| 子供が在学中の10年間のうち、8年間役員をさせていただきました。周囲は、社長夫人、院長夫人が多く、サラリーマン、公務員の方々の子供さんは、ダントツに優秀。当時、広島県の公立はあまり良くないようで、優秀な方は福山、尾道など広島の人が多かったようです。中に「学園は進学校と聞いて、高い私学によこしたのに、ぬるすぎる!」なんていう父兄がいて「人間教育に不満があるなら、付属に行けばいいのに・・・」なんて、できない部類の親である私たちは陰で言っていました。弟や妹は未だに学園時代のお友達が多く、そこが羨ましいところです。でも、子供のおかげで、私にもいいお友達がたくさんできました。長女の卒業式のあと、仲良しグループでお食事会(いまだに年1回続いています)の時、子供の進学先を報告したとき、ほとんどが東大、京大、阪大、一橋、早稲田、慶応、東京工大、東北で、驚いて言いよどんだことを、思い出します。「みんな男の子で、優秀だったんだー!」と言った私に、みんなが「でも、私たちのリーダーはくどせさんだったよね」と慰めてくれたことも・・・ 毎年、5月のPTA総会に、金光教の先生方が講師として、お話くださいます。役員なので、かぶりつきの席で聞きました。高崎の佐藤先生、達太郎先生、でも1番ビックリしたのは、黒の羽織、袴の中山亀太郎先生のお話でした。 今考えると、贅沢なお話を毎年聞かせていただきました。 月1〜2回、校長室で会議がありみ教えなどがありましたので、加賀先生に説明していただいていました。 次女が高3になり、進学先が不安なので、「1年間冬眠します」といって、役員を卒業したら、お話が聞けないことが寂しくて、たまたま通りかかった笠岡の町で、やつ波を見つけ、飛び込んだのが笠岡教会でした。記念雄先生が、児島赤崎に布教に出られるまで、笠岡教会にお参りして、次女の進学が決まるまで、3ヶ月間朝参りもさせていただきました。ある時のご大祭時、先生方のお直会室にお酒を運んでと言われ、エプロン姿で行きましたら、講師が加賀先生で、私を見てビックリ顔で「くどせさん、あんたここで何しょうるん?」と言われたので、すまして「先生、何ってここは教会ですから、信心ですよ」と言ったら、先生が「あんたが、信心をなー!!」というこのエピソード、あちこちのお話の時話しますと、とても受けます?夫や義父母、子供に不満の塊だったわたしは、お話を聞いて救われていました。そして、私もせっかくの人生、生まれ変わりたいと願っていました。 あちこちで聞かれてお話していましたが、モロ先生にはお話していなかったのですね。自己紹介でした (^o^)丿 これからお参りに行ってきまーす。
|