| 平和集会
○一般ボランティア活動の実際と課題
私は、4月5日に気仙沼に入り、気仙沼市社会福祉協議階会災害ボランティアセンターの内部スタッフとして活動しておりました。最初は泥カキ、物資の仕分け、受付を経験してから、避難所と、ボランティアをコーディネイトする避難所班で活動し、最終的には、地域支援班(避難所・仮設住宅・在宅避難者の全てを担当する)の北地区すなわち(唐桑、新月、鹿折、気仙沼)のチーフとして活動しました。今月14日一昨昨日深夜にに100日間の活動を終えて、東京へ戻って参りました。これまで、支えてくださった、首都圏の皆様、支援機構の皆様、現地で一緒にボランティアをした皆様、奥原教会長ご夫妻、その他大勢の支えてくださった皆様に大変感謝しています。
震災直後は、災害支援が必要でありました。物資や食事の提供、そしてガレキの撤去と泥カキです。震災から4ヶ月経った今は、災害復興支援の必要性は、まだまだありますが、生活支援へと少しづつシフトしてきているようです。
では、まず一般ボランティアの活動についてご紹介させて頂きます。大きくわけると5つあります。 1,民家での泥カキ、ガレキの撤去、清掃 2,遺留品の仕分け 3,避難所支援 4,仮設住宅支援 5、在宅支援
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1、 民家での泥カキ・瓦礫の撤去・清掃など
泥カキや、清掃活動というのは、ただ家を綺麗にするという活動では無く、家が綺麗になることによって被災者の心が救われて行く活動です。あまりにも、酷い被害で、希望をなくしてしまい、気力がなくなってしまった方達が大勢います。それが、隣の家がボランティアで綺麗になったりすると、「あれっ」「我が家もなんとかしなくっちゃ」と、そんな気になったりするのです。そして、我が家が綺麗になっていく毎に、希望の光が見えてきて、やる気になってくる、頑張ろうという気になってくる、そんな人達がいるのです。例えを出してみましょう。教会の近く、坂の下に酒屋さんがあります。その酒屋は、被災して、ご主人は、気仙沼教会を避難所として滞在しておりました。教会は、非難所とした役割をもっており、お広前にも大勢の方達が身を寄せていました。元々消防団員をされたいたこの方の体格は良いのですが、背中は丸くなり、下を向いていました。それが、支援機構のボランティアが入り、店が綺麗に整っていく毎に、日に日に様子が変わって行くのが分かるのです。そして、お店がオープンした日、ご主人のなんとも、かっこいいこと、胸をぴしっとはって、、、、まるべ別人のようでした。毎度あり!といえる事が、どんなに嬉しいことか。それが伝わってきました。泥カキとは、ただその場を綺麗にすると言うことでは無く、その人の心を支え、元気にしていく活動なのです。
○支援機構のみんなが、側溝の泥カキ作業に当たったときの話です。50mはある側溝を綺麗にしたと言うのですが、さてみなさん、どれぐらいの時間が掛かったと思いますか? 50mはある側溝がわずか、30分で片づいたというのです。 ?と私は、思いました。あり得ないと。。。 しかし現場では、50名ものボランティアが、その作業にあたったのです、つまり1人あたり1メートル。恐るべきマンパワー! 世の中には、ボランティアの力なんて、びびたるものだとか、私が行ったって、何も変わらないと思っている方もいるかもしれませんが、そんな事はありません。小さな力でも、それが集まれば、それは大きなパワーになるのです。活動に参加したみなさんは、誇らしげにそう語っておりました。
泥カキ支援、それは凄い活動です。
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2,遺留品の仕分け(公民館・体育館)
どんな事をしているかと言うと、遺留品を綺麗にする作業が主になります。 泥だらけになったアルバムの写真を洗浄し、洗濯ばさみで干して乾いた物を、またアルバムに戻す作業です。中には、遺灰や、様々なものがあります。体育館には、びっしりとアルバムや遺留品があり、5,690,、5,691とナンバリングがしてあります。その中から、自分の物を見つけて持って帰られる方も大勢います。その感動は口では言い表せない物があります。年配の方でも、子供でのできる活動です。
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3,避難所支援(炊きだし、マッサージなど)
避難所では、さまざまなボランティアが活躍していますが、その中でも、マッサージはどこでも喜ばれる人気のある活動だと言えます。ますマッサージは、体をほぐすという事だけではなく、心をほぐす作用があるのです。私は、東中才にある会館でマッサージをしたことがあります、被災者の方に、被災した時の事を聞くような事はしてはいけないと言うのは常識ですから、聞くような事はしません。マッサージをしていると、スキンシップのせいでしょう、お互いの距離感が近くなります。被災者の多くは、しゃべりかけてきます。たわいのない話から、被災した時の話、誰かを亡くされた話、そんな話しなくっていいよ、という事も話出したりします。本当は、聞いて欲しいのだと、感づかされます。胸の中に、溜まっている、どうしようもない気持ちがあるのです。我々は、吸い取り紙になり、聞き通すと言うことが大切なのだと思います。そして、その中からまた大切な事、必要な事に気づかせてもらうことに繋がるのだと思います。マッサージも、心の支援なのです。マッサージと聞くと、資格をもっていないといけないと思われる方もいますが、そんな事はありません。ハンドマッサージは、どうでしょう。誰でもできます。お役に立とうと思えば方法はいくらでもあります。
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4,仮設住宅コミュニティー支援・物資の配布支援
仮設住宅では、物資の配布から、音楽活動、お茶会など、さまざまな事をさせて頂きました。仮設住宅では孤独死を防ぐために、どう働きかけていくかと言うことが議論されています。特に、東北の方、とてもがまん強いです、謙虚であったりもします。仮設住宅は、驚くほど、静かで、ぶきみだと言う声も聞きます。 元から、同じ地区の人達が仮設に入っていれば良いのですが、バラバラに違う地区からきているので、顔を合わせても挨拶程度。なんとなく外にでずらい。中には、、部屋にこもって寝巻を着たまま、一歩も外にでないで一日を終える人達がいたりするわけです。その中で、音楽活動のボランティアがあったりします。これは、ただ音楽を聞いてもらって楽しんでもらうと言うことでは無くて、室内から外に出てもらって仮設住民同士の繋がりを支援していく活動なのです。お茶会は、どうでしょう、仮設集会場をつかって、ちょっとしたフォーゲルでやるようなアイスプレーキング的要素のある遊びや体操をしてから、お茶会をする。ただ、お茶を飲んで楽しい時間を過ごすと言うことがメインの目的では無くって、自分の部屋から外にでて、この場で、横の交流を作ってもらい、孤独死を防ぎ、さらにはお世話役又は、自治会の発足を促すといった働きがあるのです。当日は、こちらが全てを準備するのではなく、「手の空いている人は、手伝って下さい」と声を掛けます。するとその中で動く人、動かない人が現れて来るのが分かります。この動く人達の連絡先等を聞いて、次のイベントをするときには、その方達に協力してもらって会を開催する等、こちらが開催するという形から、いずれは自分たちで開催するという形へ、そしてその中から、自分達の問題は自分達で解決しようという思いが生まれる事があるのです。
北地区では、5箇所でお茶会を開催しており、その中の3箇所で自治会が誕生しました。現在20箇所程完成している仮設住宅ですが、これから小さい場所も会わせると80箇所を越える仮設住宅が完成してきます。ボランティアセンターだけでは、対応しきれません。今後も、どんどんと関わってお手伝いしていきたいと思います。
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5,在宅避難されている方への支援
在宅非難されている方の支援が一番難しいと言われています。なぜなら、状況の把握が一番難しいからです。家が残ったために、家族を亡くされていても、被災した親類や、友人が押し寄せていても、物資は届かず、炊き出しもない。まして、マッサージや、お楽しみの音楽もない。何か、取り残されたような不安感が積もっている部分があります。そして、その中から、避難所や、仮設、在宅非難されている方同氏の中に、亀裂が入ってきているという現実もあります。
その中で、自治会長さん、民生員さん、巡回看護チームと連絡を取りながら活動しています。他に、児童館などでも活動しており、先日は、アメリカ人のSethというアメリカで化学実験のワークショップをしている人と児童館へ行ってきました。この震災が子供達にどのような影響を及ぼしているか、想像しきれません。避難所にいる子供達が仮設住宅に入る時に、「決して喜んだ素振りをしてはいけない。まだ避難所にいる人があるのだから」と喜ぶ感情を抑えつけられているような事があると、ある避難所の担当者である市職員に聞いた事があります。
Sethとは、理科実験のような、スライム作成や、風船を膨らませて、髪の毛をこすり静電気を起こしたりとシンプルなものでしたが、子供達は、キャァーキャァーと声を上げていました。その興奮度はかなりの物でえらこっちゃ、どうしたもんかなと思っていたら、児童園の先生が、そっとやってきて、こんな事を言うのです、「こんなに、興奮して声を出している子供達を見るのは久しぶりだ」、震災後、子供達は、どこか心を封印しているような所があり、それが一気に解放されたようだ。こんな笑顔を見せてくれて、、、、ありがとうございます」言われました。 私は、スライム作りで、じゅうたんを汚していたりしたので、まずいなぁ〜、先生達気分概してないかなぁ等と思っていたのですが、この一言で、目頭がジーンと熱くなりました。子供をもつ親のストレスはそうとうな物だと言います。子供が喜ぶ事によって、ご両親も安心しているという話を別の児童館から聞いた事があります、ぜひまた来て欲しいと。今後は、ご両親用のセミナーやイベントのニーズも出てくる事でしょう。
ボランティアの可能性は、まだまだ幅広く、今後は、生活支援がもっともっと必要になっていくでしょう。
この中で、ボランティアセンターだけでは、もう把握仕切れないし、いくら手があっても足りない状況です。今後は、生活支援をしていくボランティア団体が必要なのです。先日は、内閣府からお二人、市長、危機管理課、福祉課、まち作り推進化、社会福祉協議会と、NPO・NGO・ボランティア団体の集まりに代表者の一人として参加してきました。その中で、長谷内閣府審議官、市長も、行政は、平等に扱っていかないといけないので、できない事がたくさんある。 例えば、冷蔵庫が20台あったとします、しかし避難所の数は100箇所。決してこの冷蔵庫は動く事はないのです。なぜなら、避難所に1つづつ行き渡らないからです。そして冷蔵庫が30台、40台、50台そして100台になるまでに相当の時間がかかり、100台になった時には、もう現場では必要なくなっていたりする。しかし、ボランティア団体では、必要な物を自由に必要な所に持って行くことができる。ボランティア組織が自由に動いて、その地域の人達を助けてあげて欲しいと口を揃えて言っておられました。
今後は、行政・NPO/NGO・ボランティア団体で横の繋がりを作って、情報を共有していく必要があることが課題になっています。金光教の支援機構は、この連名の中に入りましたので、今後は、どんどん他の団体の方と連携をとって助け合いながら、ボランティア活動を進め、地域に貢献できるよう活動していけたらと思います。
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