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■228 / inTopicNo.1)  メルマが拝受
  
□投稿者/ 三宅美智雄 一般人(1回)-(2008/09/03(Wed) 10:09:36)
http://konkokyo.org
    9月になっても、残暑多湿の日が続きます。
    日々のご神勤有り難うございます。
    メルマガ9月号を拝受いたしました。
    「ことばの力・こころの力」を楽しく拝読いたしました。
    また「先師の教え」の玉水初代大先生の「三年修行」も有り難く拝読いたしました。
    まだ暑い日が続きそうです。どうぞご自愛くださるようお祈り申し上げます。
    常盤台教会   三宅美智雄

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■230 / inTopicNo.2)  Re[1]: メルマガ拝受
□投稿者/ モロ @MAIL 付き人(88回)-(2008/09/03(Wed) 18:12:34)
http://osaki.konko.jp
    三宅先生、お暑うございます。酷暑の8月前半、ゲリラ豪雨で涼しめの後半、そして9月に入るや盛り返した蒸し暑い残暑です。中休みがあったから、体も少しはもっているのかもしれません。着物が塩をふいて白くなりますが、最近は塩分も枯渇したのか、8月ほど白くならなくなりました。それでも、意識して塩分補給はしています。熱中症にならないように、と。

    メルマガを読んだある方が、「日々起きている殺人や、戦争や、災害という嫌なことに、『ありがとう』も『感謝』も無理です」というメールをくださいました。
    とてもよく分かります。
    一切を神の差し向けと受けとめる「受容」と、これだけはいけないという「否定」と、どう折り合いをつけるか。

    このことはいつも問題になります。
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■231 / inTopicNo.3)  Re[2]: メルマガ拝受
□投稿者/ 三宅美智雄 一般人(2回)-(2008/09/04(Thu) 10:42:27)
http://konkokyo.org
    「戦争、殺人、災害などを、有り難うと感謝できるか」というのは、なかなか厳しい問題提起ですね。
    「有り難い」というのは、イコール「感謝」かと、私は思います。thank you.といいますが、「有り難い」とは違うと思うのです。「そうあることがめったにない。世にも稀なこと。」が有り難いということで、単に相手に感謝することとは違うと思いますが、いかがでしょうか?
    これは、英訳教典などの場合でも、同じような問題を感じています。日本語を正しく人に伝えることが私たちに与えられている使命ですが、果たして、それがちゃんとできているかどうか‥いつも、自己反省をしております。
    常盤台教会  三宅美智雄
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■233 / inTopicNo.4)  Re[3]: メルマガ拝受
□投稿者/ モロ @MAIL 付き人(89回)-(2008/09/05(Fri) 22:21:31)
http://osaki.konko.jp
     おっしゃるように、「有り難い」と「Thank you」 は違うと思います。
     しかし、「有り難う」の訳には「Thank you」がもっとも適わしいと思います。
     「Thank you」の訳には、「有り難う」がもっとも適わしいと思います。

     さて、そこからどうなるか。

     「神」は訳せないから「Kami」としています。「God」を「神」と訳されたので、キリスト教が理解しにくいものになったと言われます。「アガペー」を「愛」と訳したために神の博愛が理解されにくいものになったと言われます。

     「有り難き」「勿体なき」「恐れ多き」さあどうしましょう。
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■238 / inTopicNo.5)  Re[4]: メルマガ拝受
□投稿者/ 三宅美智雄 一般人(3回)-(2008/09/07(Sun) 18:55:35)
http://konkokyo.org
    モロさん
    御説、ごもっともであります。
    外国語への翻訳も忽せにできないことでごいますが、現代人、特に若者に「通じる」言葉に翻訳することが急がれています。
    これは、「有り難う」ばかりではなく、モロさんのおっしゃるとおり、天地金乃神でも同様です。教内だけで通じる言葉では、絶対に道は開かれません。その努力が欠けていることを自省させられています。また、世間で使われている言葉でも、言葉を換えて言い直す努力が足りません。「話で助ける」お道ですから、言葉がいちばん大事であることは申すまでもございません。近ごろ、だんだん「話が出来難くなっている」私であります。
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■241 / inTopicNo.6)  Re[5]: メルマガ拝受
□投稿者/ モロ @MAIL 付き人(90回)-(2008/09/09(Tue) 14:47:24)
http://osaki.konko.jp
     国際センターで御用を頂いている時、金光教の信仰の「世界化」ということと「現代化」ということとは通底する問題性がある、ということを感じておりました。

     「金光大神の現代化」ということをしばしば教団でも問題にします。
     日蓮宗の丸山照雄師は、「金光教がうらやましい」とよく言われました。「鎌倉仏教の宗祖によって示された信仰を現代化するのは実に遠い道程だ」と言われるのです。
     難解な漢語による経典を現代の人びとに分かる言葉に置き換えることのむつかしさ。表現も比喩も現代離れしているものを、ほとんどナマのまま語ろうとする僧侶の努力の欠如、ということを嘆いておられました。
     そこへいくと、金光教の場合は、教祖が100年ほど前に、民衆のことばで、実に深いことを表現しておられる、と羨望されるのです。

     そこのところを、「表現はやさしく、思想は深く」と安田好三先生は教えてくださいました。

     教祖がそうだからと言って、そこに安住できないほど、教祖・金光大神とわれわれの距離が隔たっている、という三宅先生の憂い、宗教者として忘れてはならないことだと思います。
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