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モロの部屋
モロ先生からのメッセージや行事の様子などなど、随時更新して行きます。
お楽しみください。
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道行く人へのメッセージ

講演録
南風に吹かれて


金光教は、すべての人が助かってほしいという天地の神の頼みを受けて教祖・金光大神が幕末の1859年に取次を始めたことから起こりました。
その教えは、人間は天地のはたらき(神の恵み)の中に生かされて生きており、その道理に合った生き方をするところから、幸せな生活と平和な世界を築くことができる、と説いています。
世界の平和とすべての人の幸福、一人ひとりの人生の成就を願って、この教会はすべての人に門戸を開いています。いつでも自由にお入りください。
南風に吹かれて

インド(上)

 カルカッタに夜行列車で着いたのは一九九三年八月九日、午前五時。まだ暗かった。ホームには古木のようなものが布をかけられ延々と横たえてあったが、それが寝ている人間だとわかったのは後のことだった。駅構内には灯りがあったが、びっしりと人が寝ていた。そこから出ようとすると、ウワッと人が群がってきた。「ホテルは決まってる?」「タクシーに乗らないかい?」「荷物をもってやろう」と、金づるが来たとばかりに、いろんな手が伸びてくる。「電話をかけたい」というと群の後ろの方からテレカが飛んできた。
 相手の出ない電話をかけているうちに、荷物はタクシーのトランクの中に納まっていた。値段交渉をすると法外な値段である。断固、荷物を取り返して、他の運転手と交渉する。折り合いをつけて、その車に行ったら、白人の家族が乗っていた。乗り合いである。当方は、三宅道人国際センター所員と二人。白人が心配そうに、「私たちのホテルにちゃんと行ってくれる?」と尋ねた。「OK、OK、ノープロブレム」。南の国の人は、何があっても、「ノープロブレム」(大丈夫)だ。こうした楽天主義も、時にはいいものである。
 そのタクシーがホテルに着くまでに、私には忘れられない出来事が起こる。赤信号で止まったとき、ギュウギュウ詰めの車の助手席窓側に乗った私のすぐ外に赤ん坊を抱いた物乞いの女の人が立った。口にものを入れる仕草をして、手を差し出す。子どもはがりがりにやせ細り、母親も痩せ、ずいぶん老けて見えた。ポケットから小銭を取り出そうとするが、身動きできない。青信号になって車は走り出した。その夜、私は寝つかれなかった。目をつぶると、その母子の顔が目に浮かんだ。
 幸運にもマザーテレサと午後四時に会う約束が取れた。
 雨の中、地下鉄に乗って「死を待つ人の家」に向かった。『地球の歩き方』を見て地下鉄に乗り、歩いていった。道を尋ねると、OK、OKといって教えてくれる。見つからないので他の人に聞くとまったく反対の方角である。あとで知らされたのだが、インド人は大方人にものを尋ねられも、「知らない」とは言わないらしい。本で読んで想像していた以上に大きくてにぎやかなカーリー寺院の脇にひっそりと立つこの家に、物乞いやたくましい商人の手を振り払ってたどり着くのはたいへんだった。マザーの家を聞いても、OK、OKとお店とか他の所へ導こうとする。
 「死を待つ人の家」は、意外にも明るく、清潔だった。「マザー・テレサに会いたい」というと、白人の男性が、「ここではない」という。マザーの本拠地は私が勝手に思いこんだ「死を待つ人の家」ではなく、「神の愛の宣教者会」の本部だったのだ。中にいたインド人の若者が、「OK、OK、ノープロブレム。タクシーの運ちゃんに住所を書いて渡してやるよ」と外へわれわれを導きだし、止まっていたタクシーに行き先を告げてくれていた。さすがマザー・テレサの家の人たちはボランティア精神が行き渡っているんだな、と感心して車に乗り込んだら、その親切男に「チップ」と手を出されてガックリ。
 マザー・テレサはたいへん小柄だった。付き添いのシスターによれば、肋骨を三本骨折して間がないという。「今では、だいぶ気分がいいです」と慈愛に満ちた笑顔で答えて下さったが、顔色は悪かった。ブルーの三本線入りの質素な白木綿のサリーで身を包んで、足は裸足だった。栄養失調のためか、外反母趾で反り返った足指が痛々しかった。顔は苦渋に満ち、立ち居振る舞いは肉体的な疲労を隠さなかった。だが、「遠路はるばる日本からよくぞ訪ねて下さいました」と頭に手を置いて祝福された。交わした握手の手は労働の結晶を思わせるように肉厚で、力強かった。はじめ、向こうから歩いて来られる姿は、三代金光様に似て実に神々しかった。