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モロの部屋
モロ先生からのメッセージや行事の様子などなど、随時更新して行きます。
お楽しみください。
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道行く人へのメッセージ

講演録
南風に吹かれて


金光教は、すべての人が助かってほしいという天地の神の頼みを受けて教祖・金光大神が幕末の1859年に取次を始めたことから起こりました。
その教えは、人間は天地のはたらき(神の恵み)の中に生かされて生きており、その道理に合った生き方をするところから、幸せな生活と平和な世界を築くことができる、と説いています。
世界の平和とすべての人の幸福、一人ひとりの人生の成就を願って、この教会はすべての人に門戸を開いています。いつでも自由にお入りください。
南風に吹かれて

イスラエル

 イスラエルは第二次世界大戦直後の一九四七年、四面楚歌の真ん中に国を造った。建国を宣言するや、周辺アラブ諸国からの攻撃を受けて中東戦争が勃発した。イスラエルの歴史は戦争の歴史でもある。四次にわたる戦争で、強大な軍事力で勝利して領土を拡大し、その結果、パレスチナ難民を自らの国の中にも抱えることになった。
 いわば敵に囲まれ、敵を内に抱え込んだ国の悲劇とでもいうものをイスラエルに見た。イスラエルに行ったことのある人なら誰でも経験することだが、その入国審査は厳格を極める。私は三度それを経験した。湾岸戦争直後の九一年と九二年はとても厳しかったが、昨年のアメリカでの同時多発テロ以後、いっそう厳格になっているに違いない。
 最初はエジプトのカイロからテルアビブへ飛んだ。その時は、イスラエルの検査官がカイロまで出向いていて、空港内で行われた。英語が出来るのは一人だけということにしておこう、とグループは示し合わせた。事情通で英語の堪能なリーダーが通訳になった。一人にたっぷりと時間をかけて尋問するので、われわれはだらりと順番を待っていた。そこへ、若くて美しい女性が現れて、大学生に「あなたたちグループなの?」と英語で友だちのように聞いてきた。かれは、つい「イエス」と答えてしまった。かれは、「こちらへ来なさい」とどこかへ連れて行かれた。三十分後、かれは真っ青な顔で戻ってきた。「心臓が凍ったー!」と言いながら。
 イスラエルは徴兵制である。年取った学者も年に数十日は兵役に就かなければならないという。女学生も例外ではない。繁華街に、背中から銃をぶら下げた二十才くらいの女の子が闊歩していて驚かされた。国境での検査も、国を守るための義務の遂行に他ならないに違いない。しかし、その攻撃的な目、攻撃的な尋問は、自らの人格を破壊してしまうのではないか、と思われるほど激しかった。
 二度目の入国は、ヨルダンのアンマンからバスで行った。ヨルダン側で二度、イスラエル側で二度の検問をうけた。二度ほど全員バスから降ろされ、すべての荷物を下ろして開梱させられチェックをうけた。半日がかりの国境越えだったが、地元のアラブ人は、木陰でいつ呼ばれるとも知れぬ順番待ちをしており、かれらは国境越えに数日を費やすこともあるという。ばかでかいカバンを売る商人がちゃっかりと商売していた。旅人の荷物は何度も開かれて、カバンとも包みとも知れぬ容器が破損して散乱してしまうのでやむなく買うのである。
 国境を越える時、ヨルダン川に架かった短いアレンビー橋を渡る。イスラエル側からは機関銃を据えた監視塔がにらんでいる。この橋は、ヨルダンの地図ではキング・フセイン橋となっている。地図と言えば、ヨルダンで買った地図には、イスラエルの位置に、大きくパレスチナと書かれてあった。アラブにとって、イスラエルは存在しない国、存在してはいけない国なのだということを主張しているかのようだった。
 イスラエルの入国検査では、お定まりの尋問があって、爆弾や銃をもっていないか、誰かから荷物を預かっていないか、などと聞かれる。カメラは天井に向けて空打ちするように言われた。その時、検査官に向けてシャッターを押そうとしたら、彼女はサッと体を伏せた。冗談にもしてはいけない行為だった。カメラに偽装した銃器などいくらでもある。
 今年に入ってからのパレスチナでの相互攻撃はエスカレートするばかりだ。どの宗教の教祖も説いた「殺すな」というその一点だけで憎しみの連鎖を断ち切ることができるはずなのに。あいよかけよで共に生きる道の実現することを切願してやまない。