| 親先生がお国替えになってなってから50日祭までの50日間を信行期間と定めました。テーマは「親先生の信心を頂く」です。
危篤状態と言われながらも、口を開けば、有り難う、有り難うと感謝のことばを述べつつ息を引き取られました。医師は「痛覚反応があること自体が信じられないことなのに、意識があるなんて…」と驚いておられました。まして対話が出来るなんて、ということなんでしょう。
特に驚かれたのが、酸素飽和度というらしいのですが、血中の酸素濃度が30台という極めて低い数値を示し続けていたことです。息を吸っても酸素が入っていかないらしいのです。手が紫色になり、手も足も冷たくなって、後は時間の問題と思われたのが20日のこと。それがだんだんに復活してきて手足が温かくなり、ピンク色に戻り、話をされるようになったのです。倒れてからの2,3日間は寝入ると苦しげで、医師は「心筋梗塞を起こしているので、その苦しみです」と言われました。内臓のすべての機能が衰え、かならず不全を起こす、と言われました。 ところが、ところがです、それぞれの器官が機能し続け、痛みも傍目には和らぎ、25,26日のピーク、すなわちいろいろな人に話し続ける時間をもつことになったのです。 私には「こんなに長い命を頂いて、有り難いことです」と言って、葬儀に関する遺言が語られました。書いたものがあるということでしたので、亡くなる日に見ましたが、まさに遺書がありました。
見事な最期としかいいようがありません。
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