| てるりんさん、
ブントンさんのお宅で、女性は蚊帳付きのベッドに寝かせてもらえるんですよね。私はいつも板の間です。高床式の隙間ありの床ですから、涼しくて快適です。乾期で昼は40℃くらいあっても、夜は寒いくらいです。だから生きていけるんですね。熱帯が、夜東京のような熱帯夜状態だったら、生きていけませんね。 ブントン家のトイレは良く出来ています。まあ、カンボジアとしては普通の造りですが、水洗トイレで、脇に水をためるところがあって、ブリキの容器ですくい、自分で流すんですよね。あの水はトイレの外の水槽にためて、肥料にします。
てるりんさんのスコールの話を聞いて、実は私が最後に行ったのが6月だったことを思い出しました。その時、猛烈なスコールがやってきました。天に穴が開いたかと思うほどのどしゃぶりでした。そして、パッと晴れる。
ある年、寄付があったので、子供たちにノートをたくさん持って行ったことがあります。それは、たまたまだったので、翌年は持って行かなかった。すると、ブントンさんが、「どうしてノートを持ってこなかったの?」と聞きます。私は、プロジェクトとしては、物を持って行って配るのが目的ではなかったので、まったく想定していませんでしたが、あまりに悲しそうな目をするので、「では、あなたが買って配って下さい」と現金を渡してお願いしました。4校か5校分だったと思います。それだけの信頼関係は出来ていました。翌年行ったら、「これを見てください」と子どもがもっているノートの最後のページを見せます。そこに、KONKOKYO のモジがありました。別に名前を売るつもりはないので、「その必要はないんですよ」とブントンさんに話したことでした。カンボジアでノートを買えば安いですが、物はやはり日本製がずっといいです。ですから、日本から紙とかノートをもっていくと喜ばれると思います。
給食・散髪プロジェクトが自立に向けての動きになっているというのはうれしいです。子供たちは、シラミのために勉強が満足に出来ないというのを聞いて、このプロジェクトを始めました。このプロジェクトの難は人件費が高いということです。3人の専門員を雇っているので、1人月40米ドルでも結構な費用になります。PTAが頑張ってくれればいうことはありません。
トラッペン・テトラチェ小学校は、私にとって原点の学校です。ここから私のカンボジアのすべてが始まりました。
|