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■1618 / inTopicNo.1)  先生、ご無沙汰しております
  
□投稿者/ のんたん 一般人(1回)-(2004/03/16(Tue) 14:01:26)
    こんにちは。 久しぶりに先生のお教会のHPに遊びに来させていただきました。
    さて、さっそくなんですが、こんどの大崎教会のご霊祭後の教話ですが、講師の先生が「杉本武志」氏と書かれていますよね。
    この先生は、もしかして岡山県足守教会の杉本若先生のことでしょうか? まず、その確認をさせて頂ければ幸いです。

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■1619 / inTopicNo.2)  Re[1]: 先生、ご無沙汰しております
□投稿者/ モロ @MAIL 一般人(25回)-(2004/03/16(Tue) 15:27:32)
http://osaki.konko.jp
     のんたん、お久しぶりです。お元気ですか。近況など聞かせて下さい。

     お尋ねの件ですが、杉本氏は、大崎教会在籍信徒です。58才ですが、昨年愛妻を亡くされました。奥さんの病気のことを願ってお参りに打ち込んでおられましたが、夫婦とも覚悟の末期癌でした。亡くなられてから一層信心の道を求めるようになり、50日祭を12月に終えて、なお遺骨を自宅にまつっています。相思相愛の夫婦の死別は何とも切ないです。子供さんがないので余計です。
     その心情を語って頂くことにしたのです。ちょっと酷な気もしますが、今でなければ聞けない思いというものがありそうな気がしたからです。
     泣かずに話す自信がないと言っていますが、謹んで聴かせてもらいたいと思っています。
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■1620 / inTopicNo.3)  ご回答をさっそくに頂き、恐縮です
□投稿者/ のんたん 一般人(2回)-(2004/03/17(Wed) 11:22:12)
    元雄先生、お忙しい中、早速にご回答いただき、ありがとうございました。私の近況を気にかけて下さり、変わらぬ先生の心の温かさに触れさせていただいたような感じで、何ともありがたく、お礼申します。近況は、この場でお話しするのは、このBBSの趣旨にそぐわないかもしれませんので、近々、電子メールもしくはお電話にてご報告させてもらえれば、と考えております。
     さて、杉本さんが大崎教会のご信徒の方であられる、とのこと、よう分からせていただきました。
     この方の身の上のこと、先生の文章を繰り返し読ませていただきました。おかげとは、我々氏子が神様に願った内容がそのまま叶えば、それこそ言うことないんですが、いつもこつもそうなるとは限らない・・・ですよね。(そこが厳しいとこですね・・・!)しかし、しっかりとしたご信心が、めいめいのお手元で出来ておられれば、必ずしも願ったとおりの結果が得られなくても、そこから、起きてきた事柄・実際を、それを今度は自己の内的な助かりに、すなわち「ここからのおかげ」にさせていただくべく、取り組んでいくことができますよね・・・! そこが、このお道の信心をさせて頂く上での、ありがたいと思えることの一つです。
     愛妻を亡くされた杉本さんの悲しみや喪失感は、ご本人にしか実感できない、なんともいえない、やりきれない思いがおありになることとは思いますが、そうであるとしても、そこまで愛せる、また同時に自分を愛してくれる人にめぐり会うことができられた、そしてそこに誕生した愛情を、今日まで何十年もかけて二人して育んでこられた杉本さん・・・実は、ボク、そんな杉本さんを羨ましい!と正直感じる部分があります。 そういう異性にめぐり会えないものかな、と長年、苦労している身の上からすると、そう思います。
     長々とすみません。 ご祭典後のお話を含めまして、お教会のご霊祭が、助かりとおかげに満ちたものになられますことを確信しつつ、お祈りさせていただきます。ありがとうございました。
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■1623 / inTopicNo.4)  Re[3]: ご回答をさっそくに頂き、恐縮です
□投稿者/ モロ @MAIL 一般人(27回)-(2004/03/17(Wed) 18:31:38)
http://osaki.konko.jp
     ほんとうにそうですね。悲痛な悲しみを抱けるほどの人と出会えた喜びということですね。これは、夫婦のみでなく、親子や兄弟姉妹や友人についても言えると思います。
     願い通りにならないおかげ、というのは深いですね。しかし、ものごとを人生という長い目で見ていくと、実感することがしばしばあります。

     例えとして適切ではないかもしれないけど、喜劇の欽ちゃん劇場だったと思うけど、ある男が彼女に振られて悲嘆にくれているけど、その後新しい彼女と結ばれることになった。男は女房を連れているところ、昔の彼女と再会する。「あの時は振って頂きまして有り難うございました」と挨拶していました。彼女が振ってくれたおかげで今の女房と結ばれた、というお話です。

     のんたんも良い出会いがあるといいですね。
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■1624 / inTopicNo.5)  そうですよね!
□投稿者/ のんたん 一般人(4回)-(2004/03/18(Thu) 12:34:18)
    欽ちゃん劇場でのお話(オチ!?)をご紹介くださり、ありがとうございました。
    そうですね、喜劇ですから、まぁ、観劇中は素直に笑っていいトコですが、たしかに、これも「末のおかげ」という風に見ることが出来ますよね・・・!
    人間は神様と違って、その場というか、ただ今の姿や今現在の状況しか見ることが出来ませんが、神様は一人ひとりの氏子の身の上の、末の末まで見抜き見通しだと教わりました。そんな中、神様とされては(金光様も同じでしょうけれども)、一人残らず、氏子に末の安心と末の幸せを掴んで欲しいと願って下さっています。ただし、それは我々めいめいの氏子がこの世に生きている間にご神縁を頂かせてもらい、ご信心(のお稽古)をさせてもらってはじめて、神様とされても、その氏子にしっかりとしたおかげをお授けになることが出来やすくなるんだと思います。
    信心をしないより信心をする方がおかげを頂きやすく、また、我流で自分本位の信心や生き方に終始するよりは、金光様の教えの中身に自分のありようを少しでも近づけていきたいと願いながらご信心のお稽古をさせてもらう方が、手厚いおかげを頂かせてもらいやすくなる、ということでしょうね・・・!
    とは言え、これは典型的な「言うは易し、行うは難し」の一例ですが(苦笑)
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■1626 / inTopicNo.6)  Re[5]: そうですよね!
□投稿者/ モロ @MAIL 一般人(28回)-(2004/03/18(Thu) 22:41:24)
http://osaki.konko.jp
     神のみぞ知る、ということばがありますが、金光大神の書かれた自伝を読みますと、神にも分からぬことがあると言えそうです。起こり来ること、それは、神と人との働き合いで生み出されるものだからです。
     人が助かる道が開かれ、無数の人が救われることになって、「どうしてこういうことが出来ただろうかと思うと、感動してやまない」という趣旨のことが書かれています。
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■1628 / inTopicNo.7)  有難うございます。それを思い出しました。
□投稿者/ のんたん 一般人(5回)-(2004/03/19(Fri) 15:06:20)
    先生がご指摘されたとおり、たしかに神様でも全部が全部見抜き見通しという事柄だらけ、ということでもないのですね。
    「どうしてこういうことができたじゃろうか」と教祖様が思わず感動され、そして大きな円を書かれた・・・そのことを思い出しました。
    ありがとうございました。
    これって、でも金光様のご信心の楽しいところ、といいますか楽しみなところですね。神様と我々人間の共同作業で、なにか素晴らしいおかげが開かれる、ということですからね。一方、ある世界宗教は、全てを支配する神様がおられ、その神のご計画というものがあられ、人間はそのことの影響は受けるけれども、神様とともに参画させてもらえる、という感じではないですからね。とは言え、僕は個人的にこの宗教の教えの中に素晴らしいものがいくつかあるなぁ、としばしば感じます。いろいろ言われる事が多い世界宗教ですが、しかし二千年の歴史を持つには、それだけの中身があるからだと思います・・・!
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