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モロ先生からのメッセージや行事の様子などなど、随時更新して行きます。
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講演録
南風に吹かれて


金光教は、すべての人が助かってほしいという天地の神の頼みを受けて教祖・金光大神が幕末の1859年に取次を始めたことから起こりました。
その教えは、人間は天地のはたらき(神の恵み)の中に生かされて生きており、その道理に合った生き方をするところから、幸せな生活と平和な世界を築くことができる、と説いています。
世界の平和とすべての人の幸福、一人ひとりの人生の成就を願って、この教会はすべての人に門戸を開いています。いつでも自由にお入りください。
南風に吹かれて

ヨルダン ー水の一滴は血の一滴ー

 所変われば、世界が変わる。南半球に行って仰天したことがある。ただ天を仰いだだけではない。天の運行に腰を抜かさんばかりに驚いた。それは、太陽が右から左へ動いたことを私が「発見」した時のことである。日本に生まれ育った私は太陽は南にあるものと思いこんでいたのだ。ところが、南半球では、太陽は北にあった!従って、太陽に向かって右が東で左が西。太陽が通る道の方を向いて、太陽は右から昇って左へ沈むのである。それは、私にすれば、あたかも太陽が西から昇るかのように錯覚させる驚天動地の珍事だったのである。かの地では、北国は猛暑の熱帯であり、南国は寒冷地である。
 こんなことから書き始めたのは、ヨルダンにおける水の重さ、水にまつわる諸々のことで深く感じるところがあったからである。ヨルダン国内随所で緑色をした巨大なビニールハウスを見た。ビニールハウスは、日本では、太陽の熱を保持し、作物を速く生育させるために使われる。しかし、ヨルダンでは、作物を熱から守り、水分を蒸発させないために使われるというのである。正反対の用途に使われることを知って、びっくりした。
 ヨルダンは国土の95%が砂漠である。水は極端に少ない。「水の一滴は血の一滴」と言われ、水を奪い合って戦争になる、と聞いて驚愕した。川は雨季以外はワディという乾いた大きな溝となる。干上がらない川、ヨルダン川は、海抜マイナス四〇〇メートルの大峡谷を流れる川であり、それが途中から岩塩を溶かして世界最低の場所・死海へと至る。この川はヨルダンとイスラエルを分ける国境である。川を挟んで双方2キロ、軍事境界線が敷かれている。鉄条網と地雷の原っぱである。
 人々は水を得るために大いに苦労する。首都アンマンで、ロバに水を入れた木の桶を積んで売り歩くのをみた。恐らく、私が買って飲もうものなら直ちに腹を下すような代物であるに違いない。もちろん、われわれが買うペットボトル入りの飲料水も売ってはいる。しかし、庶民がそれに金を注いだら、食べてはいけなくなる。かれらは、茶色い水を湧かして飲むのである。人里離れた家では、石の地下室を作り、家の敷地内に降った雨を細大漏らさず集めて地下室に溜め、それで雨季から雨季までの一年間を飲み繋いでいた。
 中には自然の水源まで何日もかかって汲みに行き、戻るとまた汲みに行くという具合に、水を汲むことだけが仕事であり、人生である人々がいることを聞いて愕然とした。
 井戸は宝物だ。金持ちだけがもっている。貧しい人々は、その井戸の水を買って生活用水として使う。井戸を掘るにも政府の許可が要る。やたらと掘ると、他の井戸を枯らせる可能性があるからだそうだ。乏しい水脈を掘り当てるのも難しい。
 南ヨルダンの寒村で、貧しい村人のために献身的に働くカトリック神父を訪ねた。ヨルダンの失業率は30%で、この村には働き場がないので若者は皆外へ出ていってしまう。そこで、井戸を掘り水を得れば農業ができるし、そうなれば若者をつなぎ止めて村を興すことができる、という構想をもっていた。そんなことから私たちの訪問をきっかけに、日本で、その村に井戸を贈るプロジェクトが始められた。
 ヨルダンは、貧しい。政治的にも軍事的にも弱い。西はヨルダン川を挟んで敵国イスラエルと対峙する。周辺にはアラブの強国がひしめく。湾岸戦争の時には、そうした状況からもイラク寄りの発言をしたがために、アメリカから経済制裁を受け、国内の貧困はさらにひどいことになった。その時、クエート、イラクから陸路ヨルダンに逃げ出した避難民は50万人にものぼっていたのである。人口350万人のところへそれを受け容れた飲み水にも事欠くヨルダンという国はすごいと思った。