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金光教大崎教会へようこそ。
こちらでは、大崎教会のご紹介をさせて戴きます。
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[ 三代教会長教話 ]

1999(H11)年10月
三代教会長 田 中 花 枝

生神金光大神大祭をお迎えして  21世紀への祈り

 本日一九九九年の生神金光大神大祭をお仕えさして頂き、誠におめでとうございます。
 特に、今年の金光大神大祭には教会にとって感銘深いものがあり、それはこのご大祭後教会ご造営に取り掛かるため、教会を仮移転先に神様をお遷しする予定になっていて、色々とお話し合いを重ねていた時、岡田光二さんと太田昇さんが、「今のお広前をお別れするとき、みんなでこのお広前を心こめてお掃除させて頂いてお礼を申したいと思います」と言われた時、胸に熱いものがこみ上げてきました。五反田の地で戦災にあい、御縁があってこの戸越に布教させて頂いて満五十年になるこのお広前、初代と二代の歴代教会長先生のお取次によってどれ程数多くの人がみかげ蒙られて来た事か。
 現在の大崎広前が戦災に遭って焼失し、教会広前復興の折の建築中に幾多の困難がありました。その時の神様の量り知れないお働き、私の子供四人、一人一人に起こってきた難儀をどの子も信じられない様なおかげを受けてきました。
 信者さん方も奇跡的なおかげを受けられました。青谷武一さんのご長男の武夫さんは寒中に妊娠七ヶ月で生まれ、医師も助産婦さんも、今息をしなくなっても少しも不思議ではない、と言われる生命の危機を乗り越えて、今では立派に成長して、折々に参拝しておられます。まさに存在が驚異であると言っても良いようなみかげを頂かれたことをom思わされるのです。
 田中富美さんの娘さんが結婚一週間前に相手の方が行方不明になり、その事を通して不思議な神様のお働きを頂かれたこともありました。思い出していくと、次から次へと数え切れない多くの人たちのみかげを蒙られてきたお広前なのです。歴代の先生方は金光大神のご信心を、金光教人として道を取り次がれ、脈々と今日に至っての戦後の五十年です。
 九月二十九日には、教祖生誕祭にが穏やかに和やかに行われました。教祖様が御現れ下さったからこそ、わたしたちは生かされているのです。その喜びを知り、悟り、そして神様の許に帰らせて頂いても同じ様に神様のおかげを受けるのであると教えて下さった教祖さまの広く、深い御徳を偲びつつ、教祖様ありがとうございます、お誕生日おめでとうございます、と小さい灯のともった可愛いローソクをお供えしてお礼を申しました。祭典後、元雄先生が教話の中で、「来年の教祖生誕祭は何処でどんな形でお仕えしているだろうかとフト思いました」と言われた時、全く同感の思いがしました。来年の教祖さまのお祭りまで、一つ一つの教会行事を節目として、教祖さまがお教え下さり、お示し下さった神の氏子としてゆくべき道しるべを歩みたいと思います。そして、自分の内面を見つめ、自分の難点といいますか、それを克服していくおかげ受けて行こうと、元気な心で実践してまいりたいと念願いたします。
 出来難かったり、途中で挫折しそうになるかもしれませんが、祈り乍らまいりたいと思います。いつでも天地の神様とわが心の神様が響き合えるようにならして頂きたいと念願して、自分の信心内容を豊かにする力を頂いてゆきたいと思います。信心は常日頃の信心が必要で、めいめいがしっかりと本心の玉を磨き、信心の火を赤々と燃やしたいものです。そして、元気な心で二十一世紀へ向けて金光教大崎教会の大願成就のおかげを受けて参ろうではありませんか。今こそ。心を一つにして。