(現在 過去ログ5 を表示中)

HOME HELP 新規作成 新着記事 トピック表示 発言ランク 検索 過去ログ

[ 最新記事及び返信フォームをトピックトップへ ]

■1184 / inTopicNo.1)  東京紀州連合
  
□投稿者/ モロ @MAIL -(2003/08/08(Fri) 21:55:00)
http://osaki.konko.jp
     このHPにしばしば登場して頂いている辻井篤生さんが、「つっさんの心の旅」なるホームページを立ち上げました。
     ご本人の了解を得てから、と思いましたが、連絡メールの文脈や、ホームページ掲示板でのやりとりから、ご案内しても差し支えないものと判断して、ご紹介します。

    http://konkokyo.info/hp/tsujii/index.htm

     ここに、金光教東京紀州連合なる記事もあります。
    http://www.konkokyo.info/cgi/tsujii/diary.cgi#kisyulengo

     ごん太郎左右衛門殿もたしか自動加盟になっていたようなやりとりがありましたよね。
引用返信/返信 削除キー/
■1185 / inTopicNo.2)  Re[1]: 東京紀州連合
□投稿者/ 辻井篤生 @MAIL -(2003/08/09(Sat) 07:58:03)
    モロ先生、おはようございます。開けてみてびっくり、紀州の文字が目に飛び込んできて、思わず身を乗り出してしまいました。当方の未熟なHPをご紹介頂き、恭悦至極に存じ奉ります。

     私のような小心もんで、慎ましやかな人間が由緒ある掲示板で宣伝するのもはばかられて。(^_^;)

     と言いながら、「自己顕示欲が旺盛」だの「時間があるね」とか「暇だね」などとあるビルの4階や5階にいるおえらいさんの言なんぞものともせず、私が知っているかぎりの方にメールを出しました。(^_^)v

     今のところ毎日書こうと思っている「思うがままに」では、おかげさまで平和について書くことが多く、未だ紀州について1つしか書けてません。当然紀州連合員の反応も・・・・・です。

     少なくとも潜在連合員は、教師で10人強、信徒で100人ぐらいいると踏んでます。
    またまた「いやはや」と言われそうなので、今宵はこの辺で。違う朝だった。(*^_^*)

     
引用返信/返信 削除キー/
■1187 / inTopicNo.3)  Re[2]: 東京紀州連合
□投稿者/ モロ @MAIL -(2003/08/09(Sat) 09:22:47)
http://osaki.konko.jp
     つっさん、おはようございます。
     早速のレス、有り難うございます。
     自力でよくこそあそこまで構築したものですね。ホームページの文字がだぶったり、はみ出したり、というところが、「自力で作ったんだ」ということを自己主張しているみたいで、ほほえましいです。
     あれだけ多岐にわたって論陣を張る意気込みと、自分の過去をさらけ出す勇気には敬服します。

     ホームページを更新し続けるのって、意外とパワーが要りますよ。私はずさんにやっていますけどね。
     ご発展を祈ります。 
引用返信/返信 削除キー/
■1189 / inTopicNo.4)  Re[3]: 東京紀州連合
□投稿者/ l久戸瀬邦子 -(2003/08/09(Sat) 09:49:46)
    皆様、台風の被害はいかがでしたか?私はお気に入りの鉢がひとつ割れてしまいました。9000円!痛かった!(^_^)v 今頃は近畿地方が大変な状況でしょうね。娘2人、今朝帰省予定ですが、どうだろう。
    ところで、辻井先生のHP,私も日本橋から教えてもらい、見ています。
    ほんとに、本音部分の多い楽しいページですね。
    直ぐ下の弟が、昭和44年から一年間、東京寮でお世話になりましたが、一年間で飛び出ました。修行ができてないですね。やはり我が兄弟。それでその一年間、貫井北町、この住所によく荷物を送ったのでなにか懐かしいです。中山亀太郎先生から、母に何通かお手紙いただいてたようですが、失くしています。惜しかったなー。私も中山先生のお話を、金光学園でかぶりつきの席でお聞きし、金光教ってすごいなー!と思ったのも、入信のきっかけの一つです。なにか、関係ない方に話が飛びました。失礼しました。
引用返信/返信 削除キー/
■1190 / inTopicNo.5)  Re[4]: 東京紀州連合
□投稿者/ 辻井篤生 @MAIL -(2003/08/09(Sat) 11:16:35)
    久戸瀬様こんにちは。HP見て頂き誠にありがとうございます。東京も時折強い風と雨が降ってます。今日は午後からどうしても外出しなければならず困ってます。台風を甘く見るとホント怖いです。

     弟様も東京寮でしたか。昭和44年といいますとまだまだ寮も厳しくて、先輩後輩の上下関係も大変だったと思います。今そのころの名簿を見ると先輩になるのか教学研究所長の佐藤光俊先生がおられたりして、もう絶対にそうです。昨年まで光俊先生の長男が入寮してまして、何回か小金井で一緒に飲んだことがあります。で、そのころの話を聞きますというと、もう言葉も出ない感じで・・・・。

     私の頃はそれからまた10年近く下がりますが、もうすでに半分個人主義化して、アパート化しかけている感じでした。中山先生もそのころ体調を崩され、毎日の御祈念にもだんだんに出られなくなり、御祈念の参加者が2、3人ということもざらになりました。
     その時の寮内右派が御祈念の出席表を表示しようと提案し、寮内左派が強硬に反対するなどまあまだまだ活気はありましたけど。ちなみに私は中道穏健右派くらいに位置してました。変な話にそれてしまい失礼いたしました。

     すみません、ここからはモロ先生にお願いです。
     字のだぶりやはみ出しは、私のパソコンやサーバー元の小笠原先生のところでも大丈夫なんですが。先生の方で「表示」の「文字サイズの変更」などで直して頂けましたでしょうか。もし直らない場合はどのページか教えて頂ければ幸いです。ホームページビルダーの「どこでも配置モード」ではレイアウトが崩れる場合があるそうです。もしかして原因はこれかもしれません。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

引用返信/返信 削除キー/
■1191 / inTopicNo.6)  Re[2]: 東京紀州連合
□投稿者/ 三宅美智雄 @MAIL -(2003/08/09(Sat) 16:02:55)
http://konkokyo.org
    東京紀州連合さん、
    同事務局長さん、
    ホムペを訪れて、つっさんらしさといいますか、温かい人間味を感じております。
    つれもっていこら! たとえ「えらいさん」らが何とおっしゃろうとも、よろしやないか。マイペース、マイペース。それが、あがらの道やと思います。
    私も紀州ハーフとして、自己入会してるつもりやっしょ。勝手連ちゅうんですか。
    大崎の「ひろば」をお借りして、事務局長さんに入会のご挨拶を申し上げる次第でございます。(〃∀〃;)
    教会にも数人の紀州の人がいます。お広前で顔を合わせると、ついつい和歌山ことばが出ているのを聞いて、実にほほえましく思います。方言というのは、土地の文化に裏付けられていますから、いいですね。
    今でも、いちばん人気の高いのは「県人会」だと聞きます。おそらく普段は似非標準語で話す人たちが、心を開いてお国訛りでしゃべることができるからだと思います。いわばホンネトークの場なんでしょうね。
    モロさん、勝手なおしゃべりをしまして、えらいスンマヘンでした。

引用返信/返信 削除キー/
■1192 / inTopicNo.7)  Re[5]: 東京紀州連合
□投稿者/ モロ @MAIL -(2003/08/09(Sat) 16:50:16)
http://osaki.konko.jp
     台風は東北を北上中です。東京はまだ風が泣いています。お昼頃は、2階のテラスと空に台風が見えていました。

     東京寮の話が出ています。大崎教会で中山亀太郎先生をお招きして、第1回公開講演会を開催したのが昭和56年です。講演依頼のために東京寮の寮監宅にお邪魔しました。さびれつつある寮でした。その後、寮の廃止がいったん決定されたと思います。それがOBや教団会などの提案があって、新生東京寮となりました。その手続きのために文化庁宗務課にずいぶんと通いました。

     流れというものは面白いものです。歴史的な役割を終えたかと思った東京寮から、有為の人々を輩出したのですから。
引用返信/返信 削除キー/
■1193 / inTopicNo.8)  Re[3]: 東京紀州連合
□投稿者/ モロ @MAIL -(2003/08/09(Sat) 17:11:57)
http://osaki.konko.jp
     三宅先生、紀州ハーフですか。
     お国訛りで喋るのって、うらやましいです。子どもの時から、田舎のある人はいいなあ、ってうらやましく思っていました。

     母方は山口県、長州です。父方は、大阪です。父の実家である此花区の北港教会には、夏休みなどにご本部の帰路、立ち寄ったことが何度かあります。大阪湾に近く、今ではユニバーサルスタジオのすぐ近くになりました。当時は、淀川で泳いで、貝の破片でお腹を切ったりしました。原っぱのような道を歩くとイナゴがばたばたと左右に別れ飛びました。

     小学校4年生の頃、北港教会はまだ鳥島というところにありました。銭湯に行った帰り、妹と二人でかき氷を食べに行きました。よしずがあって、縁台があって、風鈴が鳴っている。手回しの機械でシャリシャリと大きな氷を削いでイチゴシロップなどをかけます。
     食べ終わったら「おおきに」と言ってお金を渡したくて、私はうずうずしていました。いざ、という時、お店の女の人に「あんた東京の子やろ。ことばがきれいやなあ」と言われました。現地でネイティブの人に、外国語ならぬお国言葉で喋ってみたい、という野望はもろくも崩れ去りました。小さな声で「ありがとう」と言って帰ってきました。

     どうも、そのとき以来、関西弁で喋る機会はついぞなかったように思います。
引用返信/返信 削除キー/
■1194 / inTopicNo.9)  Re[4]: 東京紀州連合
□投稿者/ 三宅美智雄 @MAIL -(2003/08/09(Sat) 19:37:51)
http://konkokyo.org
    モロさん、こんばんは。台風もちょっとアイサツだけして通過したようです。何の被害もなくおかげをいただきました。道人は昨日から青森へ出張、今日帰ってくる予定でしたが、飛行機が飛ばないということで、急遽、盛岡経由で新幹線で夜遅く帰るという連絡がありました。
    紀州ハーフというのは、父が和歌山出身です。父の両親(母は湯川安太郎師の妹)も和歌山生まれということで、戦時中、約2年間、その祖母とともに和歌山に疎開をしていました。少年時代でしたから、すっかりネイティブ和歌山人になっていた私は、戦後、大阪へ戻ったときに、母から「そら、なんのこっちゃ?」と尋ねられたりしたものです。母は生まれも育ちも大阪ですから、今はすでに死語になっている大阪弁でした。

    先生の「鳥島」での思い出をほほえましく読みました。私は「泉尾」という、大阪の場末で育ちましたので、今から思いますと、大阪弁というよりは、河内ことばに近い言葉を使っていました。私の妻も大阪生まれの大阪育ちですから、東京へ来てから40年も経つのに家庭内の公式用語は大阪弁です。4人の子どもたちのうち、上の2人の娘はバイリンガルです。下の2人(娘と道人)は、時々通訳をしてやらないと通じないことがあります。

    私が東京へ出てきたころ、連合会で大崎の親先生に親しくお声をかけていただきました。「あれ?この先生、上手に大阪弁話しはるなぁ」と思ったことがあり、先生に恐る恐る伺いましたら、大きいお体(太っていらっしゃったですよ、ね?)を揺すりながら、「私はなぁ、北港教会で‥」とおっしゃったことがありました。確か連合会で会計の御用をされていました。若い私に会計の御用のことを教えてくださったのです。私も先生の前では安心して大阪弁でお話できたのを覚えております。
    長々と、すみません。


引用返信/返信 削除キー/
■1195 / inTopicNo.10)  Re[5]: 東京紀州連合
□投稿者/ モロ @MAIL -(2003/08/10(Sun) 11:49:13)
http://osaki.konko.jp
     確かに常盤台教会の中は「大阪」という感じですね。道人先生も、都合の良いときには大阪弁を駆使して会話していますね。大阪弁だと具合の良い時ってありますものね。柔らかくなるというのか。そこへ、熊本弁の乱入?ですか。これまた、おもろい組み合わせですね。

     金光教学院で1年間の全寮生活をしているとき、数で圧倒していたのが九州と大阪で、九州弁と大阪弁が跋扈して(ことばが悪すぎる?)いました。ことばでは大阪弁の方が優位だったと思います。それで、だいたい東京人は関西弁に染まって帰京です。私は、喋りこそしないものの、幼時から耳に馴染んでいますから、なまるくらいのことはすぐに出来ます。
     父も、里帰りして戻ってくるとしばらくは大阪弁丸出しでしたから、幼い頃に染みこんだものは芯の中にきちんと染みこんでいて、何かの時には湧出してくるんですね。

     おっしゃる通り父はかっぷくがよかったです。着物に袴をはいて、禿頭に正ちゃん帽をかぶって商店街を闊歩するので、この辺の名物男でした。知らない人はいないんです。都教連の副会長をしておりましたが、晩年は東京布教推進基金の旗振りをして、その会計を担当していたようです。数字には強く、趣味は古本屋で難解な数学の問題集を買ってきてそれを解くことでした。その関係もあってのことと思いますが、推理ものの小説を読んだり、確率が活きる将棋、囲碁、麻雀が好きでした。
     私の方も脱線してしまいました。
引用返信/返信 削除キー/
■1196 / inTopicNo.11)  Re[5]: 東京紀州連合
□投稿者/ 辻井篤生 @MAIL -(2003/08/10(Sun) 12:12:42)
    三宅先生紀州弁上手ですね。私は中1から親元を離れましたので、もう全然しゃべれません。こっちでは変な関西弁といわれるし、勝浦に帰れば変な東京弁と言われます。自分でもよく分かりません。

     数年前にホント出不精のおふくろがま東京へ来ました。その時、東京発南紀勝浦行き高速バスで帰るので池袋のバス乗り場まで行きました。(片道1万円ちょっと安いです。ところが夜9時30分に出て、朝8時30分ころに着きます。朝の連ドラは見れません)

     で、非常に人通りの多い中で、その一角だけがいかにも田舎の人という集団がいました。近寄っていくとなんとほとんど顔見知りらしく、町会の集まりのような感じでわいわい紀州弁が飛び交っていました。そのエリアだけ別世界でした。

     そうそうこれは紀南の方だけかもしれませんが、紀州弁には「ざじずぜぞ」がないんです。それに気づいたのは高校生か大学生になったぐらいでした。妹が金光教の子弟の集いか何かで他府県に出た時、笑われたようで、その時に私も初めて知ったようなことです。そういえば私も笑われてました。その原因も知らずに・・・。
     例えば、「ぞうきん」は「どうきん」、「ぞうさん」は「どうさん」、冷蔵庫は「れいどうこ」となってしまいます。そうと知ってからは、人に言ってもらい、聞いてもらって必死で「ざじずぜぞ」を覚えた経験があります。

     紀州弁ではいじめられたり笑われたり、色々経験しましたので逆にすごい愛着を感じます。台風の防波堤はがんばります。がんばれ智弁和歌山!! 関係ないか失礼しました。
引用返信/返信 削除キー/
■1197 / inTopicNo.12)  Re[5]: 東京紀州連合
□投稿者/ モロ @MAIL -(2003/08/10(Sun) 14:13:29)
http://osaki.konko.jp
     つっさん、ホームページの文字サイズの変更って、やったことなかったもので失礼しました。いわゆるホームページ、つまり一番最初のページが文字がずれたりダブったりしていましたが、文字サイズを小さくしたら収まりました。

     潜在連合員の話で、当大崎教会の信徒総代に紀州人がいることを思い出しました。TTさんです。父上が金光教信徒会を創設された隅田武彦氏。姉二人が世田谷教会におられ、その一人が前教会長夫人です。連合員がこれで少し増えました?
引用返信/返信 削除キー/
■1200 / inTopicNo.13)  Re[6]: 東京紀州連合
□投稿者/ 三宅美智雄 @MAIL -(2003/08/10(Sun) 19:52:34)
http://konkokyo.org
    つっさん、こんにちは。
    たしかに「どうきん」「どうさん」ですね。v(≧∇≦)v
    和歌山弁には、独特の言葉がたくさんあります。
    チョット挙げてみますと、「体」を「からだ」と言わないで、「かだら」と言います。
    つっさんの挙げられた「れいどうこ」も、ちょっと年取った人ですと、「れいこうど」と言うのを聞いたことがあります。私が記憶しているなかで、最高は、戦後連合国軍総司令官のマックアーサー元帥を、和歌山の女性で「まっかーさん」と呼んでいたことです。

    この他、アトランダムに挙げますと、
    「いんでくら」。「うちへ、おいなあ」+「ほや、また、いかよぉ」。「おもしゃかっとぉ」。「がいなこと言うな」。「今日わ(キョウワ)!」 or 「今日わわ」。「くらしたろか!!」もしくは「くらすど(ぞ)ー!!」。「ちゃわ」。

    どれも、今もなお使われている和歌山弁だと思います。意味、ワカリマス?
引用返信/返信 削除キー/
■1201 / inTopicNo.14)  Re[6]: 東京紀州連合
□投稿者/ 三宅美智雄 @MAIL -(2003/08/10(Sun) 20:00:27)
http://konkokyo.org
    モロさん、こんばんは。
    台風一過、夏本番の今日でした。
    たしかに学院は、圧倒的に関西弁と九州弁が支配的でした。
    「ああ、シンド」と言うと、「きつかぁ」と甘木系の人が言うなど、面白かったです。
    私は思いますのに、関西弁のほうが同化力が強いように思うのです。関西から上京しても、何年経っても東京弁にはならないが、大阪へ出張しただけでも、東京人が「かたこと」の大阪弁になってくることが少なくないようです。不思議なものですね。
    ご先代親先生のお姿が瞼に浮かびます。懐かしいです。
引用返信/返信 削除キー/
■1202 / inTopicNo.15)  Re[7]: 東京紀州連合
□投稿者/ ごんた朗左右衛門 -(2003/08/10(Sun) 21:24:14)
    なんと懐かしい紀州弁だったでしょうか(;_;)
    私も同じ経験をしています、電話が「ぜんわ」とか座布団が「だぶとん」だったような気がします、東京にきて約三十年近くになるので何て言っていたか忘れてしまいましたが、田舎から電話が入ると紀州弁(田辺)丸出しで話しているらしく家族に笑われています。
    一昨年和歌山の田辺に帰って行った時、四村川小学校分校を見たくて旧道大瀬と云う所に行ってみましたがすっかり変わっていて道の何処を入っていって良いのか全然分からず、もう無くなってしまったのでしょうか?また、言葉も紀州弁と東京弁をうまくコントロ−ル出来ず家族にすっかり馬鹿にされてしまったのです。
    どんなことを言ったのか思い出せませんが随分とトンチンカンになっていたようです。トホホ・・・・。
引用返信/返信 削除キー/
■1203 / inTopicNo.16)  Re[8]: 東京紀州連合
□投稿者/ 辻井篤生 @MAIL -(2003/08/11(Mon) 07:57:01)
    ごんた朗左右衛門さま、おはようございます。え、ざとだが反対だったんですか。じゃ道路は、ぞうろ、でんでん虫虫は、ぜんぜんむしむし(全然無視)、完全に意味が変わってしまいますね。(*^_^*)

     三宅先生おはようございます。「いんでくら」は「じや、帰るね」、「うちへ、おいなあ」+「ほや、また、いかよぉ」は「うちに遊びにおいで。じゃ今度行くね」。「おもしゃかっとぉ」は「おもしろい?」、「がいなこと言うな」は「あほなこと言うな」。
     「今日わ(キョウワ)!」 or 「今日わわ」は「こんにちは」。「くらしたろか!!」もしくは「くらすど(ぞ)ー!!」は「なぐるぞ」。「ちゃわ」は「違うは」。
    うーん全然違いますか?(^_^;)

     私も紀州に帰りたくなってきました。夏休み子供の方が何かと忙しく今年も帰省できませんでした。いま、妹が広島の松永教会に嫁ぎましたが、4人の子供を連れて勝浦に帰ってます。
     
     連れもていこらで、あー、おいしいお魚をたらふく食べたくなってきました。
引用返信/返信 削除キー/
■1204 / inTopicNo.17)  Re[9]: 東京紀州連合
□投稿者/ 三宅美智雄 @MAIL -(2003/08/11(Mon) 09:02:15)
http://konkokyo.org
    つっさん、おはようございます。
    今日から、いわゆる「お盆休み」なのか、お広前は閑散としています。
    東京人(江戸っ子)が少ないという証拠でしょうか。ふるさとへと帰る
    人が多いようです。
    先生も「美味しい魚」が食べたいナンテ、里心がおありのようですね。
    私は、いまさら大阪へは帰りたくありません。東京のほうが人間臭く、
    生きているという実感がするからです。
    さて、「おもしゃかっとぉ」は「おもしろい?」というのは、間違い
    と思います。「おもしゃかっとぉ」は、誰かに訴えたいときは
    「おもしゃかったよ」でも良いですが、短く「おもしゃかっとぉ」と
    言った方が感慨深げです。
    また「がいなこと言うな」は「あほなこと言うな」ではなく、たとえば
    休日の遊園地に行ったは良いが、乗り物はみんないっぱい、すごい人出
    だった場合。 帰宅後、留守番の家族に「人いっぱいやった?」と質問
    されて一言。「がいな人やっと!」 (すごい人だったよ!)と言います。
    「がいな」は程度が甚だしいことを表します。後に名詞を付けなくても
    「がいなよ!」でも意味は通じるようです。感嘆の気持ちを含んでいる
    表現です。
    まあ、どっちゃでもええことなんでしょうが、方言の勉強はオモロイ
    ですね。
    ごんた朗左右衛門さんのカキコも、なかなか味がありますね。
    つっさんの御説では、「ざとだが反対だったんですか。じゃ道路は、ぞうろ」
    とありますが、みんながみんなではないけれど、「道路=ろうど」という
    のを聞いたことがあります。「これじゃ、英語だね」と大笑いしたことが
    あります。
    ハイ、お後がよろしいようで。
    PS. モロさん、この掲示板にふざけたことを書き込んで申し訳ございません。

引用返信/返信 削除キー/
■1207 / inTopicNo.18)  Re[10]: 東京紀州連合
□投稿者/ モロ @MAIL -(2003/08/11(Mon) 20:59:35)
http://osaki.konko.jp
     三宅先生、紀州弁講座、おもしろかったです。でも、これ、じかに話すのを聞いたら味があっていいでしょうね。以前に名古屋弁講座とかいうのがあって、「せんだがや」「そうだがや」とがやがや言うのがおかしかったですが、紀州弁もそんなふうに遊ばせてもらえるのがないですかね。

     「ろうど」とか、「がいなよ!」とか、英語に通じてしまうところがすごいですね。tough guy というのを思い出してしまいました。

     つっさん、鮮魚ですか。布教部時代に、勝浦の教会に戻ると、おみやげにマグロの固まりを持って帰るという話だけ聞いていました。布教部で、きのう食べちゃったとか、あしたならつっさんがマグロ背負って帰ってくるのに、という場面に何度か出くわしたけど、お相伴に預かることは無かったなあ。(ノ_・、)グスン

     ごんた朗左右衛門さんのふるさと探訪の話は聞いたことがあります。あまりの未開地なので、今更ながら驚いたということでしたね。山奥に細道をずっと辿って通っていたのだけれど、その道も、民家も、小学校も見つからなかった、と。旧道大瀬という地名を見て、ここに間違いないのだけれど、どうしても道が見つからないということだったでしょうか。学校も分校だったので、たぶん現存していないだろう、と自分の過去が消滅したような寂しそうな顔つきで話していましたね。過去と再会したいのでしょうね。
引用返信/返信 削除キー/
■1211 / inTopicNo.19)  Re[11]: 東京紀州連合
□投稿者/ 三宅美智雄 @MAIL -(2003/08/12(Tue) 10:44:45)
http://konkokyo.org
    モロさん、そのとおりです。
    いくら、文字で表現しても、音で聞かないと正確なことは伝わりません。イントネーションというのでしょうか、アクセントというのでしょうか、ネイティブな人の言うのを聞くことが必須です。
    大阪弁でいうなら、扇町のセンセが「心の電話」していらっしゃるでしょ?他にもありますよね。あれを聞いてみると、大阪人でないと分からないことばが頻発しています。文字で書いてあるのを読むと、ある程度は分かっても、音で聞くと分からない。
    まあ、これは外国語でもそうですよね。ただし、ハングルは見ても聞いても、私はよくわかりませんが、中国へ行くと、漢字だから、大方の想像はつきます。「洋鞋」という看板を見て、モロさんなら、何屋さんとお思いです?
引用返信/返信 削除キー/
■1212 / inTopicNo.20)  Re[12]: 東京紀州連合
□投稿者/ モロ @MAIL -(2003/08/12(Tue) 14:17:02)
http://osaki.konko.jp
    「洋鞋」は靴ですか?意味で捉えればそうなります。
    「電脳」はご存じですか?
引用返信/返信 削除キー/

次の20件>

トピック内ページ移動 / << 0 | 1 >>

[このトピックに返信]
Pass/

HOME HELP 新規作成 新着記事 トピック表示 発言ランク 検索 過去ログ

- Child Tree -