| 私の投稿に韓国から尼崎の話題にまで盛り上がっていて、HPを開けてビックリ しました。
中村哲医師・ペシャワールの会の話はアフガン問題の時に色々取り上げられていましたが、あまり深く関心を持っていませんでした。 ところが、今「青い鳥点訳グループ」で点訳をパソコンでした校正の奉仕をさせてもらってますが、今年の5月に中村哲医師の本を校正しました。
中村医師が何に突き動かされてパキスタン北西部(世界の屋根)と呼ばれている辺境の地で医療を行っているのかを、ルポした方の本でした。 NHKでも解説してまいしたが、はじめは山岳隊に付いていく医師として蝶に興味があっただけで行ったそうです。 しかし、そこで見たものは一人の医者もいない地域で山岳隊の医師なので整備している薬を分けることも出来ず、最後は仁丹を薬だといって置いてくるしかなかったそうです。
帰国してからも紆余曲折(結局、20年間もこの言葉通りの歩みのようですが)してキリスト教の派遣団体からの医師として何年かパキスタンに行くことになり、でも自主団体としてお金は自分たちで集めるのを方針としているので「ペシャワールの会」が設立されたのです。
その後、その団体とは離れてペシャワールの会の募金だけで病院、診療所を建てて活動しているそうです。
現地では、パキスタン人とアフガン人との確執やら宗教上の制約などと戦いながら の日々で、日本からの応援スタッフもほとんど長続きしない(ほとんどの人が精神的に参ってしまい帰国)ままのようでした。
「ここは、女子どもの来るところではない」「自分の世話くらい自分で見れない人は帰国してもらうしかない」と書いてありましたが、決して女性蔑視・弱者蔑視でなくそれほど過酷な自然環境や生活環境でした。
その本では、9.11以前のことまで15年間くらいのルポでしたが、結局大手の出版社で何が中村医師を突き動かしているか分からないと言われて、九州の地方出版から販売された本でした。
私は、純粋な「中村医師の心の中の神心」がそうさせていると感じました。
しかし、それだけで延々と先の見えないままの20年間はすごいです。 お子さん5人を日本において(奥様が金光教のご信者さん)、一年に数ヶ月自分の食い分のために帰国して日本で医師として仕事をし(ペシャワールの会の募金はほとんど活動に使ってしまっているためのようでした)、アフガンに戻っては医療活動や報道にあったように井戸を掘っている年月なのです。
最後に中村医師が「それぞれの立場で出来ることが貢献だ」との言葉が印象的でした。
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