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■1474 / inTopicNo.1)  メルマガ 1月号拝受
  
□投稿者/ 三宅美智雄 @MAIL 一般人(9回)-(2010/01/04(Mon) 09:58:18)
http://konkokyo.org
    田中元雄先生
    明けましておめでとうございます。
    メルマガ正月号、拝受いたしました。
    さすがに田中先生の本領発揮と申し上げたいようなご教話、有り難く拝読いたしました。天地金乃神さまのお道ですから、天地への眼差しは必須なのでしょうが、いまの私には、目先のことにしか眼を向けていません。正月早々、情けないことです。
    改めて「天地の開ける音を聞いて目を醒ませ」とのおことばを賜ったような感じです。教会長辞任をお許しいただいて一年経ち、やはり、私の気持ちの中で「逃げ」があるのではないかとさえ思っています。こんなことでは、いちばん恐れていた「老残」になってしまうと気づき、ご教話を再読、熟読させていただいて、今年のスタートとして参りたいと意を決しておる次第です。
    どうか、今年もよろしくご教導くださいますよう、お願い申し上げます。
    常盤台教会   三宅美智雄
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■1477 / inTopicNo.2)  Re[1]: メルマガ 1月号拝受
□投稿者/ モロ @MAIL 大御所(298回)-(2010/01/04(Mon) 19:51:14)
http://osaki.konko.jp
    三宅先生、明けましておめでとうございます。
    本年もご教導、よろしくお願い申し上げます。

    サムシング・グレートについては、もっと熟成させた上で書きたいと思っていましたが、その暇もなく、ただ半年ほど寝かせたままで、熟成なく書いてしまいました。

    天地の眼差しで地球を見、自分を見つめるということ、できればなあと思います。実際に大気圏外に身を置いてみたいと願望しますが、恐らく適わないことですから、映像を通して疑似体験をしつつ、思いを巡らせています。

    ミクロの世界についても、究めた科学者の話は大いに参考になります。

    科学の力にたよらず喝破した信仰者たちの慧眼にひれ伏すばかりです。
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■1479 / inTopicNo.3)  Re[2]: メルマガ 1月号拝受
□投稿者/ 三宅美智雄 @MAIL 一般人(10回)-(2010/01/05(Tue) 09:26:58)
http://konkokyo.org
    モロさん
    「実際に大気圏外に身を置いてみたいと願望しますが、恐らく適わないことですから、映像を通して疑似体験をしつつ」
    そうでしょうか?
    大気圏外に身を置くとなると、いのちがなくなるのではないでしょうか?
    よし宇宙船か何かで大気圏外にゆくことができても、「天地の眼差し」となるでしょうか?
    「映像を通して疑似体験をしつつ、思いを巡らせています」
    たしかに宇宙からの映像、特に月面からの地球の「出」の映像には、ただならぬ感動を覚えましたが、それが「天地の眼差し」の疑似体験になるでしょうか?

    「ミクロの世界についても、究めた科学者の話」は、確かにある種の感動を覚えます。少なくとも、宗教者は堂々と教理を説くが、科学者の実験や研究に比べると、甘いと申さずにはいられません。私は「生命誌研究所」の「季刊・生命誌」を購読していますが、いのちを見る科学者の態度、向い方には、いつも敬服させられます。すなわち、自分がいかに「いのちがけ」でないかを反省させられます。
    妄言多謝。
    三宅美智雄 
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■1485 / inTopicNo.4)  Re[3]: メルマガ 1月号拝受
□投稿者/ モロ @MAIL 大御所(299回)-(2010/01/06(Wed) 16:11:21)
http://osaki.konko.jp
    三宅先生
    > たしかに宇宙からの映像、特に月面からの地球の「出」の映像には、ただならぬ感動を覚えましたが、それが「天地の眼差し」の疑似体験になるでしょうか?
    >
     「天地の眼差し」になるかどうかは分かりません。というより、「天地の眼差し」そのものとは言えないでしょう。しかし「天地の眼差し」の疑似体験にはなると思っています。
     天地と言っても、物理学的な宇宙とは違って、天と地という、人間を取り巻く天であり、地のことです。宇宙に浮かぶ丸くて、小さくて、ガラスのように壊れやすく見える地球を一望の下に見ると、民族、国家の対立抗争をする人間の愚かさを思い知らされる、という宇宙飛行士の話はよく聞きます。観念では分かっていても、宇宙に浮かぶ地球を見るという体験は、衝撃的なものを人に与えるといいます。その体験をしたいと思うのです。

    > 「ミクロの世界についても、究めた科学者の話」は、確かにある種の感動を覚えます。少なくとも、宗教者は堂々と教理を説くが、科学者の実験や研究に比べると、甘いと申さずにはいられません。私は「生命誌研究所」の「季刊・生命誌」を購読していますが、いのちを見る科学者の態度、向い方には、いつも敬服させられます。すなわち、自分がいかに「いのちがけ」でないかを反省させられます。

     宗教者は教理を説いていますが、イエス・キリストや、釈尊、金光大神などの教祖、宗祖と言われる人たちは真理というか、真実を語っているのだと思います。その深い洞察力には敬服せざるを得ないのです。
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■1490 / inTopicNo.5)  Re[4]: メルマガ 1月号拝受
□投稿者/ 三宅美智雄 @MAIL 一般人(11回)-(2010/01/08(Fri) 10:04:27)
http://konkokyo.org
    モロさん
    1969年、私は「若気の至り」とでもいうべきか、ローマ教皇に謁見を願い出ましたところ、「運よく」単独謁見という栄を得ました。一体、お会いして、なにをいうのか‥と、ずいぶん考えました。
    十数分の時間でしたが、私は「イエス・キリストは、救済のために十字架のかけられました。教皇さまは現代のキリストであると思います。この難儀な世界を救済するために、御自ら十字架にかかられるお覚悟がありますか?」と、「拙い英語」で質問しました。周りに数人の枢機卿がいましたが、みな「この若者は、何を言い出すのか?」というような動揺が見られました。金光教の何かもご存知なく、しかも、無名無冠の若者の問いに、教皇もじっと眼を瞑っておられましたが、やがて、私の手を両手で握られ、私の眼を見られ「何事をするにも、犠牲ということが重要である」と申されました。
    モロさんのレスを読ませていただいて、ふと41年前のことを思い出しました。私のいう「いのちがけでない」という自省は、まさにパウロ六世猊下の「犠牲をよろこぶ」というのと合致するように思います。私自身に未だに、その覚悟が定まっていないことを告白したつもりです。
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■1495 / inTopicNo.6)  Re[5]: メルマガ 1月号拝受
□投稿者/ モロ @MAIL 大御所(300回)-(2010/01/09(Sat) 12:18:18)
http://osaki.konko.jp
    三宅先生
     私が青年教師だった頃、つまり40年近く前、三宅先生が大崎教会へ教話講師としておいでになった時、教話の中でローマ教皇に謁見の顛末を語って下さったことを覚えております。
     ずばりと教皇に宗教者としての覚悟のほどを伺うという、実に大胆なことをなさったんですね。

     その謁見の時の先生の恰幅の良い凛々しい姿の写真を、『あかし』だったでしょうか、拝見したことがあり、今でも鮮明に覚えております。
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■1502 / inTopicNo.7)  Re[6]: メルマガ 1月号拝受
□投稿者/ 三宅美智雄 @MAIL 一般人(12回)-(2010/01/14(Thu) 10:57:41)
http://konkokyo.org
    エエッ!? 40年前ですか?
    おお、恥ずかし!
    教会のHPにも「右往左往」というタイトルで、私の外国出張の日記を出しております。あれは1969年(昭和44年)のことですから、私の36歳のときです。若かったからできた話です。しかも、アポなしで行ったのです。直接、バチカンの諸宗教対話事務局(現・諸宗教対話評議会)に行き、マレラ枢機卿に直談判したのですから、「怖いもの知らず」の暴挙?と申しても過言ではありませんでした。しかも、マレラ枢機卿にお会いしたのが、月曜日でしたから、まさかと思っていた、翌々日(水曜日)の謁見日に、しかも「単独謁見」の許しが出たのはその翌日の昼でした。
    だめもとのつもりで持って来た和服を着て、教皇の夏の離宮のあるカステロ・ガンドルフォへ行きました。
    奥の院の中の一室に通され、待つこと数分、侍従のような人が来て、「ゆっくりと英語で話せば、教皇は理解される」とのことで、前夜に用意した質問を頭の中で繰り返して思い出し、単独謁見の場に臨みました。
    約束の時間をオーバーしているのに、教皇は私の手を握り、お祈りをしてくれました。「あなたの教会の上に神の恵みあれ」と言われたので、とっさに「カトリック教会の上に天地金乃神の恵みあれ」と、やり返しましたら「アリガトウ」と、日本語で微笑を返してくれました。謁見記念のメダルを手ずから渡されました。
    それから5年経って、第2回WCRPルーベン会議のあと、再度パウロ六世猊下とお会いすることができ、私の番が来ると、手を出され、「私の古き友人よ」と仰せられ、感動いたしました。
    長くなって、ごめんなさい。
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■1504 / inTopicNo.8)  Re[7]: メルマガ 1月号拝受
□投稿者/ モロ @MAIL 大御所(301回)-(2010/01/14(Thu) 17:26:05)
http://osaki.konko.jp
    アポなしですか?猛烈ですね。
    タクシーに乗って、途中、いくつも検問のある中、奥へ奥へと行くので、ドライバーがえらく舞い上がっていたとかいう話でしたね。
    着物は、白衣に羽織と覚えています。当然、袴に白足袋だと思いますが、写真は胸から上だけだったような…。
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■1509 / inTopicNo.9)  Re[8]: メルマガ 1月号拝受
□投稿者/ 三宅美智雄 @MAIL 一般人(13回)-(2010/01/15(Fri) 19:21:15)
http://konkokyo.org
    着物は夏物(ねずみ色の麻)でした。招待状に『白いものは着てはならない』と、注意書きがありました。
    羽織は黒の紗でした。足袋は白。履物は草履でした。
    扇子を持っていましたが、控え室で、刀か何かと勘違いされて(腰のあたりに差していたので)、注意を受けて、カメラとともに置いて行きました。
    74年のときも同じ着物を着て行きました。

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■1510 / inTopicNo.10)  Re[9]: メルマガ 1月号拝受
□投稿者/ モロ @MAIL 大御所(302回)-(2010/01/15(Fri) 22:38:19)
http://osaki.konko.jp
    記憶は好い加減なものですね。
    なぜ白いものを着てはならないんでしょうね。
    海外へ行けば、やはり着物や装束が日本の礼装としてもっとも受け入れられるのでしょうね。
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■1513 / inTopicNo.11)  Re[10]: メルマガ 1月号拝受
□投稿者/ 三宅美智雄 @MAIL 一般人(14回)-(2010/01/16(Sat) 14:27:11)
http://konkokyo.org
    「なぜ白いものを着てはならないんでしょうね。」
    教皇様と同じ色のものを着ては困る‥というのが、理由らしいです。
    海外で祭服、和服を着るのはいいのですが、荷物がたいへんです。
    私、香港でWIC主催の「諸宗教対話集会」に出たとき、イスラムのモスクを訪問したとき、モスクの中では靴を脱がされると聞き、私は木履を履いていき、木履を脱いで、草履に履き替えてあがりました。怪訝な顔押されたので、これは下足じゃなく、室内で履くものだと言うと、「どうぞ」ということになりました。他宗教の人らから「やったね」と褒められました。

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■1515 / inTopicNo.12)  Re[11]: メルマガ 1月号拝受
□投稿者/ モロ @MAIL 大御所(303回)-(2010/01/16(Sat) 17:07:45)
http://osaki.konko.jp
    > 教皇様と同じ色のものを着ては困る‥というのが、理由らしいです。

    教祖の時代、蒔田荘次郎という殿様の名前に「次郎」がつくから「じろう」という名前が御法度になって、「文治郎」という名の教祖が「国太郎」と変えたみたいな話ですね。

    > モスクの中では靴を脱がされると聞き、私は木履を履いていき、木履を脱いで、
    > 草履に履き替えてあがりました。怪訝な顔押されたので、これは下足じゃなく、
    > 室内で履くものだと言うと、「どうぞ」ということになりました。他宗教の人ら
    > から「やったね」と褒められました。
    >
    してやったりですね。モスクに行くと、なんか日本的だなあ、と思ってしまうんです。まず、靴は脱がされますよね。中東では足を洗う場所もありました。そこで、顔を洗ったり、口をゆすいだりしている人もいました。神社の禊ぎみたいな感じがして…。
    そして、中に入るとどこが中心と言うこともなく、メッカの方に向いて拝礼しますが、床にひざまずいて平伏するところも、本教の畳で平伏するのとよく似ています。

    かつて、本部に取材に行った雑誌の記者が、この平伏の様子を書いていました。当時の社会課長が対応したのですが、この先生はえらく愛想がよく、かっぷくもいいのです。本部広前に記者を連れて行って、金光様に紹介した後、お広前の中央でお参りをしました。こうやって、四拍手して、という具合に。この課長、腹が出ていたので、平伏する時にお尻が持ち上がってしまうんです。
    記者は記事の中で、「神様を拝む時、額を畳にこすりつけ、尻をもちあげる」というように書いていて、その光景が想像できるだけに笑ってしまいました。
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