| 宴の後のお広前ですね。そんな時こそ、大いなるみ働きを感得出来るように思えます。
私たちは13日午前10時5分羽田発のJALでしたが、もっと早かったんですか。帰りは14日12時岡山空港発でした。 両日ともすばらしいさつき晴れでした。倉敷ではホテルの前が酒津公園だったので、朝は散歩を楽しみました。緑が濃く、爽やかな朝でした。
今朝の東京もすばらしい好天で、朝祈念の後、近くの戸越公園に散歩に行きました。道中、小学校時代の親友のお母さんに何年ぶりかで会いました。すっかり曲がった腰で外を掃除していましたが、声をかけると「まあ、少しもお変わりなくて」とお世辞を言って貰いました。90才だとのことでした。友人は大阪本社で社長業をやってます、という。私はずっと教会におります、と申したら、今度帰ってきたら寄るように申します、と言われました。
なにやらうれしい気分で公園に行きました。何もかもが輝いていました。樹の緑も、池も水鳥も亀も鯉も、真っ青な空も…。思わず深呼吸をしました。繰り返してまた深呼吸をしました。 「いま、生きている!」と強く思いました。今のこの一瞬を体験出来ただけで、生きていて良かった、と思いました。こんな幸せはあるだろうか、と思えました。地上の楽園とはこういうのを言うのだろうと思いました。他には何も要らない、と思えるほど満ち足りた気分で大樹のところまで来ました。そこで軽い気功をしました。この楽園とはかけ離れたイラクの人たちのことを思って胸が痛みました。
そばに誰かが来てじっと立っていました。用事があるのかな、と思って気功を終え、そちらを向くと、よく見かける青年でした。いつもきちんとした身なりをしていますが、何をしているのか、いつも公園のあちこちで立ち止まってじっとしています。顔つきはそうでもないのですが、何か精神的に問題をかかえているのかな、と前から思っていました。決して人と視線を合わそうとはしません。今朝は、「おはようございます」と声をかけてみました。口の中で何か声がしたような気がしました。
鉄棒にぶら下がったあと、手すりの上に乗って青竹踏みのように足踏みをしている人と朝の挨拶を交わし、傍に侍っている犬と目線の挨拶を交わし(いつも必ず親しげな視線をなげかけてきます)、いつものコースでこんもり樹に囲まれた小高い丘の上で、ゆったりと気功をしました。生かされている深いよろこびをそこでも味わいました。小鳥たちがにぎやかに歌を歌っていました。
|