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[ 三代教会長教話 ]

2000(H12)年10月
三代教会長 田 中 花 枝

心筋梗塞という神様のお差し向け

 生神金光大神大祭おめでとうございます。今年七月よりご造営のため戸越六丁目へと仮教会広前で日々おかげ頂いてまいりましたが、さらに秋季霊祭と本日の生神金光大神大祭をこの戸越会館で仕えさせて頂いたわけでございまして、誠にありがたいことでございます。
 今年の四月、天地金乃神大祭の折に、七月に入ると教会はこわされ、整地され、新築が進められてまいります。教会が整地されると共に私共の信心も心の聖地をして零からの新しい気持ちで信心造営をしてゆきたい、それも在籍信奉者一人も洩れる事なくおかげを頂いてゆきたいと願ったのでございました。

 七月十七日から二十四日の八日間私には自覚症状としては何もなかったのですが、多分疲れた様子であり、血小板が二・四万と下がった為か強要されて本当に休養に入院いたしました。教会に戻らして頂きまして、信者さん方と共に祈りをこめた八月着工祈願祭、あの日、感激は忘れることが出来ません。気温の昇った暑い日でした。テントの中に立派に設えられた神雛で囲われたご神殿には天地書附を奉掲し、感激の内に神様にここまでお運び頂いたお礼と、そしてこれから進められてゆく工事、事業の上に怪我誤ちのございませんようにと心をこめて祈願させて頂いたのでした。
 この感激の冷めやらぬその日の午後、私の胸と背に名状し難い苦しみの発作がおこりました。この時のことは「おおさきだより」九月号に若先生が書いて下さっているので重ねて書くのは止めておいて、私の心境について触れます。日頃から、一切の出来事は神様が私へ差し向けて下さったものと頂いてはおりますが、心筋梗塞処置の時、大腿部からカテーテルを心臓まで挿入して塞がった部分を開通させる処置をして頂きましたが、その大腿部から大出血が始まりました。出血によるショックの危険性もあったので、止血を最優先させ、1sの重石を三日間傷口に貼り付け、動いてはいけない、と言われました。骨盤の骨の上に重石の重圧がかかってきて、その辛かったこと、まさに拷問にかけられているのと同じ苦しみを味わいました。
 集中治療室に丸一週間、この室で管だらけになったわが姿と、私の横に据えられている私の体から発する様々のデータを表すボックスが置かれ二十四時間データを表しています。何か自分がこうなっていること自体が不思議に思えてくるのでした。この集中治療室は随分広くて、ここへ入っている重い患者さん達の数は解らないのですが六人以上は入っておられました。私を含めてではありますが、この人達が身動きならない体を病気に対する治療、食べる事、体の清潔さを保つべく体を拭いたり、お下の世話そして消毒、点滴以外に口から飲む薬を一つ一つ医師、看護婦さん、ヘルパーさんたちが勇ましく動き回ってそれに当たっておられる。我がままを言って困らせる患者さんには幼な児に言い聞かせるように説得してゆく。看護する人達には下の世話をするにも嫌な顔をする人は一人もいない。中には顔を見ていると幼い顔をした看護婦さんもかなりいて、その働きには頭の下がる思いがしました。患者さんの一人一人に一刻も早く楽になり快くなってほしいという思いが漲っているのです。
 集中治療室の中は、天井も壁も境にしてある戸も白一色でありました。ある日夜中に目を覚まして足許の方を見ると、足許の方が、全体に木造の御神殿で、御神燈も灯っていて、右側にお結界があり、眩しい輝きでなく重厚な輝きが厳かにあるではありませんか。今は姿は見えないけれど、あのお結界には若先生が御用をして下さっているのだな、それなのに私は御神殿にお尻を向けて寝ているのではないですか。勿体ない、どうしようと思って目を閉じてご祈念を、お詫びのご祈念をしておりました。暫くして、それは時間にしてどれほどかは解らないのですが、目を開けた時にはそこには御神殿はなく、いつもの白一色の部屋になっていて、医療が開始されておりました。私はどう考えても夢とも現とも思えない。集中治療室での忘れられない事です。

 私の病院生活は今までの中で一番長かったのですが、病院で休ませていただいている私に、教会の様子が解らして頂けたのです。お結界では御用が出来ないのですが、聞かせていただいた事はお礼を申し上げたりお願いをしたりいたしました。八月十六日には月例祭後に吉田先生、岡田さん、高島さんがお見舞いに来て下さり、若先生は国際センターで、繁美先生も私もお広前不在なので、信者さん有志がお広前御用をおかげ頂かして貰いますと報告があった。「それは有り難いことですが、先生が不在なのでお留守番をさして貰う、それだけでは本当のご用にならない。電話がかかる、その内容をメモする、参拝者がある、その人がお願いをされる、その時一緒になってお願いさして貰ったり、何か自分の感ずる事があったら話さして貰う、お参りしたけどお広前には○○さんしか居られなかった、という空虚な気持ちで参拝せられた方が帰られてはいけないですネ。只の留守番というのでなく、信心を以ておかげ受けて下さい」とお礼と激励のつもりで言いました。
 私の入院生活も一ヶ月余りになり、未だ長期になりそうな気配もあったのですが、その中を退院のおかげを頂きました。
 若先生は私がお広前不在になってから、早朝よりお広前ご用をして下さっておりました。先生は国際センターの御用の他にも、教団の御用、教会関係の御用、そして大崎教会自体の月々の「おおさきだより」の発行、そして何よりご造営の建築現場での打ち合わせや細々とした手続きなど、全く忙殺の日々です。私、体が悪い等と言っては罰が当たるという思いぴったりですが、今回は、今まで入退院をくり返した中で一番病の余波が残っているようで、肉体的に辛い気がします。歩くことが私のリハビリになっております。
 ご本部の生神金光大神大祭は、私ども十月一日にお引き寄せ頂きました。岡田光二さんがご親切に私の事を案じて品川区の福祉協議会から車椅子を一ヶ月借りてきて下さいましたが、この車椅子に乗って参拝するようすすめられ、知った人にあったら、あなたもとうとう車椅子になりましたか、と同情されるようなことは嫌だナとか、自分自身を惨めに追い込んでいる私に気付き、素直になるというのも信行の一つではないか、と自分自身に言い聞かせました。そうしたら、それまで心がいじけていたのでしょうか、心がパッと明るく、勿体なく生神金光大神大祭を頂くことが出来、教主金光様にもご造営のこと、私の心筋梗塞の事、皆様のお礼とお願いのお取次を頂きまして、車椅子で金光の町を方々行かせて頂きました。何と勿体なく幸せ者かと身に沁みてありがたく思いました。
 年を取って良いことは、物事の感動の大きいことです。年を頂いた事って有り難いことだとつよく感じております。
 二週間おきで、建築業者との打ち合わせがあるようですが、退院してから私も車で二回普請中の教会の現場を見に連れて行って頂き、立派な基礎工事が出来て、大方蓋がしてありました。そして、二、三日して今度は歩いて行ったとき、建物は上へ上へと鉄筋の柱、カーブした壁、それはそれはすばらしいもので、感激いっぱいになりました。
 今も絶ゆることなくご造営は進んでおります。あの着工祈願祭から今日まで私の心の中に頂いて来ている信心は、神様がどれだけ案じながら数々の事を見せて下さり、教えて下さったことか。その事にお応え申し上げるべく、ご神意に添うべく、私の出来る限りの信心と信行を頂いてゆきたいと思います。
 「一心に願え おかげは和賀心にあり」と天地書附を日々頂いていて、和賀心がどのように働いているでしょうか。「わが心でわが身を生かすこともあり殺すこともあり」ともみ教え下さっています。
 今、ご造営は大崎教会在籍信奉者を打って一丸となって成就を願い、自らもそれぞれがわが心に大きな信心の灯を燃やし、このご造営に遭えた感激を忘れず、ご普請が進んでゆく様に信心を進めさせて頂きたいと思います。
 今日の生神金光大神ご大祭の日に。