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[ 三代教会長教話 ]

2003(H15)年4月
三代教会長 田 中 花 枝

輝ける老いを生きる

 お広前に佇むと、そこには天地の無限を表象した御神殿のゆるやかな弧を描いた壁にスポットライトを浴びた天地書付を、深く深く拝礼。
 生神金光大神様天地金乃神様、ありがとうございます。無限のお働きの中に「いのち」を頂き、目覚めさして頂き、ありがとうございます。
 それから教会玄関を開門して、些かな御用に心込めさして頂きます。
 これが私の朝の始まりで、身支度をする一つの事にしても、何と時間の掛かることか、と我ながら驚いてしまいます。
 そんな時、自分でするのではない、させて貰っているのだと思い返すのです。というのは私の脊髄から胃にかけて、丸い輪をかけたような位置が痛み始めました。それは一定の所でなく、移動しながら、数ヶ所が同時に、時にはバラバラに痛みの攻撃を受けます。でも夜寝床に入るとその痛みはなく、眠らして頂ける幸せを感じながら、ベッドから起き上がろうとすると、グッと強い痛みが来て、一刻歩く事も出来ません。
 そんな日が続いているとき、しばらく起きていなかった足がつるのが始まりました。更に唇の一部がヘルペスで強烈に痛み始めました。泣き面に蜂とはこのような事をいうのでしょうか。痛さと、それを堪えてゆく辛さを味わせて頂きました。このような状態になった時、体が衰弱の方へ向いたかなという思いがし、心も萎えて来ました。
 常々どんな事がおこって来ても、それは神様がなさるのであるから有難く頂く事と思っている筈の私ではなかったか、この位で体も心も弱まって来るとは一体どうしたと、毎日毎日繰り返し省みながらの毎日でした。
 こんなとき、ふと、新聞で読んだ聖路加病院の名誉院長・日野原重明先生のお話です。
 先生は小学校三年生の授業で「命」についてお話をなさったそうですが、先生がお話しなさる前に「老い」についての授業をされました。その資料の中に何歳から老人と思うかという問いに対して、半数以上の子が「六〇歳」と答え、「六十五歳」「七十歳」「八十五歳」の高齢層を示した子供は三分の一以下だったそうです。
 また、子供たちが抱く老人そのもののイメージは白髪、皺、耳が遠い、腰が曲がっている等、肉体的衰えを言い、物を買ってくれる」「孫を可愛がる」といった事はあっても、社会に参加している元気な老人像は見当たりません。大人が見ている以上に、子供にとっては、大人の姿は若々しくない衰えた姿だったのでしょうか。
 先生は子供達に「老い」もマイナスととらえてほしくないと思い、用意せられた二〇本の聴診器で、子供たちに、お友達の「心音」を聞き合うように指示されました。初めて聞く心音に目を輝かす子供達に、先生は「九十一歳の私の心臓は三十七億回を超えている」と話し、年は取っても元気で働いている自分の姿を見せた上で、年を取ることや「命の使い方」について、命を大切にするという事は長生きをする事だけでなく、どう自分らしく命を使うかなんだと話し、老いについても、年を取る事が衰えるというイメージが強かったのに、命をどのように使ってゆくのかは、自分自身が解ったようだったと、先生は学校授業を終えて、私の心は一層若やいだと話しておられます。
 数知れぬ体験と実践、そして信仰と信念の方が、未だ幼い小学校三年生に「命」について噛んで含めるように解り易くお話し下さったのでしょう。先生が、この子供たちに、「十年後にまた会いましょう。君達は十八歳、私は百一歳ですね」と語り、年寄りをしなびてゆく老人と見ていたのに、それぞれが輝いた生き方が出来るという希望を持たされただろうと私は大変感動いたしました。
 人は無限の天地のいのちの中に、私も命を頂き、今日は私は肉体的にも神様から沢山の宿題を頂いて、畏みて頂き、大崎教会平成十五年の天地金乃神大祭をお仕え出来た事を心から御礼申し上げております。
 今日よりは、改めて、賜った命がこの世にある限り輝いてゆく日々を、御礼と共に、元気な心で皆さんとご一緒におかげ受けてまいりたいと念願いたしております。