| あの日、テレビ画面で見た光景は忘れることができません。 現地入りしたのは2週間後。火や煙こそなかったものの、倒壊した建物はそのまま。三ノ宮駅前のビルは倒れて道路をふさいでいました。別のビルは倒れてはいませんが、4階部分が潰れて8階建ての建物が7階建てにみえます。 木造家屋はマッチ箱のような、という形容がありますが、ほんとにひっくり返っているんです。 朝5時、電車で行けるところまで行き、そこで現地の人が迎えに来てくれるまで小一時間待ちました。その寒かったこと。真っ暗な中、だんだん明るくなって浮かび上がる街の光景に息を呑みました。 そこかしこに下敷きになった人たちが大勢いたことに、ただ祈ることしかできませんでした。 現地の緊急車両マークをつけたワンボックスカーに乗せて貰い、2日間、被災した数十の教会を中心に回らしてもらいました。
その後、さらに2回現地入りし、ささやかなボランティアもさせてもらいましたが、2ヶ月半たっても、まだ空気は粉塵に淀んでおり、皆マスクをつけて往来していました。
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