| 三宅先生、ご精読頂いて貴重なコメントを有り難うございます。
「受容と変革」が難解で、やさしくない話で、まったくこなれていないことはよーく自覚しています。あと1ヶ月くらい寝かせて、熟成してから推敲すべきでした。しかし、時間の見切り発車で、あのようなことになって、申しわけなかったと思っています。
まずもって、タイトルがいけません。<「これでいいのだ」と「どげんかせんといかん」>という題にしていたら、タッチが変わっていたかも知れませんね。
ここのところ、毎月の「おおさきだより」(メルマガ)で「喜び」をテーマにしてきました。「ミスター・サンキューの話」(1日千回ありがとう)とか、「少女パレアナ」の話とか、「有り難う、感謝します」という魔法のことばの話とか…。何事も神の差し向けと受けとめていけば、心が開かれ、喜びの世界が開けるという話です。
しかし、現実世界には平和ならざる世界、神の心から離反した現実があります。これだけはあってはならない、許してはいけない、とでもいう状況があります。それを信仰はどう見るのか、ということが問われていると思うのです。
そこのところに踏み込んでみたい、と思ったのです。
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