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■1148 / inTopicNo.1)  カンボジア
  
□投稿者/ てるりん @MAIL -(2003/07/14(Mon) 18:00:19)
    モロ先生、カンボジアに行って来ました。プノンペンの町はたくさんのバイクタクシーが走り回り、車やバイクが中央車線をはみ出して走ってくるのには、ビックリ!!よくこれで交通事故が起こらないなぁと感心してしまいました。最初にツール・スレーン博物館に行き、ポルポト政権時代に罪のない人々が投獄され、拷問、処刑された資料や写真を見て・・・20数年前に、こんな事があったなんて悲しくなりました。

    コンポンチュナンのブントンさんの家にお世話になって、モロ先生といとこだと言ったらびっくりしてましたよ。クレヨンとノートを持って、4箇所の小学校と図書館に行き子供達に渡して来ました。日本の歌を2曲、カンボジアの歌を2曲(向こうで教えてもらって)を歌ったり、子供達に絵を書いて貰ったり、着ている物は貧しくても子供達はどこの国も一緒だなぁと思いました。ちょうど給食プロジェクトが来てて、給食をご馳走になりました。胡椒がきいて美味しかったです。子供達も楽しみにしているようでした。
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■1150 / inTopicNo.2)  Re[1]: カンボジア
□投稿者/ モロ @MAIL -(2003/07/14(Mon) 21:03:34)
http://osaki.konko.jp
    てるりんさん、おかえりなさい。

     カンボジアは日に日に変化しているようですね。私が通い続けた1993年から2001年にかけての9年間の変化も驚くほどのものでした。首都プノンペンは、かつて驚くほどの田舎でした。空港の滑走路は原っぱみたいな感じだったし、空港の建物も土間の小さなものでした。今では空港も町中もだいぶ近代化が進んでいるようですね。
     それでも変わらないのが、交通の仕方ですか。なんせ、交通規則そのものがあるのかないのか。一応右側通行ということと、赤信号では止まるということでしょうか。交通信号が出来たのは5年くらい前でしょうか。
     10年ほど前は、タクシーのほとんどはシクロという三輪自転車だったのですが、今はバイクにとって代わられました。
     時期からすると雨季だと思いますが、天気はどうでしたか。私はすべて乾期に行っていましたので、雨季の緑豊かな美しい光景は見ていないのです。

     ツールスレンは、私が初めて訪れたときは、床に血糊がついており、何か凄惨なにおいがする感じでした。まさに殺人現場の生々しさがありました。それが、そうしたものが薄れていく感じがしておりました。10年前に行ったとき、若い女の子は、余りの壮絶さに失神しかけましたよ。

     ブントンさんはお元気でしたか。コンポンチュナンに泊まるときはいつもブントンさんのお宅でした。客人には蚊帳のサービスをしてくれるんですよね。電気がないので、夜行動するには懐中電灯が必需品でした。

     コンポンチュナンでのクレヨンとノートを贈るプロジェクトについては、私は関知していないので、どのように受けとられているか、どのように活用されているのかわかりません。様子を聞かせてください。
     学校に行ったときに「ちょうど給食プロジェクトが来てて」と言われますが、たぶん、皆さんが行くのに合わせて給食をしたのだと思います。
     もともと、給食プロジェクトは一食一円運動の原点ですから、ブントンさんとすれば、このようにやっています、ということを見せたかったに違いないのです。給食プロジェクトはもう金光教の手を離れたのでしょうか。もし、金光教がそれをやめたのだとするならば、どういう認識からそのようになったのでしょうか。

     カンボジアについては、知りたいことがいっぱいです。
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■1151 / inTopicNo.3)  Re[2]: カンボジア
□投稿者/ てるりん @MAIL -(2003/07/15(Tue) 12:35:06)
    モロ先生、昨日は時間がなくて簡単な報告ですみませんでした。
    ブントンさんは、とてもお元気で、大変お世話になりました。着いた日の夕方、試作農園に連れて行ってもらい(私のヤシの木を用意してくれて)植樹してきました。
    夜は蚊帳つきのベットに寝かせていただきとても快適でしたが、2泊目の夜に蚊帳の中に蚊が入っていたらしく、たくさん刺されてしまいました。電気はバッテリーの発電機で蛍光灯が点いて、結構明るかったですよ。トイレに行く時には懐中電灯を持っていきました。手動の水洗トイレには驚きました。流したものはどこに行くんだろう??

    カンボジアは雨季ですが、朝から強い日差しで日中はとても暑かったです。夕方3時を過ぎる頃になると、黒い大きな雲が出て、風が吹き、しばらくすると激しい雨が降り出します。1時間もするとやんで、また日が差します。スコール初体験でした。
    ちょうど田植えの時期であちこちで田植えをしてましたが、田んぼにヤシの木がニョキニョキ立っている絵は日本では見られない風景です。草原では牛が草を食べ、苗が風にゆれ、周りの木々は青々してとてものどかな田園風景です。

    クレヨンを送る運動は、2年前の平和集会の時に「地雷の数だけクレヨンを」のテーマでカンボジアの子ども達にきれいな色で絵を書いてもらいたいとクレヨンを送ったのが始まりで、毎月1回ボランテァの人たちが(モロ先生の信者さん達も来てくれてます)集まったクレヨンをきれいにラッピングし、紙も不足しているので一緒に送っています。

    給食・散髪プロジェクトはそれぞれの学校で自立に向けて、スクール・コミュニティーの人達ががんばっています。すでに自立している学校は、親から毎月100リエル(3円)集めて(払えない親もいますが)貯まったお金を鳥や豚を買ったり、何かするための資金として貸し出し、2%の利子をつけて返し、その利子で給食・散髪プロジェクトをまかなっています。
    モロ先生が前に行かれたテットラチェ小学校でも、今年の10月から自立していく方向でがんばっていました。
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■1153 / inTopicNo.4)  Re[3]: カンボジア
□投稿者/ モロ @MAIL -(2003/07/17(Thu) 17:31:12)
http://osaki.konko.jp
    てるりんさん、

     ブントンさんのお宅で、女性は蚊帳付きのベッドに寝かせてもらえるんですよね。私はいつも板の間です。高床式の隙間ありの床ですから、涼しくて快適です。乾期で昼は40℃くらいあっても、夜は寒いくらいです。だから生きていけるんですね。熱帯が、夜東京のような熱帯夜状態だったら、生きていけませんね。
     ブントン家のトイレは良く出来ています。まあ、カンボジアとしては普通の造りですが、水洗トイレで、脇に水をためるところがあって、ブリキの容器ですくい、自分で流すんですよね。あの水はトイレの外の水槽にためて、肥料にします。

     てるりんさんのスコールの話を聞いて、実は私が最後に行ったのが6月だったことを思い出しました。その時、猛烈なスコールがやってきました。天に穴が開いたかと思うほどのどしゃぶりでした。そして、パッと晴れる。

     ある年、寄付があったので、子供たちにノートをたくさん持って行ったことがあります。それは、たまたまだったので、翌年は持って行かなかった。すると、ブントンさんが、「どうしてノートを持ってこなかったの?」と聞きます。私は、プロジェクトとしては、物を持って行って配るのが目的ではなかったので、まったく想定していませんでしたが、あまりに悲しそうな目をするので、「では、あなたが買って配って下さい」と現金を渡してお願いしました。4校か5校分だったと思います。それだけの信頼関係は出来ていました。翌年行ったら、「これを見てください」と子どもがもっているノートの最後のページを見せます。そこに、KONKOKYO のモジがありました。別に名前を売るつもりはないので、「その必要はないんですよ」とブントンさんに話したことでした。カンボジアでノートを買えば安いですが、物はやはり日本製がずっといいです。ですから、日本から紙とかノートをもっていくと喜ばれると思います。

     給食・散髪プロジェクトが自立に向けての動きになっているというのはうれしいです。子供たちは、シラミのために勉強が満足に出来ないというのを聞いて、このプロジェクトを始めました。このプロジェクトの難は人件費が高いということです。3人の専門員を雇っているので、1人月40米ドルでも結構な費用になります。PTAが頑張ってくれればいうことはありません。

     トラッペン・テトラチェ小学校は、私にとって原点の学校です。ここから私のカンボジアのすべてが始まりました。
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