| 国連ができた時、一国の勝手な欲望から戦争が始められないよう、安全保障理事会という制度が作られました。主だった国の合意のもとに国際社会を運営してゆく。拒否権というのはそのための最後の歯止めであり、合意がないことの表明です。
今回のイラク攻撃を国連は認めなかった。安保理の中間派6か国、いわゆるミドル・シックスはさまざまな圧力を受けながら、よく踏みとどまりました。フランスが拒否権を使う場面はたぶんなかったでしょう。
だからアメリカは国連を回避した。あるいは無視した。
そして戦争を始めた。
つまり、アメリカは世界を私物化した。
日本政府はたぶん困っています。国連重視とアメリカとの協力の二本を外交の柱にしてきたのに、その二つが分裂してしまった。国連を捨てるというのは外交方針の重大な転換です。本来ならばたくさんの論議が必要なはずですが、小泉首相が口にしているのはすり替えロジックばかりで、まともな説明になっていない。
経済的に多くをアメリカに負っているトルコやメキシコでさえ賛成しなかったのに、日本はアメリカを支援している。これは自主性を欠くだけでなく、非常に危険なことだと思います。
イラクの人々をサダム・フセインの圧制から解放するための戦争であるとアメリカは言いはじめました。
たしかに、ある国で一部の国民が極端に不当な扱いを受けたり、つぎつぎに虐殺されたりしている時、国際社会はそこに介入すべきだという説があります。旧ユーゴスラビアの内戦の時はこの理由によって国連軍が武力を行使しました。
しかしそのためにはどの段階で介入すべきか周到な議論が必要ですし、現実にはそれでもなかなかうまくいかないようです。まだ歴史が浅いし、試行錯誤が必要なのでしょう。
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