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■938 / inTopicNo.1)  メルマガ 7月号
  
□投稿者/ 三宅美智雄 一般人(17回)-(2009/07/01(Wed) 09:58:23)
http://konkokyo.org
    田中先生
    日々御取次有り難うございます。
    メルマガ7月号を有り難く拝受いたしました。
    巻頭ご教話「ひとはひとを喜ばせるために」を拝読いたし、こんにちの世の中は、いつの間に「自分とは関係ない」という生き方になってしまったのだろうかと思わせられます。
    「氏子あっての神 神あっての氏子」ということを、一人でも多くの人に語り伝えて、「ひとはひとを喜ばせるために」という生き方を広げていくことが私たちの責任であると思います。
    下半期を「負け越し」にしないように、おかげをいただきたく思います。
    よろしく、お願い申し上げます。
    常盤台教会   三宅美智雄
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■940 / inTopicNo.2)  Re[1]: メルマガ 7月号
□投稿者/ モロ @MAIL ベテラン(227回)-(2009/07/01(Wed) 14:18:04)
http://osaki.konko.jp
    三宅先生
    今年も早や後半に入りました。梅雨らしく雨が降ってくれていますが、四国など、まだまだ足りないところもあるようで、必要なところに恵みの雨があるといいのですけど。

    「人は人を喜ばせるために生まれて来た」というのは、言い過ぎかなあ、と思うところもありますが、よくぞ言い切った!と感服もします。「人を愛するため」というのも同じ根っこだと思います。

    人間観に性善説と性悪説とがあって、どちらもそうだなあ、と思ってしまいますが、やはり性善説に立ちたいです。

    金光大神の「人が人を助けるのが人間である」というお言葉があります。これも明解に語られた人間観だと思います。はじめは、なにかピンと来なかったのですが、だんだんに重みのある言葉として迫ってくる思いがしています。
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■941 / inTopicNo.3)  Re[2]: メルマガ 7月号
□投稿者/ 三宅美智雄 一般人(18回)-(2009/07/02(Thu) 10:05:19)
http://konkokyo.org
    モロさん
    仰せのとおり、私も「性善説」をとります。ところが、こと自分のこととなると、どうも「性悪説」になることが少なくないのです。それは「めぐり」ということに取り組むときです。まだまだ、そこのところが未解決というか、わけの分からんところです。まさに「めぐり」なのかも知れません。
    「生命誌」(www.brh.com.jp)の今年のテーマは「めぐる」です。「めぐり」とは違うのですが、ヒントはつかめるのではないかと思っています。
    常盤台教会   三宅美智雄
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■945 / inTopicNo.4)  Re[3]: メルマガ 7月号
□投稿者/ モロ @MAIL ベテラン(228回)-(2009/07/03(Fri) 17:14:50)
http://osaki.konko.jp
    三宅先生
    確かに、み教えも自分に向かうとわが心を映し出す鏡となり、己の姿が浮き彫りになり、そこから改まることができます。しかしながら、その教えをもって他者に向かうと責め道具になってしまいます。
    例えば、「腹立てば、心の鏡の曇ること」というみ教え。心の鏡が曇るから、腹を立てるのはやめよう、という自戒のことばとして、実践していくうちは良いのですが、人に対して、「み教えにあるのだから、腹を立ててはいけない」となると、これは信仰というよりも倫理であり、教育です。

    人間観にしても、人の性は善だ、と見ていく一方で、わが内なる悪を見すえる目が無くなると、我は善なり、となって、とんでもない傲慢がはびこることになってしまいますね。

    『生命誌』を紹介してくださり、有り難うございました。知りませんでした。サイエンスは天地の道理を見ていく上で、とても良いヒントになりますね。

    「めぐり」と「めぐる」ですか。「めぐる」というと、中島みゆきのデビュー曲『時代』という歌を思い出してしまいます。

    ♪  めぐるめぐるよ 時代はめぐる
       別れと出会いをくり返し
       今日は倒れた旅人たちも
       生まれかわって歩き出すよ
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■947 / inTopicNo.5)  Re[4]: メルマガ 7月号
□投稿者/ 三宅美智雄 一般人(19回)-(2009/07/04(Sat) 09:46:40)
http://konkokyo.org
    モロさん
    2日に分会教師会がありまして、「教会長信行会」のことが話題になり、「御用に力をいただいた」と言われる人、「教務総長の話が分からなかった」と言う人など、いろいろでした。また、先月29日には「教師研修会」(日本橋教会)では、「ご祈念がたっぷりできて、有り難かった」と言う人もありました。
    モロさんと同じ班?だった、ワヒアワ教会の矢野先生が帰途、参拝されて、「教主さまの御取次のお姿を拝ませていただき、感動した」という話をききました。
    教会連合会で、信行会の「総括」をなさるご予定がおありですか? やはり、なんらかのケアーをなさることがいるように思いますが‥。   三宅美智雄


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■954 / inTopicNo.6)  Re[5]: メルマガ 7月号
□投稿者/ モロ @MAIL ベテラン(229回)-(2009/07/05(Sun) 21:31:01)
http://osaki.konko.jp
    三宅先生、ご意見有り難うございます。
    私の聞いた教会長信行会の感想はいずれも、三宅先生の仰るような内容でした。いずれも、というのは、いろいろな場で感想が語られていたからです。
    教務総長の話が難解だ、というのは会合中でも聞かれました。難解な中にも「神が助かる信心」ということに感銘を受けた、ということも聞きました。

    私は信行会らしい時を過ごすことが出来たことを有り難く思っています。当局との懇談の中で、ここまでお金をかけずとも、もっとたびたび信行会を開いて欲しいという意見が複数語られました。

    東京都教会連合会では総括をする計画はありませんが、連合会によっては信行会の中身を改めて確認してこれからの御用の充実を図ろうとしている所もあります。

    総括ということなら、東京センターがするのが適わしいかも知れません。
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■955 / inTopicNo.7)  Re[6]: メルマガ 7月号
□投稿者/ 三宅美智雄 一般人(20回)-(2009/07/06(Mon) 10:02:06)
http://konkokyo.org
    モロさん
    やはり、センターの守備範囲ですか?
    ということになると、東京だけでなく、関東一円ということになると、集まりが悪くなるでしょうね。せめて、都内の教会長の半分でも集まって、アフターケアをしないと、このままでは勿体無い気がします。これもお年柄の内容であるとおもいますが‥。
    「よかった」という声も、もっと具体的な道開きの展開につながるような声として確認してほしいし、お道では、従来、黙殺され勝ちだった「よくなかった」という声を聞き容れることがひつようではないでしょうか? ほんとうは当局がするべきことでしょうが、「ノー」の声に耳を傾けることが、次の力になってくると、私は思います。「これで済んだとは私は思いません」という文治さんのおことばを再確認しなければならぬと、私は思いますが‥。
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■959 / inTopicNo.8)  Re[7]: メルマガ 7月号
□投稿者/ モロ @MAIL ベテラン(230回)-(2009/07/06(Mon) 22:45:21)
http://osaki.konko.jp
    三宅先生、あらゆる回路を使ったらいいとは思います。センターがやっても、関東一括ではなくてもいいのです。都県別に意見を拾ったらいいわけですから。教団に反映させるならセンターがやるのが手っ取り早い。

    分会でも教会連合会でも、いろいろな声を吸収し、教団に反映させたらいいと思いますが、その場合でも、意見を集約するのはセンターの役目です。

    三宅先生の、そういう声があちこちで発せられればそれが届いていくものです。数日前の所長会議でも、全教の声を聴取していたようです。センターはそれなりに情報収集していたことでしょう。
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■963 / inTopicNo.9)  Re[8]: メルマガ 7月号
□投稿者/ 三宅美智雄 一般人(21回)-(2009/07/08(Wed) 14:21:15)
http://konkokyo.org
    モロさん
    そうですか?
    分会でも、先日、かなり痛烈なご意見を拝聴したものですから、果たして、こういう声がセンターを通してご本部当局に届いているのかしら?と疑問を持っていました。
    金光新聞でも、同様ですが、金光教の場合「ノー」という声は、あまり届かない、いや聞き容れられないように思います。「イエス」という声も大いに大事ですが、ほんとうは「ノー」という声を聴く耳がないとき、その組織または活動は、続かないし、成功しないことが少なくないと思います。
    主宰者側に「イエス」しか言わない人が集まって、囲いができると、大事な声がだんだん少なくなってしまいます。「サイレント・マイノリティ」を、どこまで育てるか、どこまで聞き容れるかが組織のいのちであると、私は思います。
    言わずもがなのことを申し上げました。お許しくださいませ。
    常盤台教会   三宅美智雄
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■964 / inTopicNo.10)  Re[9]: メルマガ 7月号
□投稿者/ モロ @MAIL ベテラン(231回)-(2009/07/09(Thu) 09:32:29)
http://osaki.konko.jp
    三宅先生、おっしゃる通りイエスマン集団は腐敗します。
    かつて安田内局の時、教団改革を成し遂げましたが、当然反対勢力の声が強く、特に儀式改革は難航を窮めました。儀礼は信仰の発露として、また信仰を培っていくものとして大事です。教団生成期に、時の権力と妥協して生み出されたものを、教祖の精神に立ち返って、真に信仰に依拠した儀礼を生み出そうと苦労していました。

    安田教監は、その審議会に反対の急先鋒と言われた人たちを入れて激論を闘わせました。事を成すには、そういう人たちを除いた方がやり易いのは明白です。もちろん、それ以外の人をメンバーに入れたところで誰からも異論は出なかったでしょう。しかし、敢えてそういう人たちを入れて審議しました。議論は白熱しました。反対意見があるだけに、なぜ改革するのかがより明確になりました。

    その末、改革を進め、儀礼は信仰に深くかかわるものだから、教務としてはそのように決めるが、教会は教会長の判断で行って良い、と説明しました。
    それで、今も、お扉をつけた教会、旧装束を着る教会長、大祓の詞を唱える教会があります。教務決定と信仰決定とは違う、としたのです。

    異論を交えて物事を進める、というのは金光教の伝統だったと思います。それが少しあやしいのではないか、という三宅先生の危惧だと思います。
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■967 / inTopicNo.11)  Re[10]: メルマガ 7月号
□投稿者/ 三宅美智雄 一般人(22回)-(2009/07/10(Fri) 11:10:13)
http://konkokyo.org
    モロさん
    「異論を交えて物事を進める、というのは金光教の伝統だったと思います。それが少しあやしいのではないか、という三宅先生の危惧だと思います。」

    そうでしょうか?
    私は「教務」畑のことは、まったく存知あげませんので、えらそうなことは申せませんが、「異論を交えて物事を進める」のが金光教の伝統であるとは、どうも思い難いのです。あの安倍内閣の時「お友達内閣」とよばれたように、教内の教務のあり様が、「お友達」乃至は「イエスマン」の集まりのように思えてならないのです。まだまだ「嘴の青い」私であり、偏見も少なくない私ですから、モロさんに「危惧」だと言われても仕方がないかも知れません。


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■971 / inTopicNo.12)  Re[11]: メルマガ 7月号
□投稿者/ モロ @MAIL ベテラン(232回)-(2009/07/10(Fri) 16:52:58)
http://osaki.konko.jp
    三宅先生、私の書いたことと、先生のおっしゃることとの間に微妙なずれがあるように思います。私の書き方が悪いのだと思いますが、少し付け加えてみます。

    かつての教団の議会は「審議議決」する場であったことは、たぶん今と変わりがないと思います。ただ、審議するというのが、批判検討する場であるかのようになっていたのではないかと思います。事ごとに批判をする。時として非難をする。つまり足を引っ張っているかのようです。
    教団が教主統理の下、社会に活動を展開していこうとする時、道として過ちを犯さないようにしっかり検討し、当局に助言協賛をするのが議会であろう、という反省に立って、名称を教団会と改めました。そして当局は執行の立場で、教団会はそれが本教のあり方として外れていないかどうかを検討し、審議議決する場として、協力し合って教団活動を展開していくこととしました。

    それほどに、議会は当局に対して野党だらけのような様相を呈していたようです。

    また『金光教徒』新聞も、当局の方針とはほとんど無縁のような形で記事を構成し、むしろ教団批判の文章がかなり頻繁に出されるというような状況でした。金光教徒社という財団が出しているとはいえ、これも教団の足を引っ張るかのような内容に終始するのはどうかということが問題視され、教団新聞として『金光新聞』へと生まれ変わったわけです。

    高橋正雄内局がどのような教務を執っていたかは、先輩から聞かされている間接的な情報ですが、あの高橋先生が仲良しお友達内局を作り、異論を排除して教務を執行していたとは、私には思えません。

    >モロさんに「危惧」だと言われても仕方がないかも知れません。
    ここのところがちょっと私には分かりづらいです。「危惧」を「杞憂」ということばに入れ替えると言わんとするすることは分かりますが、わたしはそういう意味で書いたわけではありません。三宅先生が、教団の現状について、「異論」を排除しているのではないかと「危惧」しておられるのではないか、という意味で書きました。
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■973 / inTopicNo.13)  Re[12]: メルマガ 7月号
□投稿者/ 三宅美智雄 一般人(23回)-(2009/07/10(Fri) 19:20:48)
http://konkokyo.org
    モロさん
    ご多用中の先生にお手数をおかけいたし、申し訳ありません。私が申し上げたかったことは、宗教の真の進展には「多様性のなかに価値を求めること」が大切であるということなんです。かつてUUAの総会で「Uniterian」について「三位一体」を否定する「統一」ということに問題提起をしたことがあります。
    それは1969年の8th UUA in Bostonでした。ちょうど、荒木美智雄先生が留学中で、ボランティアとして事務局におられました。
    ご承知のようにInternational Association For Liberal Christianity and Religious Freedom(IAFR)を こんにちのIARFに名称を改めた画期的な大会でした。UUAから引き続いて開かれたのが第1回のIARF世界大会であったわけです。私は、36歳という若造でしたが、その会議で、今でもWCCやNCC(アメリカ)にも認められていないユニテリアンについて問題提起をしたのです。野犬が荒野に吠えたようなことでしたが、一石を投じたと自認しています。
    そこで、お道の教務のことにも、同じような意味で、自分のなかに未消化の問題について、先生に申し上げたわけであります。長々と下らぬことを申し上げ、ごめんなさい。あとは、先生の胸のうちに収めておいて下されば結構であります。
    なにかの機会があれば、ご意見を拝聴いたしたいと存じます。
    常盤台教会   三宅美智雄

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■975 / inTopicNo.14)  Re[13]: メルマガ 7月号
□投稿者/ モロ @MAIL ベテラン(233回)-(2009/07/10(Fri) 23:24:48)
http://osaki.konko.jp
    三宅先生、多様性の調和ということはこれからの世界にとって非常に大事であると思います。生物でも多様性のない種は滅びますし、文明でも多様性の交錯するところが繁栄します。多様な価値観を共有する集団は強いです。

    三宅先生若かりし頃の武勇伝ですね。ユニテリアンというのは、それ自体信仰ですし、教義です。信仰や教義について第三者が口を挟むことは難しいと思いますが、よくそんなことをなさいましたね。驚きです。
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