サイトマップ ヘルプ メール
ホームへ戻る
ようこそ モロの部屋 活動 こよみ ひろば リンク
ようこそ
金光教大崎教会へようこそ。
こちらでは、大崎教会のご紹介をさせて戴きます。
インデックス
ごあいさつ
金光教とは
ご案内
教会へのアクセス
建物のご案内
[ 三代教会長教話 ]

2000(H12)年4月
三代教会長 田 中 花 枝

ご造営、それは私たちの心の新しい出発

 この天地の中に命を頂き、親神様の限りない御慈しみの中に生かされている事を皆様と共に心より御礼申上げる年に一度の天地金乃神大祭をお仕え出来ました事は誠に有り難い事でございます。
 大崎教会の現在のお広前で御大祭をお仕えさせて頂くのは今日でお終いでございます。感無量のものがございます。思えば戦前の大崎教会は戦争のために、焼失してしまいましたが、初代の田中ミチ先生、二代の忠一先生は、人が助かる場、信心の稽古場としての教会復興をどれ程祈り通された事でしょう。年老いて活動的でなくなられた初代に代わって、忠一先生も色々と難しい条件の中を働き、教会復興の為め駈けめぐられたのです。そして思いがけない人が教会の再建について是非この戸越の地に教会を建ててほしいとの願いを言われたのがキッカケとなり、神様の大きなお働きと、歴代先生方のお徳に依って、現在のお広前が復興されたのでございます。復興されたと言葉で言えば簡単ですが、教会完成には二進も三進もならない関門が十重二十重とございまして、その難問を一つ一つ通過させて下さいまして、只今のお広前が建つということが決まり、工事もおかげの中で進ませて頂いたのですが、いよいよ建前という刻、その当日、上棟式の始まる時間に初代・ミチ先生は御帰幽になりました。忠一先生のお嘆きは一通りではなく、「先生に新しいお広前に一番に入って頂きたかった。残念です」と、ミチ先生のご遺体に話しかけておられました。戦後の間もない人家の少ない遠い五反田から守屋トメさんが歩いて参拝を始められ、少ないときでも五、六人の方達が朝の五時半のご祈念に参拝なさり、皆さん方教会復興の為に御用なさいました。皆さん、信心が燃えておられました。また見事なおかげを次々と頂いてゆかれました。
 当時の新築する屋根といえば、殆んどトントン葺きでした。屋根のトントン葺きというのは皆さんご存知でしょうが、丁度折り箱の蓋のような薄手の板を屋根に何枚も何枚も、トントントントンと釘で打ち付けてゆくので、トントン葺きと言っていたのかな、と思ったりしましたが、教会は梁の大きいのを購入する事が出来たおかげで、棟梁が奨められるままにセメント瓦ではありましたが、屋根は瓦葺きで壁も本塗りの本建築が出来てゆきました。神様がお建てなさったお教会。本当に勿体ないくらいのおかげを頂きました。忠一先生は人間では出来ることではない。神様がようもようもおかげを下さったと勿体ないと熱い涙を流されました。
 復興したお広前はその後増改築を四回行われました。そのお広前の御用が絶ゆる事なく神様のお働きと歴代教会長のお徳によって人が助けられ、育てられ、導かれていったお広前でございます。今度二十一世紀の元年にご造営は完成し、そのお広前に神様にお移り頂きたいとご造営大願を立てさせて頂きました。六月の感謝祭には総てを心をこめて御礼申し上げながら洒掃をさせて頂き、今のお教会ともお別れするわけでございます。七月に入ると教会は整地され、新築が進められてまいります。教会整地されると同時に私共の信心も心の生地をして零からの新しい気持ちで信心造営をしてまいりたいと思います。
 「おおさきだより」の昨年の一月号に、

 「信心とは、わが心が神に向かうこと」と教祖様は教えてくださっています。神とは、わが子の幸せを願う親のようなもの、人を生かしてやまない天地のはたらきである、と教えて頂いています。人間の幸せ、世界の助かりを願われる神へ心を向ける、ということは、私ども自身が、人の幸せを祈り、世界の助かりを祈る、ということです。
 しかしながら、神の祈りをわが祈りとする、ということはなかなか簡単にはできません。そこに修行が必要になります。 稽古が大切なのです。信心の稽古を進めるには、創意工夫と努力が必要です。それには、三つのことがあります。@参拝、A聴教、B祈念です。
○参拝=体を教会へ向ける、足を教会へ運ぶことによって心が神さまに向いていきます。
○聴教=お取次を頂くこと。和賀心をつくります。
○祈念=神様には力があります。 荒立ち、もだえ苦しむ心を鎮めます。あるいは、萎える心を奮い立たせます。 ご祈念も稽古によって力がついてきます。神前拝詞を唱えましょう。心がまっすぐ神さまに向かうようになります。
 そして、神さまを背に受けて、神さまと同じ向きになって、日常生活に戻っていくのです。生活が信心になる。自分の笑顔が、ことばが、行いが神の現れになる。
 とあります。しっかり信心の実践をしてまいりましょう。私自身も是非成就してゆかねばならないと課題がございます。願い成就のみかげを蒙るべく、しっかり信心実践、私の信心造営のおかげを皆さんとご一緒に信心の火を燃やしてゆきたいと念願いたしております。