| 田中先生 日々御取次、有り難うございます。 本日、メルマガ11月号を拝受いたしました。 巻頭ご教話「和賀心」を拝読いたしました。教内では極普通に使われていることばでありますが、こうして書いてかいていただくと、その内容の深さ、大きさがよく分かります。 私の学生時代、学校の隣が大本山相国寺であり、その山中の長得院というお寺に4年間、下宿させていただきました。その相国寺の山門の横に大きな石柱が建っています。「大本山相国寺」という表面の反対側に「昭和何年何月何日建之」と建立の年月日が彫られています。その「昭和」の「和」が「偏」と「旁」が逆になっています。すなわち「禾偏」に「口」となっていますので、お寺の和尚さまにお尋ねしたところ、「禾」(のぎへん)は、食物の意である。「食べ物」と「口」があれば、「和」が生まれる。だから、どっちが「旁」でも「偏」でも同じ意味であるという説明でした。その時は、なんとなく納得したような気がいたしておりました。 しかし、先生のご説明では「「和」は意味を表す「口」と音を現す「禾」(加える)とから成る。一声あってさらに他の口が加わる、さらに声を合わせて調子を合わせる(唱和)の意」とある。つまり複数の人間がハーモニーを奏でる様であることを示している。」ということを教えていただき、はっきりといたしました。 有り難うございます。 常盤台教会 三宅美智雄
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