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モロの部屋
モロ先生からのメッセージや行事の様子などなど、随時更新して行きます。
お楽しみください。
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道行く人へのメッセージ

講演録
南風に吹かれて


金光教は、すべての人が助かってほしいという天地の神の頼みを受けて教祖・金光大神が幕末の1859年に取次を始めたことから起こりました。
その教えは、人間は天地のはたらき(神の恵み)の中に生かされて生きており、その道理に合った生き方をするところから、幸せな生活と平和な世界を築くことができる、と説いています。
世界の平和とすべての人の幸福、一人ひとりの人生の成就を願って、この教会はすべての人に門戸を開いています。いつでも自由にお入りください。
南風に吹かれて

聖地エルサレム

 一九九一年の夏、私は金光新聞(当時)の小柴宣和氏とNGOによる中東訪問団に加わった。前日深夜にテルアビブ空港からカトリックの巡礼宿に到着して、皆が旅の疲れを癒している早朝、私はかれと、宿の近くの壮麗なダマスカス門からエルサレムの旧市街に入り込んだ。狭くて小さな店が細い道の両側に長屋のように延々と続いている。その日、イスラエル政府の政策に抗議するためほとんどのパレスチナ人たちは店を閉ざしていた。ふだんは巡礼者や観光客でごった返しているが、閑散としていた。わずかに開けた店から、「アラブのコーヒーを飲んでいきなよ」と愛想のよい声がかかった。「アメリカ人には一〇ドルで売ってるけど、日本人は大好きだから六ドルでいいよ」と見えすいたことを言った。しかし、アラブ人のアメリカ嫌い・日本好きは、あながち商売の方便とばかりは言えない。歴史の中で何度も味わわされた苦い経験からくるらしい。
 キリスト教、イスラーム、ユダヤ教という三つの宗教の聖地である旧市街は強固な石の城壁に取り囲まれている。中はユダヤ人とパレスチナ人が截然と居住区を別けてはいたが、実際には渾然と混じり合っているふうでもあった。もともと共生していたのが、政治が両者を分断し、対立させているように思えた。
 どこを歩いているのか分からぬままにしばらく行くと、大きな門の一部に人一人くぐれるほどの小さな扉があって、検問所になっていた。銃をもつ兵士に荷物検査を受けたあと、広くて急な石段を上がっていくと、黄金のドームが眩いほどに燦然と輝いていた。メッカ、メジナと並ぶイスラーム三大聖地の一つに建つ岩ドームである。美しい青壁のモスクに多くのモスレムが出入りしていた。
 そこから引き返して、建物の中を複雑に登ったり折れたりして行くと、写真で見慣れた広場に出た。ユダヤ教の嘆きの壁である。壁に向かって左が男性、右が女性の礼拝の広場となっており、間は鎖で仕切られている。入り口に検問所があり、男は、神への敬虔さを示す小さな丸いキャップを入り口で借りて頭にちょこんと乗せると中へ入れて貰える。人々は、小刻みなお辞儀を早い所作で繰り返しながら、壁に向かって祈っていた。壁の石垣は、何千年という祈りの痕跡が人々の手あかで黒く光を発していた。
 宿へ戻るべく引き返していくと、Via Dolorosa と表示された文字に目が釘付けになった。訪問団のクリスチャンの一人が、賛美歌を歌いながらヴィア・ドロローサ(悲しみの道)を歩きたい、と言っていたあの道だ。イエスが十字架を背負って歩いた道である。今も、イエスが倒れた場所、マリアが見送った場所などで、祈祷文を唱え、賛美歌を歌いながら追体験をする人々が後を絶たない。その道が登っていく先に聖墳墓教会がある。その中の礼拝堂で、ゴルゴダの丘の岩に触ることが出来る。巡礼者は交代でその冷たい岩に触り、十字架のキリストと時空を超えて一つになるのである。その向かいには、イエスの墓がある。あまりに観光地化した雑踏だが、巡礼者たちにとっては、かけがえのない場所だ。
 人々はそれぞれの神に敬虔なる祈りを捧げる。祈りに満ちた、もっとも平和であるべきエルサレムが、いま世界で最も危険な場所の一つになっているとは一体どういうことか。
 どの教祖も、「隣人を愛せよ」「人に慈悲をかけよ」と説いた。金光大神には、「報復」などという考えは微塵もない。人に殴られてもその人の手の痛みを気遣う心を説いた。人に危害を加えようとする者こそ助かるよう祈ってあげよ、と語った。そして、「わが信ずる神ばかり尊んで他の神を侮ってはいけない」とも教えられた。「五本の指」のように、それぞれ違っているから、助け合い、働き合って世界の平和を作っていけるのだ、と教えて下さった見方、考え方こそ、今の世界には必要なのだと強く思うのである。