| 冷たい雨の中、かぼちゃの会納会に10名が集いました。この時期、忘年会とぶつかってしまうので、不参加者が多かったですね。一品持ち寄りでしたが、ゴージャスな会食になりました。 初参加の方がいたので、途中で自己紹介をしました。お互いに知り合った者同士でも、改めてその人を知る良い機会になりました。改めて自分を語る、改めて人に質問するというのもいいものですね。自分で自分という人間が分かっているようで分かっていないところもあります。自分史を書くということは、自分を改めて知るためにするのかもしれません。 絵本作家の長野博一さんが、花の絵を描くのは、花のことをよく観るために描くのだ、ということを言われました。花をよく知るために描くのだ、と。 「見ること、見ること、自分を見ること」という高橋正雄先生の書が、金光教学院の広前の前に掲げてあり、それを一年間見つめながら過ごしたことがあります。人間の目は外向きについているので、人のことはよく見えても、自分のことは見えないものです。自分を見るために、み教えという心を映す鏡が必要です。
昨日の話の流れの中で、お広前についての感想がいろいろと語られましたね。IHさんが、「神様は一つ、という感じがまずして、そこに包まれる感じで、すばらしいなあ、と思いました。いつまでも座っていたい感じです」と言っていました。KNさんは、「ここの空間がとてもいいんですね。広さから言っても、広すぎず、狭すぎず、バランスが取れていて、とても落ち着く」と語りました。他の感想も断片的に記憶していますが、酔ったせいか、うろ覚えです。どなたか思い出せますか。あるいは新たに書き込んでもらってもいいのですが。
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