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[ 三代教会長教話 ]

2004(H16)年4月
三代教会長 田 中 花 枝

病気に立ち現れる神様

 おおさきセミナーで私自身のことをはなしたら、と言われたんですけれども、ただ漠然としてまとめてありませんが、私は入退院をくり返しておりましてネ。「あの人は体が弱って入退院をくり返しているそうな」という話を他人事のように聞いておりましたが、私の場合がそれに該当するようなことになってしまったと思います。

 一連の病気が始まったのは、平成元年のことで、骨粗鬆症からです。今、私は背中が曲がっておりますね。それが始まったのが、ちょうど北沢の毛利敏規先生が亡くなられて間もない頃です。それで月に三回づつ、北沢教会と親教会へお装束を持って参拝させて頂いていたんです。ある時突然、夜中にですね、寝ようとしたら背中が痛みはじめたんですよ。電気みたいなものがサッと来て、“イタタ”じゃなくて、“ウッ”というような、反対の側からもサッと来て、これは何事だろうとお医者さんにかかりはじめた。調べてもらいましたら「これは骨粗鬆症ですよ。脊椎は八番目と九番目の間の骨が三センチある所が陥没して中に入っていて、一つの骨が一センチも出ていないよ」と言われました。骨を強める注射を打ってもらい続けました。親教会、北沢教会への参拝は続けておりました。その頃に書いた原稿が教報の「ある日の教話」にのっております。それを見るとどうやら平成元年七月一日のことなんですね。歩くと背中にひびきます。とても辛い事でしたのに、お正月が近かったんで、北沢教会の帰りに渋谷でかまぼこ二本と伊達巻き一本を買わせて頂きました。それを持とうとして「しまった!」と思いました。たいして大きい重いものでもないのに、重さが体にこたえて持ち難いのです。でも頑張ったのですが無理だったので繁美先生に電話してバス停まで来て頂いたりしたんです。
 夜になると痛むのですが、昼間痛むと皆に心配をかけるのに、夜だけというのは、私一人で痛みを受けさせて貰っているということで有り難いことだと思うのです。本当にそう思っているので、次々と発作的痛みが来るときつくて、「いつまでこの痛みは続くんだろう。お産の痛み、陣痛だったらこの痛みで赤ちゃんが産まれるという喜びあるのに、このつらさはいつまで続くんだろう」と思ってしまうのです。
 発作が次々起こってくる最中に、ふと、「これは神樣が私だけに下さったもの」と思ったのです。その時が、同じように激しい痛みも、同じように来るのですが、全然その痛さの受けられるような楽な気持ちになったのです。思ったとたんだったので、不思議と言えば不思議で、思わず「金光様ありがとうございます」とお礼申し上げました。
痛みが次第に収まりました。後遺症として現在の私の背中が突起して曲がっているのです。

 それから数年経った頃、とても激しい腰痛が起こって、お医者さんに診てもらい、いろいろ検査している中に、出血していることが分かったんですね。で、どこから出血しているか調べようと、順々に検査してももらったんですけれども、私自身がおなか回りに何か固まりが感じられるんですね。先生は触診して下さってそんなものはないとおっしゃるんです。「先生そんなことおっしゃっても私にはつかめるんですよ」って言ったんです。けれどもネ「ないよ」っておっしゃるんです。
 それから紹介してもらった病院でCT取ったらやっぱり腫瘍が出来ているし、「一週間もおいていたら爆発するか、腸閉塞をおこしてしまうよ」といわれても全然驚きませんでした。今その当時の私は別に心配することなく、やっぱりそうだったのかと思うくらいでいたのだと思います。
 悪性小腸リンパ腫という病名がついて、小腸を二五センチ切除する手術をうけました。当時副院長、元外科部長が執刀して下さり、順調な経過をたどりました。手術後、主治医が私の癌について説明をして下さいましたが、病気の進行する速度が速く、一年後の生存率は五〇%程度だということでした。五年後に生存する確率はかなり低いことを知りました。順調に快復して退院できまして、その時から今年の六月で九年目を迎えます。その後、たびたび入退院をくり返しているんですよ。

 教会のご造営が始まって、四年前の二〇〇〇年八月五日、着工祈願祭の祭主の御用を頂きました。猛烈に暑い日でした。祭主あいさつと言われまして、参拝しておられる皆さんの方へ向きを変えましたら、この全身から汗が流れ落ちる猛烈な暑さなのに、皆の顔がパッと花が咲いたように輝いている。「あー、ありがたいナァ」と思いました。有り難くて嬉しくて、私も輝いていたのではないでしょうか。
 着工祈願祭が終わって仮広前へ戻り、建築業者との打ち合わせが終わったあと親教会への御礼参拝に行こうとして、元雄先生運転の車に乗り、これより新築される広前を通り一礼して走り出しましたら、胸を締め付けられる発作を起こしました。親教会参拝を止めて仮広前へ帰り、洗面器一杯吐きました。背中と胸がメチャクチャ痛み、苦しくて着ている物を一枚一枚脱いで、お神酒さんを吹いてとお願いして、苦しさに目も開けられないまま有り難いことに眠ってしまいました。土曜日で病院が閉じていたので、救急車をと言われましたが固辞しましたら、元雄先生が漢方薬を買って来て下さったので、それを頂いて眠らせて頂きましたら、気分がよくなっていました。大汗をかいたので、入浴しました。
 翌日は月例祭で、祭主の御用を頂きました。
 そのさらに翌日の月曜日になって、ホームドクターの麦谷医院に行って診てもらいました。このままではいけないので、東戸塚の病院へ行ってほしいと言われ、東戸塚記念病院に行って心電図をとってもらいましたら、私の主治医の院長が、「これは心筋梗塞だよ。よく生きていたね」と言ってすぐ救急車で専門の菊名の病院へ転送されました。
 東戸塚の院長じきじきの手配なので、といって、心臓の専門医のチームが玄関で迎えて下さいました。そして直ちにカテーテルの処置をうけました。冠動脈のつまったところを風船でふくらませ、ステントとう金属を血管の中に入れて血管がふさがらないようにするのです。
 わが心の神が、神様の方へ向いていると、神様はいつも私共に呼びかけ、いろいろのことを話しかけて下さっているのだと思います。
 入院中にこんなことがありました。集中治療室にいて、この部屋は全面白いカベなんですが、眠って目を開けると私の足元の方が全部ご神殿になっている。御簾があってご神殿とご霊殿があって、お広前になっている。一生懸命目を凝らしてみているうちに、「あーここで元雄先生が御用して下さっているんだナ」と思い、有り難いことだなあと思っているうちに一眠りしたのでしょう、目を開けると、いつの間にかこれが集中治療室で元通りになっている。看護婦さんやお医者さんが忙しそうに歩き回っている。さっきのは何だったんだろうかと思った。この時は清々しい心にありがたく、勿体ない気持ちになりました。

 余談になりますが、私は寝言を言うらしいですよ。同室の人が「田中さん、大きな声で拝んでいた」どうやら、神前拝詞をあげていたらしです。そう言えば、夢の中で神前拝詞が思うようにあげられなくて、大きな声を一生懸命出していたことを思い出しました。
 かかりつけのお医者さんには「もうどんなことがあってもいいから、死亡診断書書いて下さればいいですから、入院はもういいです」と言ったら先生が笑っておられた。

 それがですよ。二〇〇三年八月十九日、厨房で果物をむいて終わって、サァと思ったとたんに坐っていたイスから滑り落ちて厨房の床に力一杯叩きつけられバウンドして倒れた。骨が折れたらしい。美智代に手を借りてベッドまでたどりつきました。かかりつけの先生に電話をすると看護師さんが飛んできてくださった。これはレントゲンを撮った方がよいということになり、元雄先生におんぶされて車まで運んでもらい、レントゲンを撮ってみると「立派な骨折だよ」「入院だよ」とおっしゃいました。
 車で東戸塚へ行き、骨に金具を通して引っ張る応急処置をうけた。経験したことのない痛みだった。その痛かったこと忘れません。二日間手術までが痛かった。手術してもらったらケロッと痛みが治まった。はじめからどんなことがあっても「生神金光大神様」と頂いた大林圀夫先生のお話があるが、痛みがあるということは神様がついてくださるのだと思う。
  「杖をついて歩けば」といわれるが「高島さん、杖をついて楽ですか?」(高島あやさん「楽です」)“ステッキでしゃれた人がするようにしたらいいんだよ ”とドクターはおっしゃいます。帯状疱疹になったときには太田妙子さんにお世話になりましたが、あのときも痛かった。

 ご造営が終わって仮広前からこちらへ帰る日、病院にいたんですよ、また。引っ越しから一週間して帰らせて頂くんですけれども、あの時の感激は忘れませんね。
 外のRカベがあるでしょ。建築士さんが「無限の天地を現しているものなんだ」と元雄先生が説明してくださった時、感動で体が震え、ありがたいなァと思いました。「ご神殿の正面が曲線を描いているものも天地の無限を現しているものなんだ」と聞いた時、やはり有難くて、勿体なさで胸一杯になり、涙が出そうになりました。朝、ご神前の前にお水をお供えする時、「生神金光大神様、天地金乃神樣、いのちを頂いてありがとうございます。と御礼申し上げます。大天地の中で生かされているのが有難いナァと思える毎日でございます。
 ありがとうございました。

 「おたずねしたいのですが。一昨年でしたか、悪性リンパ腫が悪化した時がありましたね」

 あゝ、あれはね、はじめ腕の両脇にコリコリしたものが出来ましたんですよ。「先生ゴリゴリが出来たんですよ」と言いましたら、かかりつけの先生は、元外科部長だったですから、「あー、これは簡単に取れるよ」「そうなんですか?」吉田先生に聞いたら「私は簡単に取って貰いました」と言われる。そのうちだんだん大きくなってリンパが痛むんですよ。それに方々に出てきましたよ。脚のつけねにも小さな一センチ五ミリくらいの固い固まりが無数に出来、それが一つになって痛んだこともありました。東戸塚の病院に行って、院長に言った時、「それは切って悪い結果になるかも知れないよ」と言われました。大きいのを取っても、小さいのが大きくなるだけだというんですね。全身のリンパが大きくなり暴れ始めたみたいなんです。それが一昨年の夏前頃の話なんですが、何もしてもらえないまま丸山ワクチンだけは続けて打ってもらっていました。
 ところが、秋も終わりに近づく頃だんだん小さくなっていったんですよ。そして、暮れのころ、気がついてみましたら、ないんですよ、コリコリが。今ではもう完全に消えてしまっています。先生が「なぜだろうネェ、医学的には考えられないことだネェ」と首をかしげられます。あのリンパだけは未だにわかりません。

 朝、目ざめてご神前の前に立ってご拝礼したとき、「天地の親神様の無限のお働きの中に命を頂いて今朝も目ざめさして頂き有り難うございます。おはようございます」とお礼申し上げて私の今日一日が始まります。このお広前がご造営完成してから丸三年経ちます。教会の建物のご神殿、そしてその床、裏広前の廊下から下足のまま歩いているお広前やホール、厨房の床も、心ある方々の祈りと願いを込めた日々の洒掃で輝き、格調高い、それらに一つ一つお礼申し上げ、新築出来るまで私の命はあるかしら、と思っていた私が、このお広前に住まわして頂いて三年も命を頂いて来たのだなあ、と勿体ない日々でございます。

 思えば、教会ご造営と共に、私共信心造営をしてゆきましょうと合い言葉のように申しましたが、今省みますと、私自身は神様からわが心に信心の造営をして下さったと思います。私の信心の造営のお話はまたのチャンスにさして頂きます。
 年と共に衰えてゆく体を優しく支えて下さる家族や身の回りの人たちに勿体ないことと思います。これよりはお広前が世の救いのお役に立つ働きが出来、総氏子身の上安全世界真の平和実現を願わせ給う親神様のご悲願、成就いたしますようと祈ります。

(2月22日の「おおさきセミナー」でのお話)