| 三宅先生、難しい問題提起です。
例えば、南北問題と環境問題で考えたとき、天につばをするようなものですから、当然その結果は自分にかかってくると思います。自分にかかるめぐりは自分がうけるのですから、それはそれで自業自得ということになりましょう。しかし、自分の行為が人を苦しめ、子孫を苦しめる事態をどう受けとめたらいいのか。
そこで、加害者とならないありかたを求めたいわけですが、現実には構造の中に組み込まれていますから、文明の恩恵には浴さない、と言って、自動車にも、新幹線にも、飛行機にも乗らない、と決意することが出来るかも知れません。私の食べる刺身は南の国の人々の食べものを奪うことになるから食べない、という決意をし、換金作物であるコーヒーは飲まない、と誓うことも可能です。 しかし、いっさい加害者にならない、ということは現実には不可能です。 自分が生きていくためには他の生き物の命を奪って食べる以外に自分の命を支える術がないように、生きることは常に他の命に対して悪をなさざるを得ないのが人間の存在です。
そこで、加害者としての行動に「より少なく」加担するというあり方がありうると思います。他の命を奪うからといって食べないわけにはいかない。そこで、より少なく食べる。少なくとも大食いして体をこわしたり、ムダに作って捨てたりしない。そして、頂く命に手を合わせ、食べる命が生きるような自分の生き方になることを祈る。 食べるという行為も、感謝とお詫びとお願いを内包した祈りになります。
こういう祈りをすればいいのだとか、こういう行動さえしていればそれでいいのだとかということで済まされない問題です。しかし、日常のありふれた問題の中に、構造につながるものがあることを見つめ続け、ライフスタイルの問題として、些細であっても、行動していくことが大切であると思います。
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