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■695 / inTopicNo.1)  メルマガ 4月号拝読
  
□投稿者/ 三宅美智雄 一般人(4回)-(2009/04/02(Thu) 10:38:17)
    モロさん
    日々御取次有り難うございます。
    教会長辞任して三ヶ月が過ぎました。寒さの所為もありますが、すっかり引きこもり状態です。車はあっても免許証はなし、日々の散歩が唯一の「外の空気」を吸うチャンスで、後はもっぱら「ご祈念三昧」ならいいのですが、自分では「身辺整理」というか、「残務整理」に費やしております。

    さて、今月のメルマガを拝読いたし、ここまで70年以上、自分勝手に決め付けていた金光大神像が間違っていたことに気づかせられました。というのは、私は金光大神は「腹立ち」から道を開かれ、「腹立ち」から神さまへのステップアップをされたと思い込んでおりました。

    むろん「腹を立てるな」というみ教えは、よく存じておりますが、ご無礼を承知で、敢えて申せば、被害妄想とまでは申しませんが、何一つ「思うようにいかず」、そのことに「腹を立てて」独自の信境を開かれたと思っていました。

    極端なことを申せば、神さまに対しても同様であったと思っていました。「祈念、祈念におろかもなし。神仏願いても叶わず。いたしかたなし」と、ぶつけようのない「腹立ち」が、ご自身のなかに「真の信心」を生み出されたと思っていました。
    ご家族に対しても、直信といわれている人々に対しても、ずいぶん辛抱をしておられるが、いよいよのところは、彼らに対する「腹立ち」を、新しい信念に転化されて、新しいエネルギーにされたと思っていました。

    メルマガを拝読いたし、私が実に「浅はかな受け止め方」であったことに気づき、お詫びを申し上げ、また、モロさんのご信心に感謝し、敬服いたします。
    常盤台教会  三宅美智雄

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■697 / inTopicNo.2)  Re[1]: メルマガ 4月号拝読
□投稿者/ モロ @MAIL ファミリー(181回)-(2009/04/02(Thu) 23:18:02)
http://osaki.konko.jp
    三宅先生、ご丁寧に有り難うございます。

    教会長を辞されての日々、一切から手を引けばたっぷりの時間があると思いきや、諸事に忙殺されるという妙な状況に見舞われるということでしょうか。

    「腹立ち」から道を開かれたということは考えたことがありませんでした。確かに孤高の境地にあられたその立ち所と周囲の世俗的なものの見方、ありようには相当の落差があったでしょうから、それが「腹立ち」というエネルギー源となり、独自の信境を開かれたということですね。

    安易に丸くなったり、義憤を封じ込めたりしたのでは、真の道にはならないのではないか、とのご指摘、よく考えさせて頂きます。
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■699 / inTopicNo.3)  Re[2]: メルマガ 4月号拝読
□投稿者/ 三宅美智雄 一般人(5回)-(2009/04/03(Fri) 10:39:20)
    モロさん
    「腹立ち」という言い方には、ちょっと誤解を招き易いかと思います。しかし、そういうご心境から生まれたエネルギーというものがあったと思います。それは、畏れ多いことですが、自分自身を自省するとき、腹立ちなくして、ここまでの道歩みはなかったと思うからです。
    いま、本気で叱ってくださる師匠も御霊さまになられ、その上、教会長という立場でなくなったからか、昔日のようなエネルギーがなくなった(老化の所為?)ことを思い、腹が立つようなこと、人、書物に出合いたいと痛感いたしております。
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■700 / inTopicNo.4)  Re[3]: メルマガ 4月号拝読
□投稿者/ モロ @MAIL ファミリー(182回)-(2009/04/04(Sat) 07:02:56)
http://osaki.konko.jp
    三宅先生
    先生のおっしゃる「腹立ち」と私がメルマガで書いた「腹立ち」とには違いがあるようですね。

    「神様になった怪傑」の主人公・福田美亮先生の話です。かつて本部でやくざ風の男が酔っぱらってからんで皆が手を焼いていたので、福田先生が対応に出た。福田先生は柔道有段者の大男です。相手が余りにひどいからみ方をしたので、投げ飛ばしてしまったそうです。男は、「宗教家ともあろう者が、人を投げ飛ばすとは何事だ」とにらみつけた時、「わしのような者でもおかげを受けるんじゃ。お前も信心せい」と言われた、という話を学院時代に聞いたことがあります。

    その福田先生が、「怒り、憤りにも二通りある。公憤と私憤である」というようなことをおっしゃったと言うんですね。信心する者は私憤を捨て、公憤、つまりみんなのための憤り、もっと言えば神の怒りを知るべきだ、という趣旨だったと思います。

    神の怒り、と表現してみると、三宅先生の言わんとされるところが私には少し理解できるような気がするのですが、こう言ってしまうと違うでしょうか。

    人間は実に勝手なことをします。今は経済危機だと世界中が騒いでいますが、経済が順調で高度経済成長の最中にある時、日本人やアメリカ人などが世界でどういうことをしてきたか。汚れ物の垂れ流しで、地球をものすごく荒らしてしまいました。農協の団体が海外で、札束で人の頬を張るような、傍若無人な振る舞いをしていました。世界の金持ちたちは、まったく鼻持ちならぬ振る舞いをしていましたし、天地に対する無礼そのもものライフスタイルを取っていました。日本で使用禁止になった有害洗剤などをカンボジアなど東南アジアに「よく落ちるよ」と言って持ち込みました。日本では使えないものを、親切な援助のように見せかけてゴミ捨て場にしてしまったのです。

    アンチ神、アンチ貧困なる人びと、そうしたことへの「腹立ち」が信仰を研ぎ澄ましていくエネルギーになる、と言ってみると、私にも少し分かるかな、という感じがします。
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