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モロの部屋
モロ先生からのメッセージや行事の様子などなど、随時更新して行きます。
お楽しみください。
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道行く人へのメッセージ

講演録
南風に吹かれて


金光教は、すべての人が助かってほしいという天地の神の頼みを受けて教祖・金光大神が幕末の1859年に取次を始めたことから起こりました。
その教えは、人間は天地のはたらき(神の恵み)の中に生かされて生きており、その道理に合った生き方をするところから、幸せな生活と平和な世界を築くことができる、と説いています。
世界の平和とすべての人の幸福、一人ひとりの人生の成就を願って、この教会はすべての人に門戸を開いています。いつでも自由にお入りください。
南風に吹かれて

カンボジア (下)

 カンボジア行きは、太田道子さんから誘われた。彼女は、『聖書』の共同訳に専従で携わった屈指の聖書学者で、湾岸戦争を契機にNGO「平和の手」をおこした。日本の国から世界の平和をめざそうと、国が自衛隊を派遣しようとするところへ、みずから出向いていった。中東で二度お世話になった縁から、カンボジアへと誘われたのである。
 最初の一九九三年はスタディ・ツアーだった。翌年はNGOの実務出向で、どういうわけか、道子さんは私に声をかけてきた。「元雄さん、もう一度カンボジアに行きません?」彼女の誘いはいつも唐突だ。「平和の手」スタッフと三人で各所を回った。
 プロジェクトは、首都プノンペンから車で北へ四時間のコンポンチュナン県にある複数の小学校で行うことになっていた。いまは道が良くなって二時間で行ける。
 いくつかの小学校を回った。その中でいちばん僻地にあって、もっとも貧しく、もっとも子どもたちの発育状態の悪い学校があった。そののち長くつき合うことになるトラッペン・テトラチェ小学校である。授業が終わると、子どもたちは三々五々森のなかの獣道のようなところを帰っていった。
 かれらの貧困、内戦の傷跡に象徴されるアフリカ、アフガン、南米などの戦争、貧困は、先進諸国による収奪の帰結である。緑ゆたかで、お互いに助けあって、笑顔いっぱいに暮らしていた南風そよぐこれらの国ぐにに、先進国とよばれる北の国が自分たちの利益のために押しかけてきてあらゆるものを奪い、破壊していった。その構造の上に私たちのモノの豊かさがある。その裏返しとして不安、孤独、生きがい喪失などのもろもろの難儀がある。かれらの不幸も、われわれ「先進国」の不幸もねっこは一つだ。それをのりこえるには、「共に生きる」世界を築くしかない。
 「あの子どもたちに卵一つでも食べさせてあげられないだろうか」と道子さんに相談した。海外支援は自立支援こそが大切で、ただ単に物やお金を与える支援はかえってよくない結果をまねくということを重々承知している私は、おずおずと尋ねた。答えは意外で、「それはいいわね」だった。彼女は、戦後日本で、アメリカの宗教団体が学校にお菓子をもって現れた時のことを思い出すという。それは何回かに及んだが、そのつど、とてもふくよかな気持ちにさせられたという。ひもじい子どもたちのおなかを満たしてあげることは、生きる意欲を与えることにもなるので、ぜひ協力させて頂く、という返事だった。
 現地の人から、「鶏卵は食べるものではなく、育てるものだ」と聞かされて、思わず唸ってしまったが、ポンティアコーンというアヒルの卵の孵化寸前のものをゆでて食べる習慣はある。ゲテモノ食いと人から言われるが、これがうまいのだ。
 このプロジェクトを起こす時、一食一円運動と名づけた。日本で食事をする時、カンボジアの子どもを食卓に招待したい。実際にはできないので、一品減らすか、量をちょっと削って、その分一円浮かせたとして、それを寄付するのである。食事をするつど、カンボジアの子どもたちのことを思う。そのお金でかれらに給食をプレゼントする。このプロジェクトは三年間だけ行う、といって始めた。現地の人たちは、鳥雑炊という学校給食の定番を創案してくれた。安くて栄養があって、とてもおいしいのである。それが他の学校にも及んで九年間続いている。昨年アメリカのあるNGOがこの地方を訪ね、子どもたちの栄養状態を調べた。給食をしている学校の子どもたちは他の学校の子たちよりも栄養状態がよいと言われたという。週にたった一回なのに、継続するということはすごいことだなあ、と感激で胸がいっぱいになった。現地では、自分たちで給食をしようという動きになったという。ほんの少しの愛が自立への道をつけたのだとしたらうれしい。
 この国の前途は多難である。しかし、あの神秘のクメールのほほえみがある限り、かれらはきっと独立と平和を取り戻すにちがいない。「あなたたちと共に」という祈りをもって、一食一円運動を続けている。