| ハルミさん、小町さん、コメントを有り難うございます。
>この「自分の人生を物語りにしてみせる」という洋子さんの表現は、ちょっと疑問です。
小町さんが 「疑問です」と言われるのはもっともなことです。実はこの部分、その前にお取次を願う人の状況に対する描写があって、そのことを説明する言葉と語られたものを、私が前のコメントで強引に切り取って引用したので、筆者の意図とは違ったものになってしまったと思います。小川さんにはまことに申し訳ないことをしました。
つまりこうです。
* * * * * * 子供の頃、お参りに来た信者さんが長い時間祖母と話し込んでいる姿をよく見掛けた。何をそんなにと不思議だったが、今から思えばあれは単なるお喋りではなかった。祖母は取次者としてお結界と呼ばれる場所に、参拝者に対し横顔を見せる形で座っている。右耳は神様の方、左耳は信者の方に向けて、両方の言葉を平等に聞いている。 信者さんは喋り続ける。うな垂れて懺悔するというのではなく、興奮して何かを訴えるというのでもなく、ただ神様の前に静かに座り、そこにある小さな祖母の耳に向かって言葉を発し続ける。 課せられた現実の複雑さを、目に見えない者に語る作業によって、あの信者さんは自分の人生を物語にしてみせたのではなかったか。 * * * * * *
この後に、「カウンセリングを受ける患者のように、金光教の信者は語る。……」と続きます。
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