| 本部の布教功労者報徳祭・金光鑑太郎君20年祭に参拝してきました。すばらしい好天で、道中、新幹線から見た富士山がすばらしく美しかった。真っ青な空で、周辺の稜線もくっきりしていました。
正午から修徳殿で世界平和祈りの集いが開催されました。25分余りのスッキリとした集いでした。スッキリし過ぎなほど、スッキリしています。これはこれで良いのですが、欲を言えば、何か持ち帰るメッセージがほしいと思いました。ことばとしては、代表が神様に申し上げた「願い」だと思いますが、せめてそれを印刷物にして持ち帰るというのはどうかな、と思いました。もっと欲をいえば、短いスピーチがほしい。集いは基本的に神様に向けた祈りですが、神様からの応答ともいうべき、メッセージがあったら、それを胸に刻み込んで、平和への祈りをさらに深めることができるのではないかと思いました。
祭場の寒さはシンシンとしていました。 祭典に先だって教話がありました。体験に根ざした心に沁みるお話でした。
祭典は厳かに仕えられました。こうした祭儀が、例年の如く仕えられるということは有り難いことです。祭典の中で、輔教の方々が任命をうけました。 教務総長挨拶の中で、東日本大震災について触れて語られました。信仰的にどううけとめたらいいのか、についても語っておられました。「あいよかけよの生活運動」が10年を経て、今年いっぱいで収束すること、その中で生み出された信心の中身をもって継続展開されること、従って新運動は「神人あいよかけよの生活運動」とすることなどが語られました。これまでの運動の成果を評価しながら、それが出来たのも御取次があったればこそで、それを忘れてはならない、と言われました。それで、「御取次を願い、頂き」という表現になっているらしいです。「あいよかけよ」が人の難儀を助けるという向きで展開されたが、「あいよかけよ」は基本は神様との間のあいよかけよでなければならない、ということで「神人あいよかけよ」としたということでした。
心が人へばかり向いているので、神に向かうべしということで、「神人あいよかけよの生活運動」とした、というけれども、人と人との間に神は生まれるのではないか、それを別事のように言う方がおかしいのではないか、という教友のことばが甦ってきました。
祭典後、「あいよかけよの生活運動」全教集会が開かれ、実践発表がありました。西川良典師でした。とてもよい内容の話でした。育成部長の話は余り記憶に残っていません。
この全教集会の始まる頃に14時46分を迎えました。震災9ヶ月目の祈りを捧げました。
|