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■785 / inTopicNo.1)  天地書附
  
□投稿者/ モロ @MAIL -(2003/01/15(Wed) 08:23:26)
http://osaki.konko.jp
    >初めて天地書付を見て「おかげは和賀心にあり」と云うところが、「おかげは我が心
    >にあり」と思ったんですよね。
    >「和賀心」とは和らぎよろこぶ心だと聞いても、どうしても「我が心にあり」の様に
    >おもえるんですよ。
    >今でもそうですが、我が心と天と地の自然の中や人々の中から学びなさいと云ってる
    >様に見える所でしょうか。

    ごんた朗左右衛門さん、いきなり本丸の天地書附についてですね。
     おっしゃるように、「おかげは和賀心にあり」は、基本的に「わが心にあり」だと思います。しかし、「わが心」は「我の心」ではなく、「神の心」だと思います。自分の心と言っても、神のような心になることもあれば、鬼のような心になることもある。
     「おかげはわが心にあり」を、「おかげを受けるのも、受けないのも、自分の心次第だ」ともっとも単純に解釈したとしても、その自分の心をどのようにすれば、おかげ(=平和、幸福、健康)になるのか、ということが問題になります。
     「神の心」「鬼の心」と書いてみて、思い出したことがあります。三代金光様にある方が、「『わが心に神がござる』とおっしゃり、『わが心の鬼がわが身を責めるぞ』と教えられています。自分の心に神と鬼とがあるとすれば、どれが神の声であり、どれが鬼の声かわかりません。どうしたらよろしいでしょうか」と尋ねました。それに対し、三代金光様は、「わがままと横着をせられなければ結構です」と答えられたということです。
     「わがままと横着」が我(が)の心、鬼の心なのでしょう。   (つづく)

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■786 / inTopicNo.2)  Re[1]: 天地書附
□投稿者/ ハルミ @MAIL -(2003/01/15(Wed) 23:29:13)
    相模原教会の元日祭に妹の家族と共に参拝した時のことです。帰り際にアルコール依存症で苦しんでいる妹の主人に田島先生が声をかけておっしゃいました。「わがままと横着をしなければいいのよ。」と・・・。本人はどのように受け止めたかは分かりませんが、私はなるほどと感心しました。その同じお言葉を半月も経たないうちにモロ先生からお聞きし(目にし)またまた深く感じ入っています。
    少し気を許すと、というよりほとんど何時でも「わがままと横着」に流れてしまう私たちの日常です。うーーん、頑張らなければ! それにしても金光教のみ教は、簡単で易しいけれど奥が深いですね。意味が分かっても身に付くのはなかなかです。だから、同じ教話を何度聞いてもその時々で新しさがあるのですね。モロ先生、「ひろば」の皆様これからも色々教えてください。
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■788 / inTopicNo.3)  Re[2]: 天地書附
□投稿者/ モロ @MAIL -(2003/01/17(Fri) 09:46:36)
http://osaki.konko.jp
     ハルミさん、実践がむつかしい、その通りだと思います。
     「わかっちゃいるけど」というところが大いにあります。知っているだけじゃあダメだと思います。それでも、「わかる」「わかろうとする」ことは大切です。「知っていて罪を犯すのは罪が大きい」と諭されていますから、心しなければならないと思います。それでも、知っていれば、本当に「わかる」ということにつながっていくと思います。
     み教えは体験によって深められていきます。頭だけで「知っている」ことも、体験を通して、ハッとその意味することが「わかる」ことがあります。
     娘の大病、医師からも見放されて死の淵にあったのが助けられて、お礼の参拝に見えました。お広前で日めくりのみ教え、「難はみかげ」を見たとき、父親はハラハラと涙をながして、「本当にそうですねー」と心の底からみ教えを頂かれました。毎月そのみ教えは見ているのです。でも、その時はあふれ出る涙をもって受け入れた。
     み教えは、自分自身のなかで進化、深化していくものなのですね。
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■789 / inTopicNo.4)  Re[1]: 天地書附
□投稿者/ モロ @MAIL -(2003/01/18(Sat) 09:36:22)
http://osaki.konko.jp
    『金光教教典』の御理解二類の中に、角南佐之吉氏の次のような伝えがあります。
    ___________________

     父も私も気性が荒く、いつも意見が合わなかった。その時も何かのことで争い、参拝したところ、金光様はお書付(天地書附)をくださり、「おかげは和賀心にあり」について、
    「和はやわらぐで、賀は祝賀の賀である」
    とご理解をしてくださった。
     身にしみてありがたく感じ、帰って、翌朝、父に向かい、「お父さん、私が悪かった」と泣いてわびると、「お前がそういう心になったか。そういえば、わしが悪かったのだ」と父も泣いて喜ばれ、また母も、「私の梶の取りようが悪かったのです」と言い、三人が泣いてわび合った。それからは何も言い争うことがなくなり、私の仕事を父も快く手伝ってくださるようになった。
    ___________________

     これが、「和賀心は和らぎよろこぶ心である」と伝えられるゆえんです。
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■790 / inTopicNo.5)  Re[2]: 天地書附
□投稿者/ モロ @MAIL -(2003/01/20(Mon) 08:18:08)
http://osaki.konko.jp
     このくだりは、ご伝記『金光大神』によると、こうなっています。

     佐之吉の気象のはげしさは、本人だけでなく、その兄弟も同様で、親子・兄弟のあいだに、いさかいが、たえまなく、農事なども、おなじ田圃で、親子いっしょに、はたらくことすら、こころよしとせぬありさまであった。
     ある日、佐之吉は、親とあらそいごとをしたすえに参拝した。金光大神は、これに「御書附」をさずけ、そのなかの「和賀心」ということを、
     「和はやわらぎ、なかよくする、という字で、『くわえる』とも訓む。賀は、祝賀の賀で、『いわう』とも『よろこぶ』ともいう字じゃ。信心するものは、この、やわらぎ、よろこぶこころでなければいけぬ。このこころで信心すれば、おかげがある」
    と、ときさとした。佐之吉は、さながら電気にでもうたれたごとくに感じ、さすがの我執も、根柢からくだけ去って、「ああ、わしがわるかった」と、とみに、あらたまるところがあった。
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■791 / inTopicNo.6)  Re[1]: 天地書附
□投稿者/ ごんた朗左右衛門 -(2003/01/20(Mon) 21:46:17)
    モロ様、知らないとは言え本丸からせめていたとは、誠に申し訳ござらん。
    考えればこの「短い言葉」にとてつもなく深い意味があるのですね。
    全宇宙を語る事が出来るのでしょうね。
    「我が心の鬼が我が身を責めるぞ」と聞いたとき、拙者は鬼に責められっぱなしでござる。
    例えば、「今日は良いことをして良かったな」と考えてみると、舞い上がっていてその考えてる我が身がもう鬼の様で「いかん」と考える日々です。
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■792 / inTopicNo.7)  Re[2]: 天地書附
□投稿者/ モロ @MAIL -(2003/01/21(Tue) 16:26:35)
http://osaki.konko.jp
    ごんた様、

    >考えればこの「短い言葉」にとてつもなく深い意味があるのですね。
    >全宇宙を語る事が出来るのでしょうね。

     そうだと思います。34文字に込められた世界の広さ、深さは限りないと思います。

    >「我が心の鬼が我が身を責めるぞ」と聞いたとき、拙者は鬼に責められっぱなしでござる。

     その自覚こそが大切なのですね。金光大神も、自分は最善を尽くしたつもりだけれども、凡夫ゆえ、どこに神さまへのご無礼があるかわからない、と懺悔しておられます。
     先覚の先生は、「われ良しと 思う心を 仇(あだ)として 戦いてゆけ 日ごと夜ごとに」と歌っておられます。自分は正しい、と思うところに傲慢さと油断とが生まれ、それがそのまま鬼と化すのだと思います。
     自分を正視し、自分の「我」の正体を見極め、自分のダメさ加減を自覚していくことが神さまとの回路をつけてゆく出発点になるのだと思います。
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■803 / inTopicNo.8)  Re[3]: 天地書附
□投稿者/ モロ @MAIL -(2003/01/26(Sun) 22:14:35)
http://osaki.konko.jp
     「和賀心」はあて字であり、語呂合わせであると思いますが、それにしても、含蓄のあることばだなあと思います。
     少しことば遊びになるかもしれませんが、「和」は平和の「和」であり、「調和」の「和」であり、「和合」の「和」です。「和をもって貴し」となす聖徳太子以来の文化伝統をも内包することばです。「和」は足し算の合計をも意味し、料理では「和える」ということばがあるように、複数のものが互いに関わり合って、より良いものを生み出す姿を示しています。原義は、「人の声に応じ、それに合わせる」ということのようです。ひろく、なごみやわらぐ意に使われます。

     「賀」は「祝賀」の「賀」であり、「慶賀」の「賀」です。原義は、「財宝を積み重ねて祝いを述べる意」であり、ひろく「よろこぶ」ことを意味します。原義からいえば、人に対して何か物を与え、人のよろこぶことをわが喜びとする意味のようです。
     このように見ますと、和賀心は、ただ単に「自分の心」ではなくて、複数の人、もっと言えば他者、すなわち全人類と共に手をたずさえ、喜び合う意味が含まれています。

     昔、天地書附と他者認識とどうかかわるのか、ということが謎というか、接点がないなあと悩み苦しんだことがあります。ところがどっこい、和賀心には「われひと共に助かる」思想が込められていた、ということに気づかされました。
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■804 / inTopicNo.9)  Re[4]: 天地書附
□投稿者/ モロ @MAIL -(2003/01/27(Mon) 09:22:15)
http://osaki.konko.jp
     「一心に願え」と「おかげは和賀心にあり」とはセットになっています。
     「一心に願え」の「一心」には、「一心不乱」の一心と「一心同体」の一心があるように思います。
     前者は、生神金光大神、天地金乃神と一筋に願うことを促しています。二心のない、迷いのない、岩をも貫徹するような一心です。
     後者は、神と共にあること、神心と一つになっていくことを促しています。「一心二願」と書かれていますが、これを神の願いと人の願いと二つの願いが一つになっていくこと、として「いっしんにがん」と受けとめている、という先輩の先生の話を伺ったことがあります。

     金光大神さまは、「この方が祈るところは天地金乃神と一心なり」と言っておられますが、これもその両方の解釈が可能です。天地金乃神へ一筋であることと、天地金乃神と一つになっているの両義が読みとれます。

     そして、「一心に願え」は私から神さまへ、「おかげは和賀心にあり」は神さまから私へという方向があるように思うのです。さらに、「一心に願え」は、神さま絶対の他力の信仰、「おかげは和賀心にあり」は、悟りを重視する自力の信仰。金光教は、それがセットになった自他力の信仰。神と人と共存、共栄、協働、つまり「あいよかけよ」です。
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■805 / inTopicNo.10)  Re[5]: 天地書附
□投稿者/ モロ @MAIL -(2003/01/28(Tue) 09:35:38)
http://osaki.konko.jp
     「今月今日で」というのは、「かけがえのない今、という精神で」ということです。福山から行く鞆(とも)の祇園宮では、祭礼の時、「今月今日」と書いた提灯を掲げるそうです。年に一度の祭礼日である今日、という意味なのだろうと思います。祭は神と人が出会う大切な日で、一年かけて準備をし、心待ちにします。思いを込めて「まつ」のが「まつり」だということも聞いたことがあります。それほどに大切な日、それを今月今日と表現したものなのでしょう。
     それを、金光大神は、<「今月今日」という思い「で」、神さまに「頼めい」>と伝えられたのだと思います。最後の「い」は、方言、もしくは文語で、「〜しなさい」という意味だと思いますが、岡山方面では、「たのめー」とのばすのだ、と聞いたことがあります。現に、そのように天地書附を奉唱している人もいます。

     それに、この「今月今日」には、もう一つの意味が込められています。当時、人びとは日柄方角に縛られていましたが、金光大神は自らの体験と神との対話を通して、時々刻々、神のおかげによらざる時、日はない、との確信に至られます。今でも、人びとは風水やら、運勢やらで、この日は良い日、この方角は悪い方角というように、日柄方角に縛られたがっているかのようです。広やかな天地、自由な日々、いっさいが天地の神のおかげの中であり、何事も神に願い、そのおかげを十全にうけていけばよいのだ、と教えられました。
     時々刻々、神のおかげを受け通しており、日々神のお守りを頂いているのであるから、この日は悪い日だからと何かを忌避したりする必要がないのだ。毎日毎日、神に願っておかげを受けていきなさい、との意が「今月今日で頼めい」に表明されていると思います。
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■809 / inTopicNo.11)  Re[6]: 天地書附
□投稿者/ モロ @MAIL -(2003/02/01(Sat) 13:01:31)
http://osaki.konko.jp
     天地書附が誕生する背景には、ただならぬ時代状況がありました。明治6年2月、取次が禁止されます。明治維新という時代の大転換により、徳川300年の幕藩体制が崩れ、明治新政府による天皇制が始まります。仏教から国家神道へと宗教政策も変わります。新政府による神々の統制が始まって、藪神小神は抹殺されます。天地金乃神も、民間のわけのわからぬ神とみなされ、政府によって抹殺されかねない状況にありました。
     家族と直信たちは、不安のただ中にありました。金光大神も落胆されたようです。お広前にまつってある神さまもかたづけなければなりませんでした。参拝することも許されませんで、遠くから来た人たちもお広前に入ることも、教祖様と話をすることも出来ませんでした。
     そんな状況下、1ヶ月にわたって、金光大神はお広前右奥の3畳の間で蟄居し、60年の人生を顧みました。神さまから頂いた教えを反芻しながら、自分が教えられた道というものについて、深く思いをいたされたでありましょう。
     そして、「天地金乃神 生神金光大神 一心に願 おかげはわが心にあり」(ごん太朗左右衛門さん、ここは『お知らせ事覚帳』では「わが心」となっています)という書付をしなさい、と命ぜられます。 
     お上から取次が許され、再開してほどなく、天地書附がご神命により定まります。このような背景をみますと、神前を撤去させられ、参拝も、祈念も、取次も禁ぜられたときに、わが心に刻み込んだ教えさえあれば、いつでも神とともにあり、救いの道は開かれる、としてこの天地書附が下されたわけです。つまり、形あるものがすべてなくなったとしても、最後に残されたものが天地書附であったわけです。
     もともとは、神名書付の形式で、神様の名前だけが書き付けられたものでしたが、それに信心の仕方をも含めて、信心の要諦(エッセンス)として示されたのです。この34文字に本教の信仰が凝集されている、と言われる所以です。
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