかなる政治的活動をするのも自由だが、教団・教会の責任ある地位にある者は、その名を使って公職選挙活動や、教団を代表するような政治的発言をしてはならない、と定めたものである。昨今、大喪の礼、大嘗祭をめぐって、さらには、湾岸戦争、国際貢献をめぐって憲法論議がなされている。そうしたとき、本教では、いつもこの通牒を盾に「ノーコメント」を通してきたが、はたしてそれでいいのか、ということが問われはじめている。金光教はいつも、逃げてばかりいるのではないか、というのである。はじめにノーコメントありきでは、教団の信仰的創造性が失われ、信仰生命の危機をまねく。
 宗教的洞察をもって、人道的立場から、人間の難儀、世界の難儀をひきおこしている情況について、「金光教として」どう考えるのか、ということを見きわめることが求められている。
「金光大神は鋭い洞察で批判ということをなさっていたが、いま金光教が現代社会に存在するということの意味を明らかにするためにも、金光教が現代社会をどう取り次ぐのか、世界をどう取り次ぐのか」(上原専禄氏)、「金光教は湾岸戦争をどうみるのか」(島薗進氏)という鋭く重たい問いがつきつけられているのである。
「脳死を人の死と認める」とした脳死臨調の見解をどうみるのか、マスコミからも問われた。こういうような問題は、政治問題であり、社会問題であると同時に人間の問題であり、そして宗教の問題でもあるのである。難民をどうみるか、ということも、「天が下に住む人間」の問題であり、「神の氏子」の問題であり、対岸の火ではないのである。

二、本教の現代への展開

 金光大神の教えはすばらしい。今日までの教団の展開にも、それを実現してきたすばらしい伝統がある。旺文社の『現代の心 金光教』ができたとき、柳川啓一氏が、「すばらしい本ができましたねえ。出版社の企画がいいということ以上に、教団自体のもつ素材のよさがこうしたすぐれた内容のものを作りあげたんですねえ」とポツリと語った。
 岸本英夫氏は、「日本で生まれたもっとも重要な宗教の一つは、金光教である。そして、いま世界にどんどん金光教が出ていって、世界の文化と世界の人々の問題と取り組んでいくことが大事である。それをしないともっと大きなスケールの宗教にはなりにくいのではないか」と忠告したそうである。
 さきほどのチャールズ・ロング博士は、「金光教は、世界中のほとんどの宗教が歩んだ覇権主義の道を選ばない宗教で、人間の難儀のとらえ方が実によくわかっている。そういう神様を信仰しているからであろう。こんにちのように、世界中が危険に満ちみちた状態にある時であればあるほど、金光教のような中身をもった宗教が求められているのである」と言い、「どうして金光教は世界中で・ルビ・虐・しいた・げられて苦しんでいる人々を、助けようとしないのか」と迫ったという。

 本教に対する高い評価の裏側に、じれったいほどの期待感、あるいは失望感があることも知る必要があろう。
 先ほどらいの外部からの評価のなかに、「金光教というのは、まじめで、誠実で、清潔で、信仰内容はすばらしい。その意味で、模範的な宗教といってもいい。しかし、エネルギーが感じられない。現代社会ににインパクトを与えるような、積極的なはたらきかけが必要だ。このままでは毒にも薬にもならない」というようなもどかしさがあることを否めない。
 それに対して、では、本教者は、何をしたらよいのであろうか。

(1)自由にして創造的な信心を進め、自立した信奉者が連帯する。

 信仰の姿、救いのあらわし方については、本教の伝統となっているものを今後も継承し、積極的に推進していくべきだと思う。つまり、取次の実現である。しかし、それは、形骸化された取次ではなくて、まさに現代に展開した取次として生みだすべきであろう。
「一人ひとりが取次者になる」という、取次の実践により、ひとりひとりの信奉者が信仰的に自立していくこと。信仰的個人主義と評されたが、それをよい意味で展開させていくことである。
 いま教団で掲げている「よい話をしていく運動」を進めることも、そうした意味をもつ。運動の願いに表現されているように、自立とは、もちろん孤立という意味ではなく、「自他共に助かる」という生き方である。つまり、人類全体につながる広い視野をもった信心の確立が求められるのである。
 さらには、自立した信奉者が連帯して世界を取り次ぐ、人類を救う、といった信仰内容、教団の実質を生みだしていくことである。

(2)新しい教団体制(ネットワーク)を生みだし、世界に開かれた信仰活動を生み出す。

 教団組織はその時代にふさわしい形をとって生みだされる。ゆえに時代が移ればその時代にふさわしい衣を着ないと、文化的な遺産になることはあっても、生きたはたらきはできなくなる。戦前に生まれた本教は、親と子の関係、本家と分家の関係、家元と弟子の関係のようなタテにつながれてはいるものの、各個教会中心主義をとってきた。
 教会は、一人一人の救済を具現する場として、信仰的に自立している。その意味では、教会の独立性は、これからも、もっと力強く継承されるべきであろう。
 いま新たに必要になってきているのは、教会相互の布教上の連帯である。信徒を教会にしばりつけたり、自分の教会が盛んになることだけを考えたりしていたら、その教会は死ぬであろう。かつて手続き関係において形成されていた信仰の授受、布教の連携をこんにち流のネットワークに再生させて、難儀な人々と連帯し、信仰的にも、形態的にも、積極的に社会に開かれた金光教になっていくことが必要なのである。
 いまの時代に、教団と教会とは同じ向きになって社会に向くことができるように、教団も教会も生まれ変わらなければならない。教団自体が主体となって世界へ向かって布教を展開していくとき、新しいイメージで創出された新しい布教の拠点を設置していくべきであろう。そのとき信奉者は、教団の中でどういう役割をにない、どういう活動をしていったらいいのか。
 新しい信奉者像、教会像、教団像を生みだし、動いていくこと、すなわち「世界を助けに出た」「世界をこのお道で包み回すようなおかげをいただきたい」と願われた金光大神の今日的実現をしていくことが必要であると思う。

1992年4月1日発行