| ちょっと補足します。 昨夜は久しぶりに家族が揃って、夕食を共にしました。皆で誕生を祝ってくれました。ケーキはデコレーションではなく、個別のケーキが皿に並べられていました。ローソクがないので、食卓の上に吊り下がったペンダント型の電灯をキャンドルに見立てよう、ということで、ハッピーバースデーを歌ったあと、私がふーと吹きますと、電灯が消えて、(*^^)//。・:*:・゚'★,。・:*:♪・゚'☆ パチパチ となりました。
ところで、私の生まれ日について、昨夜、母に確認しましたら、私の誕生予定日が1月15日だったので、お正月を堪能した後お産だな、と思っていたら、大晦日の一年最後のお礼のお祭りを済ませたあと(夜9時頃かな)産気づいて、あっという間に生まれてしまったようです。除夜の鐘が鳴っていたそうです。お正月がふいになったと、母はずいぶんがっかりしたようです。 男の子が生まれたというので、父がお広前で喜んで踊っていたそうです。ところが、初代と父とで、生まれたのは大晦日ではないだろうか、ということが問題になったそうです。 教祖様の事跡で、息子・宇之丞(四神様)誕生につき、42才の親が2才になる子をもつと、親の生命が危ないという伝承に従って、誕生日を12月から1月にまつり変えて届け出た、ということがあります。その事を神様から咎められて、誕生日を元に戻したのです。42+2=44で、四(死)が重なるという語呂合わせから来ているのではないかと思います。12月生まれは正月が来ると、数え年だと2才になるということで、特に女の子はよく正月生まれにしたということです。教祖さまの場合、一度捨てたことにして、養母が拾って育てたことにしたようです。その上、生まれ日を翌年に変えてしまう。神をだます手法です。 そうした事跡から、世の中、うそで固められることが多い中、誕生という人生の出発点をうそで始めることはない、という教えでもあると思われます。 果たして、生まれた子は真夜中の12時というシンデレラアワーを過ぎていたのか否かということは重大事だったのでしょう。お産婆さん(一島さんという世田谷教会の信者さん)は、お産というのは後産が済まなければ出産したとは言えない、という言葉もあり、また私のときは生まれたのは早かったけど、後産が難産だったそうで、まず元日生まれということで間違いなかろう、ということだったようです。 父が三代金光さまにどのようにお取次願ったのかは故人となった今として尋ねる術はありませんが、律儀な父のことですから、事の次第を子細申し上げたと想像されます。父たちの不安を払拭するかのような「元雄」という名前を頂いて、どれほどすがすがしい思いで帰京の途に就いたことだろうか、と思います。
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