(現在 過去ログ14 を表示中)

HOME HELP 新規作成 新着記事 トピック表示 発言ランク 検索 過去ログ

[ 最新記事及び返信フォームをトピックトップへ ]

■123 / inTopicNo.1)  メルマが拝読
  
□投稿者/ 三宅美智雄 一般人(10回)-(2008/07/02(Wed) 10:43:48)
http://konkokyo.org
    モロさん
    下半期がスタートしました。
    日々元気でおかげをこうむっております。しかし、何かがわが身に迫ってくるものがあります。天理教の親様(教祖)が「急きこみ」という言葉を残されていますが、今年は特に神さまの「急きこみ」をわが身に感じさせられています。

    メルマガの「日常は幸せの宝箱」。感動をもって拝読させてもらいます。「眼に見えるおかげより、眼に見えないおかげのほうが多い」と教えられた金光大神さまのおことばを感じます。

    今年も、信心一泊研修会をなさるんですね。楽しみですね。大崎のお広前に参っているご信者は、お仕合せですね。実り多い研修会になることをお祈り申し上げます。
    常盤台教会   三宅美智雄
引用返信/返信 削除キー/
■124 / inTopicNo.2)  Re[1]: メルマが拝読
□投稿者/ モロ @MAIL 付き人(51回)-(2008/07/02(Wed) 23:01:47)
http://osaki.konko.jp
     三宅先生、メルマガへのレス、有り難うございます。
     「急きこみ」ですか。信心にも年相応の受けとめ方やら、味わいというものがあるように思います。御用の面でも、年相応のかかわり方があるのかも知れませんね。そうは言っても、人によってずいぶんと違いがあるようにも思います。

     齢を重ねて、枯れ木のようになる人もあれば、柳のようになる人もあるし、烈火のごとくなる人もあるのですね。

     サンフランシスコ教会の初代は、「われ生前になしとげ得ざりしこと多々あるも、霊となりてその完成を期すべし」という猛烈な信念を吐露しておられますが、「急き込み」も極まるとそういうところまでいくことになるのでしょうか。

     一泊研修会は、私も楽しみにしています。有り難うございます。
引用返信/返信 削除キー/
■125 / inTopicNo.3)  Re[2]: メルマが拝読
□投稿者/ 三宅美智雄 一般人(1回)-(2008/07/03(Thu) 10:20:14)
http://konkokyo.org
    神の「急き込み」のご真意は、ほんとうのところ、分かりません。私の人間的な眼でみるなら、私自身の焦りかとも思います。
    下半期も、今日ではや三日。朝のご祈念後、ご神前に単座してご真意を祈念させていただきましたが、なかなか引き下がれず、9時半ごろ、後ろから家内の呼ぶ声を聞き、しぶしぶ下がらせていただきましたが、どうもスッキリしないのです。

    福田先生の「われ生前になしとげ得ざりしこと多々あるも、霊となりてその完成を期すべし」のお言葉を承り、私には「霊となりて」というほどの心定めもできておらず、相済まぬことです。
引用返信/返信 削除キー/
■126 / inTopicNo.4)  Re[3]: メルマガ拝読
□投稿者/ モロ @MAIL 付き人(52回)-(2008/07/03(Thu) 23:11:33)
http://osaki.konko.jp
    先生は「神の急きこみ」と仰っているんですよね。それを私は「人間の急きこみ」と解釈してコメントしてしまいました。

    「神の急きこみ」ということについては、わたしは自分自身に実感することがないので、皆目分かりません。

    一切を「神の目」で、ということは願いとしているのですが、「急き込み」と聞くと、やはり人間の側の思いでしか捉えられないのです。ご教示願えれば、と存じます。
引用返信/返信 削除キー/
■127 / inTopicNo.5)  Re[4]: メルマガ拝読
□投稿者/ 三宅美智雄 一般人(2回)-(2008/07/04(Fri) 11:49:23)
http://konkokyo.org
    モロさま
    30年前、道開き十五年目の年の元旦、「神をいつまで待たせるのか」というお言葉をいただき、何のことやらわけが分からず、師匠(泉尾教会初代)にお伺いしたところ、「おかげの証し普請を神が急いておられる」とのお言葉をうけ、当然、私の、教会の実態実情をだれよりもご承知の神さまから「急かれている」ことに気づき、大慌てでした。役員会にも諮りましたが、みな反対でした。
    それでも、私はご神意のままに、ことを進めました。兄(泉尾二代)からも「なんで、今やねん?」という手紙をもらいました。きっと、兄も教会の実情に沿っていないことを案じてくれての手紙だったと思います。
    師匠にも、念を押して「神さまがお建てくださるのですね」と申し上げたら、「おかげの証しを立てよ(建てよ)」と、答えられるだけでした。金光さまにも御取次をいただきましたら、「神さまのお思いをいただいて、おかげをいただくように」とのことでありました。
    あれから30年‥。75歳を過ぎたいま、「神のお急きこみ」を感じ、さて「何を急いでおられるのか」と、日々神さまに問う稽古をさせていただいております。

引用返信/返信 削除キー/
■128 / inTopicNo.6)  Re[5]: メルマガ拝読
□投稿者/ モロ @MAIL 付き人(53回)-(2008/07/05(Sat) 15:32:14)
http://osaki.konko.jp
    三宅先生、
    ご自身の体験に裏打ちされた感懐だったのですね。常盤台教会がお道開きをされて短い年限で大変立派なご普請をされた理由はそういうことだったのですか。

    かつては「おかげの証を立てる」という急き込みへの応答。そして、今どのようにお応えするのか、ということで神に問い、自らに問うておられるわけですか。どのようなことになっていかれるのか、楽しみです。

    「神の急き込み」は教祖様のところではどうだったのでしょうか。そういう事跡やみ教えはあるでしょうか。

    私の記憶では、白神新一郎先生がご帰幽になった時、教祖様が、
    「『道を急ぎ過ぎてはならない。時節を待て』と、かねがね白神さんには言い聞かせておいたのに、白神さんは世を憂えるあまり、一日でも早くこの天地の真の道を開きたいと、われを忘れ、日夜心を痛め、われからわが身をもみつぶされたのである」とおっしゃり、道を思ってのことだから、「生きても神、死んでも神」とのお言葉を頂いておられます。

    教祖様のお道開きの態度は、切れず曲がらず、急がず弛まず、ということだったのではないか、というのが今まで私が頂いてきたものです。
引用返信/返信 削除キー/
■132 / inTopicNo.7)  Re[6]: メルマガ拝読
□投稿者/ 三宅美智雄 一般人(3回)-(2008/07/07(Mon) 11:14:13)
http://konkokyo.org
    モロさん
    金光大神の生きられ方は、まさにモロさんのおっしゃるとおり、「切れず曲がらず、急がず弛まず」であられたと、私も同感であります。
    しかし、私は明治11年大晦日の「お知らせ」を問題にさせてもらっています。それは、あの時点で「宮建設のこと」は完全に「絶望的」であるのにもかかわらず、なぜあのような「お知らせ」をされたのでしょうか。現実離れした、むしろ「空想」とも思えるようなことをおっしゃったのか。そこに神さまの「お急きこみ」があったのでは、と感じております。
    金光大神と自分を同じように思うことは、ご無礼かも知れませんが、道開き15年目の元日に「お急きこみ」を打ち明けられたとき、私は「広前新築」ということだけしか考えませんでした。師匠から「おかげの証し立て」と教えられ、あの年一年の間に信者の工場、会社、住宅の新築のおかげを数ヶ所いただいたことからも、神さまの「お急きこみ」のご内容が「どこにあったか」を、いまさらのように思わせられます。
    その「お急きこみ」を昨年・今年といただいている私は、腰をすえて「神さまのお急きこみ」のご内容を明らかにさせてもらいたいと願っております。
引用返信/返信 削除キー/
■136 / inTopicNo.8)  Re[7]: メルマガ拝読
□投稿者/ モロ @MAIL 付き人(55回)-(2008/07/07(Mon) 22:42:09)
http://osaki.konko.jp
    『お知らせ事覚帳』にある
    「大晦日暮れの御礼申しあげ、お知らせ。
    一つ、宮殿楼閣七堂伽藍、いらかをならべて建て続けさする。金銀のこと何千何万でも思うな。恒戌年、四十五十借りても利だけ働き。払うてやる。五人子供につき安心に思い」
    という記述のことですね。

    宮建築のことは少しも進まず、金集めの方法を巡って、寄付札のことを巡って、棟梁の不心得にかかわる問題、村の実力者や世話方との考え方の齟齬を巡って、様々の問題が未解決のまま事が推移していきます。

    そんな中でのおことばで、壮大なる構想というか、神のビジョンが提示されています。これは、金光大神存命のうちに実現しそうにもないものです。
    この道が伝えられ、広められていくその果てに実現されるイメージが神によって示されたと私は受けとめています。
引用返信/返信 削除キー/
■138 / inTopicNo.9)  Re[8]: メルマガ拝読
□投稿者/ 三宅美智雄 一般人(4回)-(2008/07/08(Tue) 10:56:58)
http://konkokyo.org
    モロさん、仰せのとおりです。神さまの「壮大なる構想というか、神のビジョン」を、あの時点でお示しになり、それをお受けとめになった金光大神も、さぞかし驚かれたことでしょう。だから、「貼り紙」をして、同じお知らせを書いておられるのだと思います。

    あれから150年を経て「この道が伝えられ、広められていくその果てに実現されるイメージが神によって示された」として、はたして、あの神のビジョンは、今時点のいて成就していると言えるでしょうか? 「今をよしとしない」私の思いから申しますと、神の急きこみを、改めていただき直し、ご神意に応えることがいると思うておりますが、いかがでしょうか?






引用返信/返信 削除キー/
■140 / inTopicNo.10)  Re[9]: メルマガ拝読
□投稿者/ モロ @MAIL 付き人(56回)-(2008/07/09(Wed) 07:11:22)
http://osaki.konko.jp
    冗談にですが、青年教師時代に「宮殿楼閣七堂伽藍」って、どれだろう?なんて話したことがあります。
    お広前会堂、祭場、修徳殿、本部教庁、学院…。まだ足らない。 (^_^;)

    まったく冗談です。神様の壮大なビジョンはまったく実現していないと思います。

    曹洞宗の一つの本山・永平寺に参りました時に、七堂伽藍造りということばに接しました。本堂、講堂などを回廊で結んだものをそのように言うようです。あの規模から考えると、今の金光教本部の境内もかなりの規模ですから、冗談口をたたける程度のものになっていないとは言えないかも知れませんが、私はまったくそのようには考えていません。

    むしろ、海外に行って、壮麗なる大伽藍や仏閣を見て、ああ、ここに宮殿楼閣七堂伽藍がある、なんて思ってしまうことがあります。

    天地の神様の構想ですからね。人間の想像を超えていると思います。
    私の神様はのんびりしているらしく、あまり急き込みというのは感じません。私が鈍感だからでしょう。
引用返信/返信 削除キー/
■141 / inTopicNo.11)  Re[10]: メルマガ拝読
□投稿者/ 三宅美智雄 一般人(5回)-(2008/07/09(Wed) 11:50:38)
http://konkokyo.org
    モロさん、
    私の下らぬ「急きこみ」に、ここまでお付き合いくださり、もったいないことであります。
    「私の神様はのんびりしているらしく、あまり急き込みというのは感じません」とおっしゃるモロさんのほうが正しいかも知れません。しかし、私は「自分のほうがのんびり屋で、神さまのほうが急きこんでおられるように思えてならないのです。ひょっとしたら、「加齢」の所為かも‥。

    ほんとうに、ごめんなさい。こんな私の「わがまま」な問題提起にお付き合いくださり、ご多用のモロさんを煩わしくさせてしまったことをお詫び申し上げます。
引用返信/返信 削除キー/
■143 / inTopicNo.12)  Re[11]: メルマガ拝読
□投稿者/ モロ @MAIL 付き人(58回)-(2008/07/09(Wed) 18:28:00)
http://osaki.konko.jp
    いえいえとんでもありません、三宅先生。
    先生のいつも意表を突かれるようなおことばに教えて頂いています。
    神様の急き込み、「いったい何をぐずぐずしているんだ」とのご叱責、考えてみます。
引用返信/返信 削除キー/



トピック内ページ移動 / << 0 >>

このトピックに書きこむ

過去ログには書き込み不可

Pass/

HOME HELP 新規作成 新着記事 トピック表示 発言ランク 検索 過去ログ

- Child Tree -