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モロの部屋
モロ先生からのメッセージや行事の様子などなど、随時更新して行きます。
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道行く人へのメッセージ

講演録
南風に吹かれて


金光教は、すべての人が助かってほしいという天地の神の頼みを受けて教祖・金光大神が幕末の1859年に取次を始めたことから起こりました。
その教えは、人間は天地のはたらき(神の恵み)の中に生かされて生きており、その道理に合った生き方をするところから、幸せな生活と平和な世界を築くことができる、と説いています。
世界の平和とすべての人の幸福、一人ひとりの人生の成就を願って、この教会はすべての人に門戸を開いています。いつでも自由にお入りください。
南風に吹かれて

エジプト

 中東諸国を回り、出入国にものすごい緊張を強いるイスラエルからカイロへ戻ると、ほっと安堵の吐息をもらすほど、エジプトはそうした国々とは違う空気を醸していた。あちこちの街角には銃をもって警備する兵隊が立っているにもかかわらずである。それが、私の訪問した一九九一、二年当時の印象である。その後、過激派によるテロで、外国人観光客が多く殺傷されたのは残念である。
 ナイルの賜と言われるエジプトを、ナイル河沿いに南上していくと、そのことがよく分かる。南上するということばを初めて聞いたとき、なるほどここは南半球なのだ、と思った。上エジプトはエジプト南部であり、ナイル川上流に当たる。川添いには青々とした畑が続くが、水の及ばない所とはくっきりとした一線を画しており、緑の外側は真っ白な砂漠である。
 三つの巨大なピラミッドを擁するギザもナイルからそんな離れた場所にあるわけではない。ギザの町並みを抜けた砂漠の入り口にそれはあった。多くの観光写真はスフィンクスと共に町の側から撮られているので、ピラミッドは砂漠のど真ん中にあると思っていた。ところが、砂漠側から見れば、ピラミッドの向こう側はビルの並ぶ都会なのであった。
 エジプトでは、CRSという世界でも屈指のNGOのプロジェクトを実地研修することが主たる目的だった。カイロでは、養蜂業などの職業訓練や、都市のゴミ回収業を産業として成り立たせることが出来るようにする環境、リサイクルプロジェクトなどを見学した。まずはエジプト人スタッフから基本的なレクチャーを受けた。CRSはアメリカのカトリック司教団が起こしたNGOだが、トップ一人だけアメリカ人で、残りスタッフは全員エジプト人だった。自立援助を旨とするところから、撤退を前提にプログラムを立てる。
 エジプトはアラブの国であり、アラビア語を話す。当時の人口は五八〇〇万人で、人口の八五%はスンニ派のモスレム。残りは各種のキリスト教徒である。ナイル川に完全に依存し、国土の四%が河畔にある居住可能な場所であり、九六%は砂漠である。
 イスラム社会には喜捨という徳目があって、モスレムはいわば徳積みというか、義務として貧しい人たちに施しをすることが通例になっている。従って、施しを受ける方も、哀れっぽく乞うのではなく、貰うのが当然というふうで、「ほれ!」と横柄とも取れる態度で帽子や容器を突き出す。結構な社会というべきか、だから問題が解決しない、という嘆きも聞かれた。
 カイロから南へミニアとアシュートへ行った。ここでもプロジェクトの視察のためだ。道中、立派な墓をたくさん見た。道路は対向車がほとんどなかった。道がナイル川のグリーンベルトを離れると真っ白な砂漠だった。白と緑がくっきりと一線を画していた。砂漠に降り立つと砂利を含んでいたが、砂の粒子は細かく柔らかく、靴が少しめりこんだ。荒地に白い石レンガを積んだだけの真四角の粗末な家が点在していた。こんな所に人が住むのか、と驚いた。水が命との実感をもった。
 人々は素朴で人なつこい。カメラを向けると大喜びで応じてくれる。アパートの三階から太い腕をしたひげ面の男が笑顔をふりまきながら何やら大声で手招きしている。スタッフが「お茶を飲んでいけ、と言っていますよ」と教えてくれた。
 エジプトでは、大家族のため所有者が死ぬとそれを分割する。細分化が繰り返されるため農地は近代化できない。そして食べていけないので、土地を売却してイラクへ出稼ぎに出た人たちが多い。湾岸戦争のために無一文で逃げ帰った。村人たちはいっそう貧しくなった。